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十歳からやり直して大富豪になるはずだった――未来のビットコインもAIも知っていた俺が、知らない明日を生きるまで  作者: 野狐禅


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10/12

図書室

図書室にいると、時間の流れ方が少し変わる。


教室にいれば次の授業を考え、家にいれば次に何を言われるかを気にする。未来知識台帳を開けば、頭はすぐ二〇一二年や二〇一七年、二〇二六年へ飛んでいく。


いつも、今より先のことを考えている。


でも、本を読んでいる間だけは違った。


今、このページを読む。それだけでいい。


最近は、昼休みになるとかなりの頻度で図書室へ来ていた。


最初は未来の記憶を確かめるためだった。出版年を見て、昔読んだ本を探し、覚えている内容と今あるものを照らし合わせる。


いつの間にか、それをしなくなっていた。


単純に、本を読みたかった。


「また来たの?」


カウンターにいた上級生に声をかけられた。


「うん」


「何読むの?」


「まだ決めてない」


「この前、宇宙の本借りてたよね。こういうの好き?」


「たぶん」


「たぶん?」


僕も自分でよく分かっていなかった。


三十二歳だった僕が好きだった本と、今の僕が読みたい本が同じとは限らない。


棚の間を歩く。


科学、歴史、伝記、物語、図鑑。


昔より理解できる本は増えている。それでも、難しい本を読めることと、読みたいことは別だった。


科学の本を一冊開き、数ページ読んで戻す。歴史の本も同じだった。次に手に取った物語は、気づけばしばらく立ったまま読んでいた。


結局、それを借りた。


投資にも受験にも役に立ちそうにない本だった。


それでも借りたことが、少し嬉しかった。


最近の僕は、何をするにも理由をつけていた。


英語は将来のため。数学は進学のため。運動は健康のため。家事は一人暮らしのため。貯金はビットコインのため。


何をするにも、その先に目的がある。


本くらいは、面白そうだから読んでもいい。


昼休みの終わりを知らせる音が鳴り、本を抱えて教室へ戻った。廊下で同じクラスの女子に呼び止められる。


「それ面白い?」


「まだちょっとしか読んでない」


「どんな話?」


「たぶん、冒険」


「また、たぶんって言ってる」


「まだ途中だから」


「面白かったら教えて」


「うん」


それだけの会話だった。


前なら、誰かに本を薦めれば、その人の行動が変わるかもしれないと考えたかもしれない。


でも、このときは違った。


面白ければ教える。


ただ、それだけでよかった。


人は未来を変えようとしなくても、普通に互いへ影響している。そのことが、今さら少し不思議に思えた。


放課後、借りた本を読みながら帰った。さすがに歩きながら読むのは危ないので、途中で何度も閉じた。


家に着いて宿題を終える。夕食まではまだ時間があったので、続きを開いた。


気づけば、かなり読み進めていた。


「宿題終わったの?」


「終わった」


「明日の準備は?」


「まだ」


「先にやりなさい」


「……うん」


本を閉じたとき、普通に腹が立った。


今、いいところだったのに。


そう思ってから、少し可笑しくなる。


少し前までなら、明日の準備を先に終わらせた方が効率的だ、と考えていただろう。


でも、続きを読みたいものは読みたい。


ノートに書いた「大人になろうとしすぎない」という言葉を思い出した。


僕はランドセルの準備だけ先に済ませ、すぐ本へ戻った。


我慢するか、言いつけを無視するか。その二つしかないわけではない。順番を少し変えれば済む。


翌日の昼休みも図書室へ行った。


昨日の本はまだ読み終えていない。それでも別の棚を見ていると、図書室の先生に声をかけられた。


「よく来るね」


「はい」


「本、好き?」


「たぶん」


また同じ答えになった。


先生が笑った。


「たぶんなんだ」


「好きだと思います」


「来年、図書委員やってみたら?」


図書委員。


その言葉には覚えがあった。


前の人生でも、小学校から高校まで何度か図書関係の委員をしていた。


静かな場所が好きだったからかもしれない。本が好きだったからかもしれない。人前に立たなくて済むから、という理由もあった。


でも、それだけではなかった。


誰かに「面白い本ない?」と聞かれ、自分が読んだ中から選ぶのが好きだった。


「来年じゃないとできないんですか」


「今の委員はもう決まってるからね。でも、手伝いたいなら歓迎するよ」


「何するんですか」


「返ってきた本を戻したり、掲示を作ったり、おすすめの本を紹介したり」


「やります」


先生が少し驚いた顔をした。


「手伝ってくれるの?」


「はい」


こうして、正式な委員ではない僕も、ときどき図書室を手伝うことになった。


最初の仕事は、返却された本を棚へ戻すことだった。


やってみると、思ったほど単純ではない。


分類番号を見て場所を探し、同じ分類なら作者や題名の並びも確認する。適当に差し込めば、次に探す人が見つけられなくなる。


僕は背表紙の番号を確かめながら、一冊ずつ戻していった。


情報を分類して、あとから見つけられるようにする。


未来知識台帳と少し似ている。


ただ、こちらの方がずっと気楽だった。


本を間違った棚へ戻しても、未来そのものが変わるわけではない。


何日かすると、先生から小さな紙を渡された。


「おすすめの本、一冊書いてくれる?」


「僕が?」


「よく読んでるから。低学年でも読めそうなのだと嬉しいかな」


簡単だと思ったのに、棚の前に来ると迷った。


自分が好きな本と、人に薦めたい本は同じではない。


三十二歳までの記憶を使えば、難しい本はいくらでも思い出せる。でも、小学生にそれを渡しても仕方がない。


結局、自分が今読んでも面白かった物語を選んだ。短くて、絵も多く、難しくない。それでも少しだけ考えさせるところがある。


紙には「こんな人におすすめ」と書いてあった。


僕は、


冒険が好きな人。

少し不思議な話が好きな人。


と書いた。


もう一つ、「本をあまり読まない人にも」と書きかけてやめた。


本を読まない人に、読めと言われても嫌だろう。


代わりに、


最初の十ページだけでも読んでみてください。


と書いた。


先生に見せる。


「いいね」


「そうですか」


「押しつけてないのがいい」


その言葉が少し残った。


自分が面白いと思っても、相手が面白いと思うとは限らない。


薦めることはできる。


でも、読むかどうかは相手が決める。


たぶん、それでいい。


掲示してから何日かたったころ、低学年の子がその本を借りていった。


僕は棚の近くからそれを見て、少し嬉しくなった。


さらに数日後、その子が図書室で僕を見つけた。


「これ面白かった」


本を持ち上げて見せる。


「ほんと?」


「うん。でも最後、ちょっと分かんなかった」


「どこ?」


開かれたページを一緒に見る。


僕なりの解釈を説明しかけて、やめた。


「どういう意味だと思った?」


その子は少し考えた。


「帰りたかったのかな」


「僕もそんな感じがした」


「でも帰ってないよ」


「うん」


「なんで?」


少し考えたが、僕にも分からなかった。


「分かんない」


「知らないの?」


「知らない」


その子が笑ったので、僕も笑った。


三十二歳まで生きた記憶があっても、分からないものは普通にある。


それが、なぜか心地よかった。


答えを持っていなくても、本は読める。


誰かと一緒に考えることもできる。


いつの間にか、図書室の手伝いは習慣になっていた。


返された本を棚へ戻す。傷んだ本を先生へ渡す。おすすめを書く。低学年の子に場所を教える。そして、自分の知らない本を見つける。


どれも、将来の資産にはたぶんほとんど影響しない。


それでも続いた。


未来のために必要だからではない。


今の僕が、ここにいたいからだった。


家に帰ったある日、十八歳までの計画を開いた。


大学、家を出るための準備、投資資金、ビットコイン。


先のことばかりが並んでいる。


その端に、一つだけ書き足した。


本を読む。


期限も金額も、達成条件もつけなかった。


それでいいと思った。


十八歳で家を出すことも、三十二歳で十億円を目指すことも大事だ。


でも、そのためだけに八年間を埋める必要はない。


十歳の今だから面白い本がある。


前の人生で読んだ本でも、今読むと違って見えるものがある。


まだ一度も読んだことのない本なら、なおさらだった。


未来の記憶は、僕が一度見た世界のことしか教えてくれない。


図書室には、その外側がいくらでも並んでいる。


その夜、布団に入る前に借りてきた本を開いた。


ビットコインにも受験にも役に立たない物語だった。


だから何だ、と思った。


続きを読みたかった。


ただ、それだけでページをめくった。


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