友達
友達と遊ぶ時間は、投資にはならない。少なくとも、最初のころの僕はそう考えていた。
一時間遊んでも金は増えない。英単語も覚えないし、数学も進まない。コンピュータにも詳しくならない。十八歳で家を出るための準備が、その分だけ遅れる。
そう考えれば、かなり効率が悪い。
「今日、遊べる?」
学校から帰る途中で聞かれた。
「今日?」
「うん。あいつんちでゲームする」
僕は頭の中で予定を確認した。宿題、英語十五分、借りた本。時間があれば少し走る。今日中でなければ困るものはない。
「何時まで?」
「五時くらい」
今は三時半だった。一時間半あれば、本ならかなり読める。英語なら何日分にもなる。
そこまで考えてから答えた。
「行く」
「じゃあランドセル置いたら集合な」
家へ戻り、ランドセルを置いてから出かけた。友達の家にはすでに三人いて、ゲーム機の前に集まっている。
「遅い」
「まだ始めたばっかだろ」
「四人だから交代な」
「何やる?」
そこから一時間半、ほとんど何も生み出さなかった。
ゲームをして、負けて、文句を言う。順番を待ちながらお菓子を食べ、人の失敗を見て笑う。
「そこ違うって!」
「分かってる!」
「絶対分かってない」
「うるさい」
「貸せ」
「まだ俺の番」
くだらなかった。
でも、面白かった。
途中から、未来のことを考えていない自分に気づいた。ビットコインも大学も十億円も二〇二六年も忘れて、ただ自分の順番が来るのを待っていた。
五時前になり、そろそろ帰ると言った。
「早くない?」
「帰れって言われてる」
「もう一回だけ」
「一回だけな」
その一回で少し遅くなった。
家へ戻ると注意されたので、素直に謝った。自分の部屋で宿題を終え、英語を十五分だけやる。今日は走らず、本も寝る前に少し読むことにした。
全部やろうと思えばできたが、少し眠かった。
遊んだからだ。
机の前で、さっきの一時間半を考える。
将来の役には、たぶん直接は立たない。それでも、行かなければよかったとは思わなかった。
その事実だけで十分な気がした。
僕は以前、「未来のために削らないもの」の中に人間関係と書いた。でも、そのときは何を残せばいいのか、よく分かっていなかった。
たぶん、こういう時間なのだと思う。
誘われる。遊ぶ。くだらないことで笑う。また明日と別れる。
そこに将来の利益まで求める必要はない。
ノートを開き、「人間関係は必要になってから作れない」と書いた。
しかし、すぐに少し違うと思った。
大人になってからでも友達はできる。大学でも仕事でも、新しく人と知り合うことはある。
問題は、必要だから友達を作る、という発想そのものだった。
困ったとき助けてもらうため。仕事につなげるため。情報を得るため。それだけを目的に人へ近づけば、人間関係というより取引に近くなる。
僕はさっきの一文を消した。
代わりに書く。
人間関係を全部、目的で選ばない。
翌日、昨日一緒に遊んだ子からまた誘われた。
「今日も来る?」
「今日は行かない」
「何で?」
「図書室行く」
「本よりゲームだろ」
「昨日やったじゃん」
「毎日やるもんだろ」
「僕は毎日いい」
「真面目か」
昨日は行った。今日は断った。
それで何かが壊れるわけでもなかった。
友達を大事にすることと、全部の誘いに応じることは違う。相手に合わせ続けたら、それはそれで自分の時間がなくなる。
その日は図書室へ行った。
借りていた本を返していると、同級生が寄ってきた。
「何か面白いのある?」
「どんなの?」
「怖いやつ」
「どのくらい?」
「めっちゃ怖いやつ」
「夜トイレ行けなくなっても知らないよ」
「それは困る」
「じゃあ少し怖いやつ」
棚から一冊選んで渡す。
「これ?」
「たぶん」
「お前のたぶん、信用できない」
「じゃあ自分で選べば」
「借りる」
「借りるんだ」
僕は笑った。
友達と一言で呼んでも、関係はそれぞれ違う。一緒にゲームをする相手もいれば、本の話をする相手もいる。走るときだけ一緒になる子もいれば、授業中に少し話すだけの子もいる。
全員と親しくなる必要はない。
でも、全員を将来の価値で分類する必要もなかった。
未来知識台帳には、信頼度や利用価値を書く欄がある。同じことを人間にやったところを想像すると、ひどく嫌な感じがした。
仕事なら、相手によって距離を考えることもあるだろう。信用できるかどうかを判断する必要もある。
それでも、十歳の今から全員を役に立つかどうかで分けたくはなかった。
遊びたければ遊ぶ。話したければ話す。嫌なら距離を取る。
そのくらいでいい。
しばらくして、その本を借りた子が休み時間に文句を言ってきた。
「お前、怖くないって言ったのに怖かった」
「怖くないとは言ってない。少し怖いって言った」
「昨日寝られなかった」
「知らないよ」
「もうおすすめ信用しない」
「別にいいよ」
周りも笑っていたし、本人も本気で怒っているようには見えなかった。
ところが放課後になると、また図書室へ来た。
「次、何読む?」
「信用しないんじゃなかったの?」
「あれは怖いやつだから」
「今度は?」
「面白いやつ」
「全部面白いと思って薦めてるんだけど」
「じゃあ怖くない面白いやつ」
「注文多いな」
僕はまた棚を探した。
人は昨日と言っていることが違う。
怒ったと言いながら翌日には普通に話すし、嫌だと言いながらまた同じものを頼む。
未来知識なら、予測が外れれば信頼度を下げればいい。でも、人間を同じようには扱えない。
僕自身だって、数か月前とは考えていることが違う。十億円だけを見ていたころから、ずいぶん変わった。
人は台帳ではない。
それだけ覚えておけばいいと思った。
ある日、授業で四人組を作ることになった。
「好きな人同士で組んでください」
先生が言うと、教室がすぐに動き始めた。
こういう時間は少し苦手だった。自分から声をかけるべきか、それとも待つべきか。三十二歳まで生きた記憶があっても、この手の判断が得意になった覚えはない。
「一緒やろ」
後ろから声をかけられた。
何度か一緒に遊んだ子だった。
「いいよ」
そこへ二人加わり、すぐ四人になった。
ほんの数十秒だった。
それでも少し嬉しかった。
以前、一人だけ余ったときは妙に傷ついた。誰かに選ばれることが人間の価値ではないと分かっていても、「一緒やろ」と言われれば嬉しい。
その感情まで、将来の効用に変換する必要はなかった。
嬉しいから嬉しい。
それでいい。
家へ帰ってから、十八歳の生活を想像してみた。
大学へ行き、一人で暮らす。勉強して、アルバイトをして、英語を続け、必要なら投資について調べる。
一人の方が予定は立てやすい。誰かに合わせなくていいし、未来知識を隠すという意味でも安全かもしれない。
でも、そのままずっと一人で完結する生活を続けたら、人と付き合うことそのものを避けるようになる気がした。
三十二歳の記憶があるから必要ない、とは思えない。
友達になる。誘う。断る。断られる。喧嘩する。謝る。一緒に何かをする。
こういうことは、本を読んでも身につかない。
僕は十八歳までに身につけるものの「人と付き合う経験」の横に、一文だけ足した。
一人で完結しない。
その週末、今度は僕から声をかけてみた。
「今日、遊べる?」
「いいよ」
返事はあっさりしていた。
「何する?」
「まだ決めてない」
「決めてないのに誘ったの?」
「遊べるか先に聞いただけ」
「じゃあゲーム」
「また?」
「嫌なら外」
「外行くか」
何人か集まり、結局ボールを持って公園へ行った。
途中で飽きて、座って話す。誰かがお菓子を買ったので、僕も百円だけ使った。
以前なら、この百円を八年間貯めたらいくらになるかと考えたかもしれない。
今は考えなかった。
遊ぶ日に百円使うことと、十八歳で投資資金を用意することは両立できる。十歳の百円玉を全部守らなければ成立しない計画なら、そもそも計画の方に無理がある。
夕方、公園を出る。
「またな」
「また」
「明日は?」
「図書室」
「お前ほんと本好きだな」
「うん」
今度は迷わず答えた。
その夜、ノートを開いた。
人間関係。
何度も書いてきた言葉だった。
その下に三つだけ残す。
金にならなくても切らない。
嫌なら断る。
自分からも誘う。
友達の人数に目標はいらない。完全に孤立しないように、自分から全部閉じなければそれでいい。
未来知識には、大きな欠点がある。
そこに載っているのは、一度目の人生で僕が知ったものだけだ。
これから新しく出会う人は載っていない。大学の同級生も、仕事で会う人も、その先で親しくなる誰かも知らない。
ビットコインより、イーサリアムより、エヌビディアより、ずっと予測できない。
でも、不確実だからと避け続けたら、僕は一度目の人生で知っているものしか選べなくなる。
それでは、二回目の人生ではない。
一回目の人生の再放送だ。
僕はノートの最後に書いた。
知らない人に会う。それを恐れすぎない。
未来知識は、友達について何も教えてくれない。いつ仲良くなるかも、いつ喧嘩するかも、何年後まで付き合っているかも分からない。
だから、付き合ってみるしかない。
翌日、学校へ行くと声をかけられた。
「昨日どうだった?」
「普通」
「何した?」
「公園」
「呼べよ」
「次来る?」
「行く」
未来知識台帳には書かない約束が、また一つ増えた。
何年後まで覚えているかも、何かの役に立つかも分からない。
それでも、そのくらいの予定がある方が、明日は少し楽しみだった。




