葵上 2
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警視庁の会議室で、大学講師の女性犯罪プロファイラー・信濃靖代(30)が、捜査関係者を前に、真島葵に似た三十七人の行方不明者についてのプロファイリングを始めた。
信濃は高校卒業後、ハーバード大学で学士号を取得。大学院では修士・博士課程を経て、FBIの研修や共同研究にも参加した経歴を持つ。帰国後は日本の大学で教鞭を取りつつ、プロファイラーとしての活動を本格化させ、FBIで培った分析力と心理洞察を捜査に活かしている。
会議室には大倉、田中、成田、白須総監の姿もあった。
「全国の失踪者を調査した結果、体格や顔立ちに共通点が見られることから、犯人は能楽師の真島葵に異常な執着を持っている可能性が高いです。――犯行は三年前から五年前の間に始まった可能性が高く、その頃、犯人の一人が金銭的支援を始めたと考えられます」
「やっぱり、山口静香ですか?」
成田が身を乗り出し、信濃に問いかけた。
「山口静香さんが関わっているかどうかは、まだ確証はありません。ただ、犯人像を考えると、複数人が関与している可能性が高いです」
「犯人が複数?」
大倉は首を傾げた。
「はい。――狙いをつける人物。連れ去る人物。事務的に作業をする人物。それぞれで役割が分かれています」
「真島能楽堂は関わっていますか?」
成田が尋ねた。
「真島能楽堂は直接的な関与はないと思いますが、私は、真島慶之助には注目しています」
「この失踪者の人たちに似た真島葵ではなく?」
田中が驚いて尋ねた。
「はい。真島葵に見せかけて、実際の狙いは真島慶之助だと思われます」
「そうですか……」
田中は葵の名が挙がらず安堵した。
「行方不明者はどこにいますか?」
「同じ場所に保管されています」
「保管?」
成田は信濃の言い方に不快感を覚えた。
「すでに殺されています。ですが、遺体は全てきれいに保管されています」
信濃の言葉に白須総監が顔をしかめ、無言のまま部屋を出て行った。
「もう少し言い方に配慮はないんですか」
成田が苛立ちを抑えながら言うと、信濃は答えた。
「どうしてですか? 私は警視庁から要請を受けて、ここでプロファイリングの説明をしているんですよ」
「警視総監の息子さんも行方不明者の一人なんですよ!」
「……ああ。では、どう答えればよかったのでしょう? プロファイリングは曖昧にできません」
信濃の動じない態度に、成田の苛立ちが募った。
「他に何か、教えていただけますか?」
田中は信濃に尋ねた。
「能楽について私なりに調べました。特に遺体の保管に関連する演目を探してみると、『黒塚』という演目がありました。その中に、『大量の死体が積み上げられていた』という一節があります。遺体は肝を食べるために集められたそうです。――私の推測ですが、この犯人も三十七人の肝を食べたのではないかと思います」
数人の捜査員が顔を顰めた。
「白須総監、おらんでよかったな」
大倉が呟いた。
信濃は容赦なく、月岡芳年の錦絵『奥州安達が原ひとつ家の図』のコピーを皆に見せた。その絵は安達ヶ原の鬼婆が旅人を殺して食べるという伝説の一場面を描いたもので、鬼婆が妊娠中の女性を逆さ吊りにし、包丁で殺そうとしている瞬間を捉えていた。
部屋の空気が凍りついた。誰もが息を呑んで絵に目を奪われた。
「犯人は青年の肝を食べて異様な興奮を味わっています。――遺体を大切に保管して、時々鑑賞しながら生きる糧を得ていると思われます」
信濃は成田の鋭い視線を感じて目を伏せた。
――生きる糧……。
田中の脳裏に、アキから聞かされた薫の言葉が甦った。
「犯人が刑務所から出てきたら、そいつも、身内も、じわじわと地獄に落としたらええ。――今はそれを生きる糧にするんや」
余韻が頭の中に残ったまま、田中は意識を会議室へ戻した。
「どう動いたらええ?」
大倉が信濃に尋ねた。
「そうですね……。真島慶之助に探りを入れるといいかもしれません」
「どんなふうに?」
「肝……かな?」
信濃は悪びれた様子もなく答えた。
一通りの話が終わると、捜査員たちは次々と部屋を出て行き、部屋には田中と信濃だけが残った。
田中は資料をまとめている信濃に近づき、『奥州安達が原ひとつ家の図』を手に取って眺めた。
「すごい絵ですね……」
「えーっと……」
信濃は田中の顔を見たが、まだ名前は知らなかった。
「捜査一課の田中です」
「田中さん、この吊るされている妊婦さんは、この鬼の子供なんですよ」
「そうなんですか!」
「安達ヶ原の山中に一人で住む老婆が、旅をしていた妊婦を一晩だけ泊めた。でも夜になると老婆は妊婦を襲い、肝を取り出して薬にするために食べてしまう。翌朝、妊婦の持ち物から、実はその妊婦が昔生き別れた自分の娘だと気づく……。母親は知らずに娘を殺し、孫の命も奪ってしまうという話です」
「悲しいですね……」
「田中さんは悲しいと感じる派なんですね」
「何かおかしいですか?」
「私は恐ろしいと感じる派です」
信濃は微笑みを浮かべながらも、目は田中を見据えていた。
「どういう意味ですか?」
「先に恐怖を引き寄せ、その後に訪れる悲しみが、恐怖の意味をより深めるんです。人間の心理というのは、最も深い恐怖の先にあるものが、最も大きな悲しみを引き出す。――よかれと思ってした行為が不幸な結果を生むというこの演目は、そのことを象徴しています。能が描くのは人間の闇に潜む心理の動きです。実際には、私はまだ能を観たことはありませんが……」
「私はもう観ました」
「この『黒塚』をですか?」
「いいえ。――『橋弁慶』を観ました」
「どうでしたか?」
「美しかったです」
田中の表情には、同性相手に能の話ができる喜びが表れていた。
「よかったですね。能楽が気になるので、次回誘ってください」
「はい、是非!」
田中は微笑んだ。




