正尊 5
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新潟にある九階建ての山口のホテルは客室が153室。最上階と地下には複数のレストランが入っている。
東京で犯行が行われた可能性のある部屋は三階の303号室と304号室。廊下を挟んだ向かい側はリネン室になっている。
このホテルでハウスキーピングを担当しているのが山名アキ(19)。大阪出身で新潟の大学に通う学生だ。薫の妻・麻希(35)の知り合いでもある。
薫はアキが危険な目に遭うことを案じていたが、アキは「おっちゃん、麻希ちゃんと結婚してくれたさかい、そのお礼や」と笑って引き受けた。
清掃員の制服に身を包んだアキは、薫から託された小型の隠しカメラを胸ポケットに忍ばせ、303号室の鍵を開けてドアを開放した。
部屋は豪華な和室で、落ち着いた雰囲気が漂っていた。室内は常に手入れされているようだったが、アキはハンディモップを使い、あえて埃を払うふりをしながら、部屋全体をゆっくりと撮影した。
続けて304号室のドアも開け、掃除するふりをしながらカメラを向け、部屋の隅々まで丁寧に撮影した。
「山名さん、何をしてるんですか!」
男性マネージャーの声が背後から飛んできた。
アキは動きを止めて、とぼけたように答えた。
「掃除ですけど……」
「この部屋は掃除しなくていいと伝えられていたはずですよね?」
マネージャーは語気を強めて詰め寄った。
「……そうなんですか」
アキは部屋を出て、リネン室の前で立ち止まった。
鍵を開けようとした時――
「リネン室は使わないでほしいと、支配人から言われています」
マネージャーは慌てたようにドアを押し戻し、鍵をかけた。
――三十分後。
ホテルの支配人が険しい表情で現れ、アキに向かって命じた。
「スマートフォンを見せなさい」
「どうしてですか?」
「いいから見せなさい!」
支配人は声を荒げてスマートフォンを奪うと、保存された写真や動画を確認した。
――ほんまに、薫のおっちゃんの言う通りやわ。
アキは不安そうな表情を作りつつ、内心でほくそ笑んだ。
「次回から指示された客室以外は、掃除しなくて結構です」
支配人はスマートフォンを押し返して告げた。
――四時間後。
アキはタイムカードを押してホテルの裏口から外へ出た。
バス停でバスを待っていると、黒塗りの高級車が音もなく滑るように停車した。
バスが到着するとアキは乗り込み、空いている席に座った。
車は一定の距離を保ちながらバスの後を追っていた。
自宅近くのバス停で下車したアキは、足早に六階建てのオートロック付きマンションへ向かい、エントランスを抜けて姿を消した。
数十秒後、車が少し離れた場所に停車した。
運転席のスーツ姿の男が、フロントガラス越しにマンションの窓を見つめていた。
部屋の灯りがともり、カーテンの隙間からアキのシルエットが浮かび上がった。
その様子を確認した男はスマートフォンを操作し、「今、自宅に戻りました」とメッセージを送信した。
すぐに「誰かが訪れるかもしれないから、しばらくその場で待機して」という返信が届いた。
男は「了解しました」と返すと、マンションの窓を見つめ続けた。
アキが部屋の電気を点けた瞬間――大倉と田中が身を潜めていた。
アキはニヤリと笑い、人差し指を口元に当てて「しー」と囁き、窓際へ向かった。
尾行してきた車を視界に捉えつつも、気づかないふりをしながらカーテンを閉めた。
外の闇に光が漏れないことを確認すると振り返り、小声で興奮を隠しきれずに呟いた。
「めっさおもろいな!」
楽しんでいる姿を見て、こんな刑事の真似事を素人にさせていいのか田中は心配になった。
「アキちゃん、悪かったな。――怖い思いしたんちゃうか?」
大倉が心配そうに聞いた。
「全然。事件解決するなら、協力したいわ」
「はじめまして、田中です」
「ああ、大倉さんの相棒の刑事さんやね。初めまして、アキです。もうすぐおっちゃん来るから、ちょっと待っててな」
アキは台所へ行った。
「大倉さん、アキさんを知っているんですか?」
「大阪におる時、ちょっとな」
大倉は苦笑しながら答えた。
暗闇に停まった車の中から、男はマンション前に止まったデリバリーサービスの自転車に気づいた。
配達員は自転車を降りて、マンションの中へ入っていった。
――数分後。
配達員がスマートフォンを手にマンションから出て来て、自転車に乗ろうとした瞬間、男は車から飛び出した。
「今、どの部屋に配達しましたか?」
「えっ? プライバシーだから言えませんよ」
配達員は困惑しながら答えた。
男は財布から一万円札を取り出して「何号室に届けましたか?」と尋ねた。
配達員は躊躇したが、一万円を受け取ってから「僕が言ったって言わないでくださいね。――202号室です」と答えた。
男はアキの部屋じゃないと分かって「ああ、分かった」と言って、車に戻った。
配達員は車が見えなくなったのを確認してから自転車を止めて、スマートフォンの動画停止ボタンを押した。すぐに撮影した映像を指定されたアドレスへと送信すると、手にした一万円札に加え、ポケットからもう一枚の一万円札を取り出して二枚を重ねて呟いた。
「配達しただけで二万円! 今日はラッキー!」
満面の笑みを浮かべてポケットに札をしまうと、自転車にまたがり、ルンルン気分で走り去っていった。
アキが暮らすこのマンションは、薫が設計を手がけた建物だ。配達員が向かった202号室はマンションの大家が住む部屋である。
「大家さん、ベランダから見える車やけど、一時間以上停まってるようなら警察に通報した方がええで」
「そうします。――久しぶりに坂本さんにお会いできて嬉しかったです」
薫のスマートフォンにメールが届いた。確認してから、両手に食料を抱えて立ち上がり「ほな、行くわ」と部屋を後にした。
アキが玄関ドアを開けると、薫が立っていた。
「腹減ったな。――ご飯にしよか」




