安達原 1
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大阪に向かう新幹線の三人掛けの席に、窓際から大倉、信濃、田中が並んで座っていた。当初、成田が同行する予定だったが、信濃も行くと知り、田中に代わってほしいと申し出た。信濃が一緒なら同性という安心感もあり、田中の薫への緊張も和らいだ。
「坂本さんに会えるのが楽しみで仕方がありません。嬉しくて昨夜は眠れなかったんです」
信濃は遠足を前にした子供のようにはしゃいでいた。
「そうなんですか……」
田中は信濃が一緒で嬉しいが、薫の話題は避けたかった。
「ほな、新大阪に着くまで寝たらええ」
「いいえ。私はもっと、お二人と仲良くなりたいので、新大阪までおしゃべりしましょう!」
大倉は勘弁してくれという顔で両目を閉じた。
田中が信濃になぜプロファイラーになったのかを尋ねると、高校生の時に病死した母親の病気を調べるうちに、シリアルキラーに興味を持ったと語った。
信濃の母親はプリオン病で亡くなった。この病気は脳内の「プリオン」というタンパク質が異常な形に変化し、神経細胞を破壊していく、現在も治療法の確立されていない疾患である。日本でも年間百~二百人が発症しており難病指定されている。
主な症状には身体の痺れや記憶障害などがある。ようやく母親の病名が判明した時には、すでに余命を宣告されていた。
葬儀を終えてから信濃は病気について本格的に調べ始めた。それまでは「治療法なし」「原因不明」といった言葉ばかりが目に入り、知ること自体が怖かったからだ。
調べるうちにプリオン病の一種である「クールー病」という奇病に出会った。パプアニューギニアのフォレ族の間でかつて流行した風土病だ。原因は彼らが行っていた「食葬」という独特の葬送儀式にあった。死者を敬い、魂を受け継ぐために遺体の一部――とりわけ脳――を食べるという慣習があった。しかし、異常プリオンに汚染された組織を摂取することで感染が広がり、悲劇を引き起こした。
1950年代に人肉食の習慣が禁止されたことで、クールー病の発生は急速に終息した。潜伏期間が五十年以上に及ぶ例もあり、習慣が絶たれた後も数十年を経て発症するケースが報告されている。
信濃はその『食葬』に不思議な尊さを感じた。多くの人は「恐ろしい」と眉を顰めるが――人々が日常的に食べている肉や魚も生きていた命だ。
パプアニューギニアの食葬は死者を敬い、命を引き継ぐという祈りのこもった文化だった。生きたまま命をすくい取り、動くものをそのまま口に運ぶ『踊り食い』の方がはるかに残酷に思えた。命を奪うことへの敬意も感謝もないように感じられたからだ。
彼女にとって「食葬文化」とは――死者を弔うためにその肉体を家族で分かち合い、魂を身体に取り込むという、どこか神聖で尊い儀式のように感じられた。
調べを進めるうちに、人類史において世界各地に存在した「葬儀習慣としてのカニバリズム」という文化に辿り着いた。一万年以上前の西欧では人骨に加工や切断の痕跡が見つかっており、死者を敬うための儀式だった可能性があるとされている。
かつて『人を食べる』という行為は、死者を貶めることではなく、敬意を示す行為でもあった。この視点は彼女の中で長く揺るぎなかった価値観を揺さぶった。
食べることは、生きること。
命を奪う行為と命を繋ぐ行為の境界は、時代や文化によって簡単に反転する。
なら、人はなぜ「命を奪う者」=「絶対悪」だと決めつけるのか。
信濃は次第に、儀式的・連続的に犯行を重ねる殺人者たち――いわゆるシリアルキラーに関心を抱くようになった。彼らが何を見て、何を失い、なぜ命に手をかけたのか。その心理に触れたいと心のどこかで願うようになっていた。
母親の死を通じて見えてきたこの道は、もしかすると母が最期に自分に託したメッセージなのかもしれない。そしてハーバード大学で犯罪心理学を専攻し、プロファイリングの道へと進んだ。
話を聞いた田中は「あー、やっぱり坂本さんをリスペクトしているだけのことはある」と思った。
「田中さんはどうして刑事になったんですか?」
信濃が尋ねると、大倉が薄く目を開けて田中を見た。
「私は……」
田中は言葉に詰まった。刑事になってから何度も聞かれてきた質問で、答えはいつも頭の中に用意していた。ただ信濃の真っすぐな想いを聞いた今、その言葉を口にするのがどこか薄っぺらく失礼な気がした。
「信濃、今までのシリアルキラーの中に、人を食べた奴はいてんのか?」
大倉が田中に助け舟を出すように口を開いた。
「あっ、はい。いますね」
大倉の方を向いて答えた。
「儀式みたいな犯行なんかか?」
「いいえ、ほとんどの場合は、自分の欲求を満たすために食べるケースが多いです」
「どんな奴や?」
「例えばアルバート・フィッシュ。子供をシチューにして食べました。犯行が満月の日に行われたことが多かったので『満月の狂人』と言われていました」
「満月……」
田中が呟いた。
「はい。あっ、今回の『肝』の件ですが――儀式的なものだとしたら、満月の夜に食べている可能性もあるかもしれませんね」
「肝って……どんな料理にすんねん」
「たぶんフォアグラじゃないですか?」
信濃はさらりと言った。
「手が届かん高級料理やな」
「アルバート・フィッシュって本当に怪物ですね」
田中はスマートフォンで名前を調べながら、嫌悪感を露にして呟いた。
「私は怪物を演じていた、ただの人間だと思います」
「どういう意味ですか?」
「フィッシュは獣のように冷酷で計算高く、自分の犯行を誇示するように挑発的な手紙を警察や被害者家族に送りつけました。恐怖を煽り、世間に自分の存在を知らしめることで満足感を得ていました。――そんな異常な行動の裏には『注目されたい』という、ある種の承認欲求が見え隠れしていたんです」
信濃の言葉に、田中は息を呑んだ。
「そんな彼も最後には『ただの人間』でした。死刑を宣告された後、フィッシュは『なぜ私はここにいるのかさえ分からない』と口にしたそうです。――私にはその言葉が『罪を認識していない』とか『反省していない』というよりも、ただの弱さに思えました。命の終わりを前にして、ようやく彼も『恐怖を抱く側』に回った。怪物の仮面の下には、どこにでもいる普通の人間が隠れていただけなんだと私は感じました」
大倉はフッと笑って言った。
「史上最悪の殺人鬼が、信濃にはただの人間やったんいうんはなかなかおもろいな」
「ありがとうございます」
褒められたと勘違いしてお礼を言った。
「ほな、『怪物』やと感じたシリアルキラーは誰や?」
「私は『ムーアズ殺人事件』のイアン・ブレイディですね」
信濃が答えると、田中はすぐにスマートフォンで名前を検索した。
「イアン・ブレイディって、確かゴーリーの絵本の題材やったな」
「そうです、『おぞましい二人』です。大倉さん、ゴーリーを知っているんですね」
「まあ……」
大倉は曖昧に返事をした。ゴーリーを知っていたのは息子・智也が小学校低学年の頃、一緒に図書館で絵本を借りたからだ。内容を確かめずに持ち帰ったせいで元妻にかなり怒られた。
「実際の殺人事件が基になっているんですけど……あれ、ゴーリー作品の中でも特に救いがないですよね」
目を輝かせて言った。
「静かにしてください……」
三人の前に座っていた婦人が後ろを振り返って注意を促した。
「すみません……」
信濃は小声で頭を下げた。
田中はスマートフォンでイアン・ブレイディの写真をじっと見つめた。あまりに普通で、いや、どこか男前にも見えるその顔に、首を傾げた。
新幹線が新大阪に近づくというアナウンスが流れ、三人は降りる準備を始めた。
「信濃さん……」
田中が不意に声をかけた。
「はい……」
信濃が振り返ると、田中は目を伏せて言った。
「私……困っている人を助けたくて、刑事になりました」
「田中さん、私と同じですね」
微笑みながら、信濃は田中の言葉をしっかりと受け止めた。




