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十歳からやり直して大富豪になるはずだった――未来のビットコインもAIも知っていた俺が、知らない明日を生きるまで  作者: 野狐禅


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9/12

子供の身体

十八歳まで、自分を壊さない。


そう決めた翌朝、僕は寝坊した。


目覚ましは鳴ったらしい。止めた記憶もある。それなのに、次に目を開けたときには、家を出るまで二十分しか残っていなかった。


「起きてるの?」


「今起きた!」


慌てて着替え、顔を洗い、朝食を詰め込む。ランドセルを背負って家を飛び出した。


少し前の僕なら、こんなことで焦る自分を不思議に思ったかもしれない。


三十二歳まで生きた記憶がある。時間管理の仕方も、寝坊すればどうなるかも知っている。それなら、子供の生活くらいうまく管理できるはずだ。


でも、できなかった。


理由は単純だった。


眠かったからだ。


寝不足なら起きられない。腹が減れば集中できない。走れば息が切れるし、怖ければ身体が勝手に緊張する。


知っているだけでは、どうにもならないことがある。


学校へ向かって走りながら、僕は自分の身体について、まだ勘違いしていたことに気づいた。


これまでずっと、頭の中にいる三十二歳の自分を基準にしていた。


どのくらい考えられるか。どれだけ我慢できるか。どんな場面で冷静でいられるか。


けれど、今の身体は十歳だ。


それどころか、脳の働きまで三十二歳のときと同じなのかは分からない。三十二歳までの記憶を持っていることと、三十二歳と同じ能力を持っていることは別だった。


教室には何とか間に合った。


席に着いたころには息が上がっていた。


「走ってきたの?」


隣の席から聞かれる。


「寝坊した」


「珍し」


「目覚まし止めた」


「子供じゃん」


「子供だよ」


答えてから、自分で少し笑った。


そうだ。


外から見れば、当然十歳だ。


そしてたぶん、中身まで完全な大人というわけではない。


それをさらに実感したのは、一時間目だった。


先生に当てられ、黒板の前で問題を説明するよう言われた。


問題そのものは簡単だった。答えも分かっている。


それなのに、立ち上がって前へ出た瞬間、胸が強く鳴った。


三十人ほどの視線が、自分に集まる。


それだけで頭の中が急に狭くなった。


前の人生でも、人前で話すのは得意ではなかった。それでも仕事では必要に迫られて話していた。


今は、その経験があっても身体の反応を止められない。


手が冷たくなり、声が少し上ずる。


「えっと……」


答えは分かっているのに、言葉がすぐには出なかった。


先生は黙って待っている。


僕は一度息を吸い、何とか最後まで説明した。


「はい、そうですね」


それだけで終わった。


席へ戻っても、しばらく心臓は速いままだった。


僕はノートの端に小さく書いた。


理解できることと、実行できることは別。


少し考えて、その下にも書く。


記憶の年齢と、今の自分の年齢も別。


昼休みには友達に誘われて校庭へ出た。


ボールを使った遊びだった。


最初は、少し手を抜こうと思っていた。三十二歳まで生きた人間が、子供の遊びに本気になるのも妙な気がしたからだ。


けれど、始まってしまえばそんな考えはすぐに消えた。


ボールを取られれば悔しい。追いかけても追いつけなければ、もっと悔しい。自分がうまく取れれば嬉しい。


転べば痛いし、負けそうになれば本気で勝ちたくなる。


数分もすると、Bitcoinも未来知識も忘れていた。


遊びが終わってから、僕はそれに気づいた。


僕は、三十二歳の人間が十歳の身体を外から操縦しているわけではない。


十歳の僕の中に、三十二歳まで生きた記憶がある。


その方が近い。


記憶だけで人間の全部が決まるわけではない。


身体の大きさも、脳の発達も、感情の動き方も、学校で置かれている立場も、周囲からどう扱われるかも、今の僕を作っている。


放課後、図書室へ行った。


いつもの机に座り、ノートを開く。


新しいページの上に、


転生後の自分について。


と書いた。


その下に、今のところ分かっていることを整理する。


前の人生の記憶がある。


価値観もかなり残っている。


未来についての記憶も断片的にある。


けれど、身体は十歳。


感情も、集中力も、三十二歳のときと同じとは限らない。


眠気も、空腹も、恐怖も、悔しさも、普通に僕を動かす。


そこまで書いてから、最後に一文を加えた。


僕は、大人ではない。


書いた直後は、少し妙な気分だった。


三十二歳まで生きた自分を否定したようにも感じる。


でも、たぶん逆だった。


三十二歳までの記憶があるからといって、何でも正しく判断できる必要はない。


分からないことがあっていい。怖いものがあってもいい。子供らしいことで失敗しても、それだけで何かがおかしいわけではない。


むしろ、大人であるふりをし続ける方が不自然だった。


僕は未来を知っている。


それは使える。


でも、それを理由に今の年齢まで否定する必要はない。


帰り道、友達とくだらない話をした。


何を話したのか、家に着くころにはほとんど覚えていなかった。ただ、途中で何度か笑ったことだけは残っていた。


三十二歳までの記憶にも、きっとこういう時間はたくさんあったはずだ。


けれど、ほとんど覚えていない。


未来知識台帳にはBitcoinや大きな出来事を残している。それでも、人生の全部をノートへ書くことはできない。


何が大事だったのかは、あとになってから分かることもある。


だから、全部を未来のための材料にしなくてもいいのかもしれない。


家に帰ると、宿題をして、夕食を食べ、風呂に入った。


いつもの一日だった。


夜、机に向かい、十八歳までの計画を開く。


一番上には、


十八歳まで、自分を壊さない。


と書いてある。


その下に一行だけ加えた。


大人になろうとしすぎない。


しばらく、その文字を眺めた。


転生した。


未来の記憶がある。


十億円を目指している。


十八歳になったら家を出るつもりだ。


普通の十歳なら考えないことばかりだった。


けれど、それでも今の僕は十歳だ。


十歳を飛ばして十八歳になることはできない。


十一歳も、十二歳も、十三歳も同じだ。


前の人生ですでに一度通った年齢でも、この人生ではもう一度しか来ない。


僕は明日の時間割を確認し、忘れ物がないようにランドセルへ必要なものを入れた。


最後に目覚まし時計を見る。


今朝のことを思い出して、いつもより十五分早い時間に合わせた。


三十二歳の僕なら、もっと効率のいい方法を考えたかもしれない。


でも、今はこれでいい。


布団に入ると、すぐに眠くなった。


未来について考え続ける余裕もない。


目を閉じながら、今日一日で分かったことを思い出す。


僕は未来から来た。


でも、未来の人間のままここにいるわけではない。


三十二歳までの記憶を持ったまま、もう一度十歳を生きている。


なら、それでいい。


明日もまた、十歳の僕として一日を生きればいい。


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