中学
中学校のことを考え始めたのは、進路調査のような大げさな理由ではなかった。同じ図書室を使っていた上級生が、卒業することになったからだ。
「中学行っても図書委員やる?」
僕が聞くと、その人は少し考えた。
「分かんない」
「やらないの?」
「部活もあるし」
「何部?」
「それもまだ決めてない」
「決めてないんだ」
「普通、まだ決めてないでしょ」
言われてみれば、その通りだった。
僕は先のことを決めすぎる。十八歳で大学へ進み、家を出る。そのころにはビットコインを調べ、自分の金で買えるようにする。英語も、コンピュータも続ける。
でも、その前に中学校がある。
大学よりずっと近いのに、これまでは十八歳までの途中にある目盛りくらいにしか考えていなかった。
中学になれば、教科は難しくなる。定期試験が始まり、部活動もある。高校受験も近づいてくる。友達も先生も変わるだろう。
僕は十八歳までの計画を開き、二〇〇七年あたりに「中学」と書いた。
八年間をまとめて考えると長い。でも、中学までなら数年しかない。
なら、まずそこまでに何をしておけばいいのだろう。
数学。国語。英語。理科。運動。読書。コンピュータ。
思いつくものを書いていくうちに、また多くなった。
全部重要なら、優先順位をつけた意味がない。
数学と英語は必要だと思う。理系へ進むなら数学は避けられないし、英語は海外の情報を読むために使える。
では、国語はどうか。
本を読み、問題文を理解し、自分の考えを人へ伝える。未来知識台帳を整理するときにも、結局は言葉を使っている。
理科は面白いし、最近気になっている電気にもつながる。社会も、未来の政治や経済を少し覚えているからといって、制度や歴史を理解しているわけではない。
結局、全部必要だった。
「意味ないじゃん」
一人で呟いた。
でも、それでいいのかもしれない。
今は専門を決める時期ではない。十歳の僕が、電気電子に必要なものだけを選んで、ほかを捨てる必要はなかった。
前の人生で使わなかったものを、この人生でも使わないとは限らない。
僕は書いた一覧を消し、一文だけ残した。
中学までは、苦手を放置しない。
得意なものは伸ばせばいい。でも、「将来使わない」と決めて切り捨てるには、まだ早い。
その日の算数で、分数の問題が出た。
僕には簡単だったので、すぐに解き終えた。余った時間で別の解き方を考えていると、先生が机の横を通った。
「もう終わった?」
「はい」
「じゃあ見直ししてね」
「はい」
言われた通りに答案を見ると、一問だけ計算を間違えていた。
理解していても、実際に手を動かせば間違える。
少し前なら、「分かっている問題だから」と流していたかもしれない。今は、知っていることと正しく実行できることを分けて考えるようになっていた。
未来の記憶だって同じだ。結果を覚えていても、そこへたどり着く途中で失敗することはある。
中学校では、こういう小さな間違いが少しずつ点数に表れるようになるのだろう。
放課後、図書室で中学生向けの本を何冊か開いてみた。
数学、科学、英語。
小学生向けより文字が多く、説明も長い。全く読めないほどではないが、今すぐ全部理解できるとも思わなかった。
数ページ読んで、棚へ戻す。
「難しいの読んでるね」
先生に声をかけられた。
「中学ってどのくらい難しくなるのかなと思って」
「まだ早くない?」
「今のうちに何ができた方がいいのかなって」
先生は少し考えた。
「授業をちゃんと聞いて、本を読んで、分からないことをそのままにしないことかな」
「それだけ?」
「それができれば十分じゃない?」
僕は少し拍子抜けした。
「先の勉強はしなくていいんですか」
「したければしてもいいけど、急がなくてもいいよ」
「でも、中学って忙しくなるんですよね」
「なるね。でも、その前に小学校のことはちゃんと分かってる?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
先生が笑った。
「じゃあ、今の分からないところがなくなってから先に行けば?」
単純だった。
先に進むことばかり考えていたが、今いる場所を使えるようにしておく方が先だった。
僕は中学生向けの参考書を戻し、代わりに今習っている理科に関係する本を借りた。
帰宅してから、ノートに書く。
先取りより、穴を残さない。
少し考えて、その下にも加えた。
ただし、面白いものは先へ行っていい。
学校の勉強を全部先取りする必要はない。でも、電気やコンピュータのように、自分から知りたいと思ったものまで学年で止める必要もない。
受験のために急ぐことと、興味があるから先へ進むことは違う。
数日後、学校で中学の部活動の話になった。
「俺、サッカー」
「野球かな」
「バスケ」
「お前は?」
僕も聞かれた。
「まだ分かんない」
「走ってるから陸上じゃない?」
「陸上か」
走ることは好きになっていた。
ただ、記録を競うことまで好きなのかは、まだ分からない。毎日練習して、大会へ出て、タイムや順位を追う。それをやってみたいのかは、中学に入ってから考えればいい。
「図書委員やれば?」
「それ部活じゃないだろ」
「じゃあ読書部」
「そんなのあるの?」
「知らん」
「適当だな」
笑った。
部活は学校によって違う。実際に見なければ、何があるのかも分からない。
僕はノートに「部活は中学で見て決める」とだけ書いた。
今決める必要はない。
ただ、何か一つ入ってみるのも悪くないと思った。小学校より人間関係の範囲が広がるなら、教室以外にも居場所がある方がいい。
走ることが続いていれば、陸上部も候補になる。
その程度にしておいた。
ある日の夕食で、中学校の話が出た。
「中学に行ったら勉強難しくなるからね」
「うん」
「今のうちから勉強する癖をつけないと」
「してるよ」
「もっとしてもいいんじゃない?」
少しだけ腹が立った。
学校の勉強もしているし、英語も続けている。本も読むし、分からないことは自分で調べるようにしている。
でも、それを全部説明する気にはならなかった。
「今のところ、分からないところはあんまりないから」
「中学は違うからね」
「うん」
そこで終わらせた。
言い返して認めてもらう必要はない。それに、「中学は違う」という言葉自体は間違っていない。
環境が変われば、今うまくいっている方法が通用しなくなるかもしれない。
そのときは変えればいい。
計画は守るためにあるのではなく、次に何をするか考えるためにある。
学年が終わりに近づくころ、学校では次の学年へ向けた話が増え始めた。
教室が変わる。係も変わる。委員会も選び直す。
僕は図書委員を続けたかった。英語も、走ることも、コンピュータを調べることも続けるつもりだった。
全部をもっと増やす必要はない。
続けていれば、中学へ入るころには今より少し先にいる。
ある夜、未来知識台帳を開いた。
二〇一二年。
十八歳。
ビットコイン。
そこから逆に年をたどる。
二〇一一、二〇一〇、二〇〇九、二〇〇八。
二〇〇七年ごろには、中学生になっている。
さらにその前には、十一歳、十二歳の僕がいる。
以前は、二〇一二年までの八年間が一つの長い距離に見えていた。
今は違う。
その途中に中学校があり、その前には次の学年がある。
僕は新しいページを開いた。
中学へ持っていくもの。
読書する習慣。少しずつ続けている英語。身体を動かす習慣。学校で習ったことを放置しないこと。分からなければ調べること。コンピュータへの興味。
そこまで書いて、友達のことも考えた。
同じ中学校へ行くかもしれないし、離れるかもしれない。クラスが変われば、今の関係がそのまま続く保証もない。
だから、人の名前は書かなかった。
代わりに一つ加える。
人と関わることから逃げない。
これなら、どこへ行っても持っていける。
最後に「未来知識」と書きかけてやめた。
それは、すでに持っている。
むしろこれから必要なのは、未来知識に答えがないときにも困らないことだった。
僕は最後に書いた。
分からなければ、自分で調べて決める。
中学に入れば、小学校より選ぶことが増える。
部活をどうするか。誰と付き合うか。どの高校を目指すか。何に時間を使うか。
未来知識は、そういうことを何一つ教えてくれない。
だから今から、小さなことを自分で選ぶ。
本を選ぶ。遊ぶか断るか決める。走るか休むか考える。興味のあることを調べる。
その積み重ねがあれば、中学校で少し大きな選択が来ても、自分で考えられるかもしれない。
僕は台帳を閉じた。
机の上には、明日使う教科書が置いてある。
大学の本ではない。
中学生の参考書でもない。
今の僕が、明日の授業で使う教科書だ。
中学はまだ先にある。
だから今日は、その前にある明日の準備をした。




