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十歳からやり直して大富豪になるはずだった――未来のビットコインもAIも知っていた俺が、知らない明日を生きるまで  作者: 野狐禅


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外れ

未来を知っている。たぶん。


そう書いた翌日から、僕は予測の記録を増やすことにした。


もっとも、思い出したことを何でも未来の出来事として書くつもりはなかった。曖昧な記憶を片端から記録して、あとから起きた出来事に結びつけていたら、自分で自分を騙すことになる。


だから、先にルールを決めた。


出来事が起きる前に記録する。あとから内容を修正しない。曖昧な部分は曖昧なまま残し、外れた予測も消さない。そして少なくとも当面は、予測を当てるために自分から現実を動かさない。


最初の怪我が部分的に当たったせいで、僕の中にはすでに妙な自信が生まれていた。


それが危険なのだと思う。


一度うまくいけば、次も当たると思いたくなる。外れたところは忘れ、当たったところだけ覚えることだってできる。三十二歳まで生きてきた人間の記憶だから正しい、という保証もない。


だから記録する。


少なくともノートに残った文字なら、都合よく変わっていく自分の記憶よりは信用できる。


二ページ目から、予測を記録するための表を作った。日付、内容、期限、確信度、結果。それだけの単純なものだった。


最初の一週間で、怪我を含めて五件の予測を記録した。


一つは、すでに起きた同級生の怪我。二つ目は週末のテレビ番組に、記憶にある芸能人が出演するというもの。三つ目は来週の避難訓練。四つ目は野球の試合結果。最後は、近いうちに大きな台風が来るという予測だった。


どれも、三十二歳までの記憶のどこかに残っていた出来事だ。


そして一週間後、結果を並べてみると、思っていたよりひどかった。


テレビに、その芸能人は出なかった。避難訓練そのものはあったが、僕が書いた曜日とは違った。野球の勝敗も外した。台風は来たものの、記憶にあったほど大きなものではなかった。


完全に当たったものは、一つもない。


結果欄に丸をつけられる項目がなく、並んだのは三角とバツばかりだった。最初の怪我まで含めても、せいぜい「何となく似ている」と言える程度でしかない。


ノートを眺めているうちに、数日前まであった高揚感が急速に冷めていった。


最初の怪我も、ただの偶然だったのではないか。


小学生が走って転び、足を痛める。珍しい出来事ではない。松葉杖まで一致したとはいえ、その程度なら偶然でも起こり得る。


そこに意味を見つけたいから、僕が勝手に未来の記憶と結びつけただけなのかもしれない。


一度そう考え始めると、何もかもが怪しくなった。


三十二歳まで生きた記憶も、二〇二六年という年も、BitcoinもEthereumも、新型コロナもNVIDIAも、本当に未来の記憶なのだろうか。


十歳の僕が作り上げた、異様に細部まで整った妄想ではないのか。


あるいは、今が二〇〇四年だということ自体は確かでも、「三十二歳まで生きた」という部分だけが偽物なのかもしれない。


考えても答えは出なかった。


僕はノートを閉じ、その日はそれ以上何も書かなかった。


学校でも、少しぼんやりしていたらしい。授業の合間に、隣の席から声をかけられた。


「どうしたの?」


「何が?」


「今日、静かじゃない?」


「いつもじゃない?」


「いや、なんか変」


その言葉に、一瞬だけ心臓が跳ねた。


気づかれた。


反射的にそう思ってから、すぐに馬鹿らしくなる。相手が言っているのは、僕が三十二歳の記憶を持っているとか、未来を調べているとか、そんなことではない。


ただ、いつもより元気がないと言っているだけだ。


「眠い」


少し考えて、そう答えた。


「昨日も言ってなかった?」


「じゃあ、ずっと眠い」


「何それ」


相手が笑い、僕もつられて少し笑った。それだけで話は終わった。


この程度でいい。


僕は普通の十歳でいなければならない。未来の記憶が本物でも偽物でも、それだけは変わらない。


放課後は図書室へ行った。


最近、ここへ来ることが増えていた。家より落ち着くし、教室より静かだ。何より、本は僕に何も聞いてこない。


本棚の間を歩きながら、予測が外れた理由を考えた。


可能性はいくつかある。


一番単純なのは、そもそも僕の記憶が間違っていることだ。出来事自体は覚えていても、年や季節、曜日のような細部が抜け落ちている可能性もある。二つ以上の出来事を、一つの記憶として混同していることだって考えられる。


そして、もう一つ。


僕がここにいることで、すでに未来が変わり始めている可能性だ。


今のところ、その証拠はない。しかし、三十二歳だった僕とは違う行動をすでに何度も取っている以上、未来が完全に同じになる保証もない。


例えば、怪我をした日の昼休み。


前の人生の僕が鬼ごっこに参加していたかどうかは覚えていない。もし参加していなかったのなら、今の僕が校庭を走っただけで、誰かの進路や鬼になる順番が少し変わった可能性がある。


その小さな違いが、転ぶ場所や時刻を変えたのかもしれない。


そう考えれば、僕の記憶では体育だったように感じた怪我が、実際には昼休みに起きたことにも説明をつけられる。


しかし、そこまで考えたところで、僕はその仮説を捨てた。


少なくとも今は、使ってはいけない説明だった。


当たれば未来知識のおかげ。外れれば僕が未来を変えたから。


それでは、何が起きても自分が正しいことにできてしまう。


そんなものは検証ではない。


図書室の机に座り、ノートを開いた。新しいページの上に、一行だけ書く。


反証できる形にする。


外れたときに、きちんと「外れた」と判定できる予測だけを使う。


例えば、「近いうちに何か悪いことが起きる」では意味がない。一か月も待てば、学校でも家でも日本のどこかでも、何かしら悪いことは起きる。あとから都合のいい出来事を選べば、いくらでも当たったことにできる。


そうではなく、「今月中に、この出来事が起きる」と期限まで決める。


起きなければ外れだ。


それでいい。


むしろ外れた方が、新しい情報になることもある。出来事そのものは覚えていても時期には弱いのか、細部になるほど精度が落ちるのか。外れ方を記録すれば、僕の記憶がどの程度使えるのかを調べられる。


そう考えると、少し気持ちが楽になった。


未来を当て続けることが目的なのではない。


未来の記憶を、どこまで実際の判断に使えるのか。それを測ることが目的だ。


なら、外れもデータになる。


図書室を出たころ、空は朝より暗くなっていた。


帰り道の途中で、雨が降り始めた。


朝の天気予報では曇りだった。僕は傘を持っていない。周りの子供たちも、ランドセルを押さえながら一斉に走り出した。


「早く帰ろう!」


僕も一緒になって走った。冷たい雨粒が額や頬に当たり、少しずつ髪が濡れていく。


そこで、ふと可笑しくなった。


二〇二六年までの未来を知っているかもしれない人間が、今日の午後に雨が降ることすら知らない。


もし二十二年分の天気を全部覚えていたなら、毎朝確実に傘を持って出られただろう。だが当然、そんなものは覚えていない。


僕の知っている未来は、年表ではなかった。


ところどころに印だけが残った、穴だらけの記憶だ。


家に着いたころには、靴下まで濡れていた。


「傘持っていかなかったの?」


玄関に入るなり言われた。


「天気予報、曇りだったから」


「折り畳み持ってけばよかったでしょ」


「……うん」


二十二年先のことを知っているかもしれないのに、今日の雨には普通に濡れる。


未来知識というものは、思っていたよりずっと不便だった。


その夜、もう一度予測表を開いた。


結果欄には、三角とバツが並んでいる。最初に見たときは腹立たしかったが、今は少し違って見えた。


外れ方にも、傾向があるような気がする。


僕は余白に仮説を書いた。


出来事の存在には比較的強い。時期には弱い。細部にはさらに弱い。


まだ五件しかない。結論を出すには少なすぎる。


それでも、考えるための仮説にはなる。


例えばBitcoin。


存在することは、かなり確信がある。これから大きく値上がりすることについても、自信はある。


しかし、いつ買えばいいのか。いつ売ればいいのか。最高値はいくらなのか。


そこまで聞かれると、一気に怪しくなる。


Ethereumも同じだった。NVIDIAも、新型コロナ後の相場もそうだ。


もしこの傾向が本当なら、最初に考えた人生計画も修正しなければならない。


二〇一二年に十万円でBitcoinを買い、二〇一三年に百万円で売る。下落後に買い直し、二〇一五年にはEthereumへ二百万円。二〇一七年に二千万円にして、二〇二〇年の下落後にNVIDIAを買う。そして二〇二六年、三十二歳で十億円。


それは未来ではない。


未来の断片を材料にして、僕自身が作った計画だ。


当然、その通りになる保証はない。


ノートの最初の方へ戻り、「十億円」と書いたページを開く。


数字の横に、小さく書き足した。


目標。予言ではない。


そう書いただけで、十億という数字と少し距離を取れた気がした。


考えてみれば、一億円にしかならなくても十分すぎるほど大きい。Bitcoinが記憶ほど値上がりしなくても、普通に大学へ行き、働いて生きればいい。


なら、未来の相場を知っているという理由だけで、それ以外の人生を捨ててはいけない。


むしろ、未来知識が不完全であるほど、相場以外のものが重要になる。


勉強をしておく。健康を壊さない。人と関わる方法を覚える。自分の生活を自分で回せるようになる。将来働くことになっても困らないだけの能力を身につける。


未来が外れたときの保険だ。


そこまで考えてから、僕は鉛筆を止めた。


保険、という呼び方は少し違う。


投資が成功したら、健康はいらないのか。


十億円あれば、友人はいらないのか。


何も学ばなくていいのか。


そんなはずはない。


金があっても、自分の身体で生きることには変わりがない。人間関係がなくても平気な人間になれるわけでもない。世界について何も知らなければ、大金を持っていても判断を誤る。


僕は新しいページを開き、今度は未来ではなく、自分の人生について二つの分類を作った。


未来が当たっても必要なもの。


その下に、学力、健康、人間関係、生活能力と書く。


次に、


未来が当たれば不要になるかもしれないもの。


と書いた。


しばらく考えてから、最初に浮かんだ言葉を書く。


金のためだけの労働。


書いた直後、少し違和感があった。


僕はまだ十歳だ。


三十二歳の記憶では働いていたとしても、今の僕は二十年以上先の自分とまったく同じ人生を送るわけではない。働くことに金以外の意味があるのかどうかも、今の時点で決める必要はない。


だから「金のためだけの」に二重線を引いた。


残ったのは、労働。


その横に、判断保留。と付け加える。


未来知識は、思っていたほど当たらない。


けれど、それは悪いことばかりでもなかった。


もし二〇二六年までの出来事が何もかも分かっていたら、この先の人生は答え合わせになる。正しい日付に正しいものを買い、知っている出来事が予定通り起きるのを待つだけだ。


今の僕には、そこまでの答えはない。


だから、自分で考えなければならない。


その方が不安ではある。


けれど、少なくとも人生そのものが終わったわけではなかった。


翌週、僕は新しい予測を一つ記録した。


今度は、これまでよりかなり自信がある。


全国ニュースになる出来事だった。何が起きるかは覚えている。起きた月についても記憶がある。ただ、正確な日付までは分からない。


だから予測欄には、余計なことを書かなかった。


今月中に起きる。


期限が来るまで待った。


一週間が過ぎた。二週間が過ぎた。


何も起きない。


そして月が変わった。


僕はノートを開き、結果欄に大きくバツをつけた。


今までの外れとは違った。


少しだけ、胸の奥が冷えた。


その出来事そのものは、確かに覚えている。


ニュースを見た場所まで、ぼんやりと記憶にある。


だとすれば、年を間違えているのかもしれない。月を取り違えているのかもしれない。別の似た事件と記憶が混ざっている可能性だってある。


それとも。


僕がここへ戻った時点で、未来はもう、僕の知っていたものとは違う方向へ進み始めているのか。


結果欄のバツを見ながら、無意識に消しゴムへ手を伸ばした。


指先が触れる直前で止める。


外れた記録は消さない。


自分で決めたルールだった。


消しゴムから手を離し、代わりにその下へ一行だけ書く。


記憶は、答えではない。


しばらくその文字を眺めてから、鉛筆を置いた。


未来の記憶が完全には信用できないのなら、次に確かめるべきことがある。


僕の知っている未来は、ただ曖昧なだけなのか。


それとも僕が行動することで、本当に変わるのか。


その二つは、まったく違う。


そして、もし後者なら。


未来を知っていることよりも、未来を変えられることの方が、ずっと重要だった。


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