ニュース
翌朝、目を覚ましたときには、昨日ほど混乱しなかった。木目の天井も、隅にある黒い染みも、布団から出した小さな手も、すでに一度確認している。
二〇〇四年。そこまでは、昨日確かめた。
今日は確認ではなく、検証をする。
僕は布団の中で目を閉じ、昨日ノートに書いた予測を思い返した。正確なニュースではない。学校で起きる、ごく小さな出来事だった。
数日以内に、同じ学年の誰かが転び、足を怪我する。そのあと、しばらく松葉杖を使う。
なぜそんなことを覚えているのか、自分でも分からない。名前も曖昧で、右足か左足かも分からなかった。体育の時間だったような気もするが、それすら確信はない。ただ、三十二歳までの記憶のどこかに、妙に引っかかって残っていた。
だからこそ、最初の検証には向いていると思った。
大地震やオリンピックなら、あとから得た一般知識を自分の記憶だと思い込んでいる可能性がある。だが、小学校の同級生の怪我など歴史の本には載らない。もし当たれば、僕が持っているものが単なる二〇二六年までの一般知識ではないと分かる。
問題は、当たることを素直に望めないことだった。誰かが怪我をする。それを僕は朝から待っている。
考えるほど、気分が悪くなった。
布団を出て、机のノートを開いた。昨日書いた文字が、そのまま残っている。
数日以内。体育か休み時間。転倒。足。松葉杖。
その下には、確信度C。と書いてある。
ほとんど勘に近い。これが外れたところで、転生そのものが否定されるわけではない。しかし、当たれば意味がある。僕はしばらく文字を眺めてから、ノートを閉じた。
朝食をとりながらテレビを見ると、知らないニュースばかりが流れていた。意外なことに、それで少し安心した。
未来を知っているといっても、世界のほとんどは知らない。二十二年間を生きた記憶があっても、覚えている出来事はほんの一部だ。昨日の夕食すら曖昧なのに、二十年以上先の出来事を何でも覚えているはずがない。
今日はたぶん、その「知らない日」の一つなのだろう。
学校へ向かうころには、昨日より周囲との会話にも慣れていた。名前を思い出せない相手には、自分から呼びかけない。相手が話し始めてから短く返し、余計なことを言わない。
それだけで、かなり楽だった。
教室に入って時間割を見ると、四時間目に体育があった。その文字を見た瞬間、胸の奥がわずかに重くなる。
昨日思い出した内容と一致している。
そう考えてから、すぐに思い直した。
体育が今日だということは、前世の記憶ではなく、昨日この時間割を見たから知っているだけかもしれない。昔から持っていた記憶と、この世界で新しく得た情報が、すでに混ざり始めている。
これはまずい。
僕はノートを出し、端に一文を書き足した。
予測は事前に記録する。後から思い出した内容を追加しない。
書いてしまうと、少しだけ頭が整理された。
一時間目、二時間目、三時間目と、特に何も起こらなかった。四時間目になると、クラス全員で体育館へ移動した。
今日の授業は跳び箱だった。
それを見た瞬間、予測が外れたような気がした。記憶の中では、もっと明るい場所だった気がする。校庭を誰かが走っているような映像まで浮かんできた。
だが、それは今になって出てきた記憶だ。
信用しない。そう決めたばかりだった。
先生の号令に合わせて準備運動をする。身体は軽く、関節も柔らかい。ただし、思った通りには動かなかった。三十二歳の感覚で腕を振ると、妙に勢いがつく。筋力も、手足の長さも、重心の位置も違う。
昨日、文字を書いたときと同じだった。
頭に大人の記憶があっても、身体まで大人になったわけではない。
「次、四段な」
先生が跳び箱を示した。順番に走り、踏切板を蹴って跳んでいく。僕は列の後ろから、その様子を眺めていた。
一人目は普通に着地した。二人目も何事もない。三人目が前に出たところで、不意に胸がざわついた。
横顔を見て、名前が浮かぶ。
この子だった気がする。
しかし、その瞬間に自分で自分を疑った。本当に記憶なのか。それとも、怪我をしそうな相手を探して、勝手にそう思っただけなのか。
男子が走り出した。踏切板を踏み、両手をつき、身体が跳び箱を越える。
普通に着地した。
何も起きなかった。
「次」
先生に呼ばれ、僕の番になった。走って、踏み切って、手をつく。身体を前へ送り、そのまま床へ降りた。
足の裏から、体育館の硬い床の感触が返ってくる。
僕は小さく息を吐いた。
外れた。少なくとも、今は。
結局、体育の時間には誰も怪我をしなかった。教室へ戻るころには、肩の力が少し抜けていた。
外れることを望んでいたのかもしれない。誰かが怪我をするより、その方がいい。それに、予測は「数日以内」だ。まだ結果が出たわけではない。
昼休みになると、友達に校庭へ誘われた。
「鬼ごっこする?」
一瞬だけ迷った。三十二歳の僕なら、たぶん断っていたと思う。けれど、今の僕は十歳だった。
「やる」
走り出してみると、思っていたほど速く動けなかった。それでも、誰かに追われて逃げるのは意外なほど楽しい。周りの笑い声につられているうちに、自分まで本当に十歳に戻ったような気がしてきた。
途中で足を取られ、転びそうになる。身体が勝手に反応して両手をつき、掌に砂が食い込んだ。
痛い。
たったそれだけの感覚が、妙に現実的だった。夢でも、こんな細かな痛みまであるのだろうか。
そう考えた直後、背後から声がした。
「うわっ!」
振り返ると、一人の男子が地面に倒れていた。
さっき体育で、僕の前を跳んでいた男子だった。
一瞬、周囲の音が遠ざかったように感じた。何人かがすぐに駆け寄り、「大丈夫?」とか「足?」とか声をかけている。誰かが先生を呼びに走った。
男子は右足首を押さえ、顔を歪めていた。泣いてはいない。しかし、立とうとしても立てなかった。
やがて先生が駆けてきて、そのまま保健室へ連れていった。僕は輪の外側に立ったまま、一連の様子を見ていた。
心臓が速かった。
体育ではなかった。跳び箱でもなかった。それでも、昨日書いた言葉が頭の中で一つずつ並んでいく。
数日以内。休み時間。転倒。足。同じ学年。
当たった。
そう思った直後、自分でその結論を否定した。
小学生はよく転ぶ。足を捻ることも珍しくない。これだけで未来の記憶が証明されたとは言えない。
それでも、一つだけ否定できないことがある。
僕は事故が起きる前に、それを書いていた。
放課後、担任が教室で話をした。
「昼休みに怪我をした○○君だけど、病院に行くことになりました。しばらく休むかもしれません」
教室がざわつき、すぐに「骨折?」という声が飛んだ。
「まだ分かりません。みんなも走るときは気をつけて」
僕は何も言わなかった。
家に帰ると、すぐノートを開いた。昨日書いた予測の横に今日の日付を入れ、それぞれの結果を記録していく。
休み時間 ○
転倒 ○
足 ○
体育 ×
松葉杖 未確認
最後に、部分一致。と書いた。
完全一致ではないし、証明でもない。それでも、何もなかったことにするには一致しすぎている。
翌日、その男子は学校を休んだ。
さらに次の日、朝の教室で硬いものが床を叩く音がした。顔を上げると、男子が松葉杖をついて入ってきた。右足首には固定具が巻かれ、担任が代わりに荷物を持っている。
「折れてはいなかったって。しばらく運動は禁止だそうです」
すぐにクラスメートが集まった。どうしたのか、痛いのか、いつまで松葉杖なのか。次々に話しかけている。
僕だけは席を立たなかった。
机の中からノートを取り出し、最後に残っていた欄を見る。
松葉杖 未確認
その横に、丸をつけた。
鉛筆を持ったまま、しばらく手が止まった。
嬉しくなかった。むしろ、怖かった。
これで一つの可能性が、かなり遠ざかった。僕は三十二歳まで生きたという妙に具体的な夢を見ただけの十歳ではないらしい。少なくとも、まだ起きていない出来事について、僕の中には何らかの情報が残っている。
もちろん、一件だけでは足りない。偶然という説明はまだ消えていないから、検証そのものは続ける必要がある。
ただ、その前に別の問題が生まれていた。
僕は、この怪我を知っていた。
なら、防げたのではないか。
昼休みに走らないよう言うことはできた。体育が終わったあとに注意することもできた。先生に話してもよかったし、本人に今日は走らない方がいいと伝えるだけでもよかった。
未来を知っていると説明する必要はない。何か適当な理由をつけることくらいは、できたかもしれない。
それでも、僕は何もしなかった。
検証するためだった。
そう考えたところで、自分でもそれだけではないと分かった。
変な子供だと思われたくなかった。未来の記憶が本当に当たるのか、自分の目で確かめたかった。そして何より、説明できないことに首を突っ込んで、面倒なことになるのが怖かった。
だから黙っていた。
もちろん、僕が怪我をさせたわけではない。僕が未来を知らなくても、たぶん同じことは起きていた。
理屈としては、それで通る。
だが、実際に怪我をした男子を見たあとでは、その理屈がひどく軽く聞こえた。
未来を知るというのは、値上がりする株や暗号資産を知ることだけではない。
事故もある。病気もある。死ぬ人だっている。
もし、それを事前に思い出してしまったらどうするのか。知っていて何もしないことは、本当に知らなかった場合と同じなのか。
家に帰ってから、僕は新しいページを開いた。一番上に、未来知識をどこまで使うか。と書く。
その下に、少し間を空けて二つ並べた。
利益のため。
人を助けるため。
二つ目を書いたところで、鉛筆が止まった。
考えてみれば、後者の方がはるかに難しい。
Bitcoinなら買えばいい。自分の金を使い、自分が損をするだけなら、自分で責任を取れる。
しかし、人の人生に手を出すなら話は違う。
事故を防いだ結果、別の事故が起こるかもしれない。誰かを救ったことで、本来とは違う未来が生まれるかもしれない。未来を変えれば、それ以降に僕が知っている出来事も少しずつ当てにならなくなる可能性がある。
それに、もっと現実的な問題もある。
未来を知っていると疑われたとき、十歳の僕には何も説明できない。
大人に未来の事故を言い当て続ける子供など、普通ではない。善意で動いたとしても、相手がそれを善意として受け取るとは限らなかった。
では、全部見捨てればいいのか。
それも違う気がした。
確実に助けられる人が目の前にいて、何もしない。その選択を何度も続ければ、いずれ自分の中で何かがおかしくなる。
しばらく考えた末、ページの下に一文だけ書いた。
原則として、小さく、普通に説明できる範囲だけ。
十分な答えではなかった。
何を「小さい」と呼ぶのか。どこまでなら「普通に説明できる」のか。命に関わる場合でも同じ基準でいいのか。
決めなければならないことは、まだいくらでもある。
けれど、今の僕にはそこまでしか決められなかった。
ノートを閉じる。
最初の予測は当たった。なら、本来は次へ進める。
Bitcoin。Ethereum。そして二〇二六年、三十二歳の僕が知っていた相場。
昨日までの僕にとって、未来を知るというのは、ほとんどそれと同じ意味だった。安いうちに買い、高くなったところで売る。知識を金に変えるだけなら、考えることはずっと少ない。
だが、未来は相場だけでできているわけではなかった。
机の上に置いたノートをもう一度開く。昨日、最後に書いた一行が残っている。
当たれば、次へ進む。
その下に、今日の言葉を書き足した。
ただし、何を変えるかは別問題。
未来を知っている。
たぶん、それはもう疑わなくていい。
けれど、知っていることと、それを正しく使えることは、同じではなかった。




