十億円
僕はノートの真ん中に、その数字を書いた。
1,000,000,000。
十歳の僕には、まだ実感のない金額だった。家が何軒も買えるとか、一生働かなくても暮らせるとか、その程度の想像しかできない。
三十二歳まで生きた前の人生でも、そんな金を持ったことはなかった。
つまり、これは未来の記憶ではない。
目標だ。
僕は数字の横に「予言ではない」と書いた。
未来知識台帳を作ってから、覚えていること、推測したこと、自分で決めたことは分けるようにしている。十億円は、完全に三つ目だった。
では、なぜ十億円なのか。
考えてみると、欲しいのは金そのものではなかった。
働く場所を選べること。嫌な仕事を断れること。もう一度大学へ行きたければ行けること。研究したければ研究できること。失敗しても生活を立て直せること。
何より、自分の生活を他人に握られないこと。
一億円でも足りるかもしれないし、三億円でもいい。十億円に厳密な根拠はない。
僕はその下に書いた。
十億円=選択肢を失わないための金。
百億円や一千億円を目指してもきりがない。自分の時間と進路を自分で決められるなら、十億円という数字そのものに意味はなかった。
それでも、目標がないと計画は作れない。
僕は前に作った年表を開いた。
二〇一二年、Bitcoin。
二〇一三年、上昇。
二〇一四年、Mt.Gox後の下落。
二〇一五年、Ethereum。
二〇一七年、大幅上昇。
二〇二〇年、COVID後にNVIDIA。
二〇二六年、三十二歳。
ここまで並べると、簡単に金持ちになれるように見える。
もちろん、そんなはずはない。
覚えているのは、何が上がったかという大まかな流れだけだ。正確な価格も、最高値の日付も、税金も、取引所の事情も知らない。そもそも未来の記憶自体が完全ではない。
だから、これは売買計画ではない。
十億円に届く可能性があるかを確かめるための、粗い計算だった。
最初はBitcoinに十万円と考えた。
十八歳なら、そのくらいは用意できるかもしれない。大学生活を始め、学費と生活費を確保したうえで、自分で使える金を作る。
ただ、十万円に固定する理由もなかった。
二〇一二年の僕が二十万円を安全に使えるなら、二十万円でもいい。反対に十万円を使えば生活が危うくなるなら、五万円に減らすべきだ。
十歳の僕には、八年後の収入も生活費も分からない。
そこで書き直した。
二〇一二年。
Bitcoin。
投資可能資金の目安、最低十万円。
学費、生活費、予備資金は別に確保する。
実際の投資額は、その時点で決める。
今決めるべきなのは金額ではなく、原則だった。
借金して投資しない。学費や生活費を使わない。他人から用途を決めて渡された金には手をつけない。
その範囲で、未来の自分が判断する。
二〇一三年にBitcoinが大きく上がったことは覚えている。とりあえず十万円が百万円になると仮定した。
その後、下落したBitcoinを買い直し、二〇一五年にはEthereumへ移る。二〇一七年に大きく上がる。
最初に考えた金額は二千万円だった。
これも根拠は薄い。
だが、二十三歳で二千万円あれば大きい。それでも一生働かなくて済む金額ではないから、普通に勉強し、必要なら大学院へ行き、働ける能力も身につける。
未来知識が外れても、生きていけるようにしておく。
その先がNVIDIAだった。
二〇二〇年のコロナ後に株価が下がり、その後、AIとGPU需要で大きく上がった。
倍率は曖昧だ。
仮に、二千万円が五十倍になれば十億円になる。
紙の上では届く。
でも、綺麗すぎた。
税金も生活費も無視している。全額を一つの資産へ入れる前提にもなっている。買値も売値も分からない。
つまり、この計算から分かることは一つしかない。
三十二歳で十億円という目標は、完全な空想ではない。
それだけだった。
僕はノートに書いた。
二〇二六年。
三十二歳。
十億円。
目標。予言ではない。
そして、その下にもう一つ書く。
十億円に届かなくてもいい。
未来知識が使えなくなる可能性もある。
Bitcoinが記憶と違うかもしれない。Ethereumが大きく上がらないかもしれない。NVIDIAについても、僕の記憶が間違っているかもしれない。
その場合でも、大学へ行き、専門を身につけ、働けばいい。
未来知識が使えれば、投資は人生を大きく加速させる。
使えなくても、自分で生活できるようにする。
この二つは両立する。
僕はページの端に書いた。
十億円のために捨てないもの。
健康。
教育。
人間関係。
必要な経験。
生活。
少し考えて、最後に一つ加えた。
自分で考えること。
未来を知っているからといって、記憶の通りに買い、記憶の通りに売るだけでは駄目だった。
十八歳の僕には、十八歳の僕にしか見えない現実がある。
Bitcoinが記憶通りでも、危険だと思えば買わなくていい。十万円より多く投資できると判断すれば、増やしてもいい。
十歳の僕ができるのは、未来の自分に地図を残すことだけだ。
その地図を使うかどうかまで決める必要はない。
僕は最後に書いた。
三十二歳で十億円。
ただし、その時の僕がもっといい生き方を見つけていたら、この計画は捨てていい。
その下に、一行だけ足した。
目標より、自分の判断を優先する。
ノートを閉じた。
十億円は、まだ遠い。
Bitcoinすら存在していない。
僕はまだ十歳だった。
今やるべきなのは、二十二年先の売買を決めることではない。
二〇一二年になったとき、自分で判断できる状態を作っておくことだ。
未来を知っていることより、その未来に縛られないこと。
十億円という数字を書いたことで、ようやくそれが分かった。




