英語
英語を始める理由は、かなりはっきりしていた。
未来知識台帳に書いてある重要なものの多くは、日本の中だけで完結しない。ビットコイン、イーサリアム、エヌビディア、コンピュータ、半導体、論文、海外の大学。新しい技術ほど、最初の情報は英語で出てくることが多い。
二〇一二年にビットコインを買うとしても、そのころ日本語だけで十分な情報が手に入るとは限らない。仕組み、送金方法、保管方法、ソフトウェア、掲示板。問題が起きたとき、自分で元の情報を読めた方がいい。
それに、未来の記憶が全部外れても英語は残る。大学へ進んでも、技術者になっても、研究をしても使える。十八歳までに身につけておくものとしては、かなり都合がよかった。
問題は、どこから始めるかだった。
三十二歳までの記憶には、学校や受験で英語を勉強した経験も残っている。簡単な単語や文法なら分かるし、英文もある程度は読めた。
ただ、どこまで覚えているのかは自分でも分からない。
家にあった英語の本を開いてみた。
apple。
book(本)。
school(学校)。
friend(友達)。
このくらいなら当然分かる。少し長い文章も読めたが、難しくなるにつれて知らない単語が増え、文法も「こんな感じだった」という記憶に頼る部分が出てきた。
三十二歳まで生きたからといって、辞書を一冊覚えているわけではない。
何より、文字なら分かるのに、音になると急に怪しくなることを覚えていた。
知っている単語なのに聞き取れない。文章なら読めるのに、話されると意味が入ってこない。
前と同じことを繰り返す必要はない。
僕はノートに書いた。
英語をやる理由。
情報を読む。
大学で使う。
技術を学ぶ。
海外も選べるようにする。
最後の一つで、少し手が止まった。
海外へ行くことは、まだ人生計画に入っていない。大学は日本の国立を考えているし、家を出て生活を安定させるだけでも金がかかる。
でも、行くと決めることと、行ける状態にしておくことは違う。
英語ができれば、日本に残ることも海外へ行くことも選べる。できなければ、そもそも比較するところまで行けない。
だから消さなかった。
勉強は一日十五分から始めることにした。
毎日何時間もやるつもりはない。英語だけで八年間を使うわけではないし、今は学校も遊びも図書室もある。
十五分なら短い。
でも、短いから続けられる。
最初は音を聞くことにした。文字を見て意味を覚えるだけでなく、聞いた音を真似して声に出す。
「This is a pen.(これはペンです。)」
口にしてから、少し笑いそうになった。
未来から二十二年前へ戻ってきて、本気で練習する最初の英文がこれなのか。
それでも、基礎は基礎だった。
教材の音を聞き、何度か繰り返す。自分の発音が正しいかは分からない。ただ、文字から想像した音ではなく、聞こえたものを真似するようにした。
しばらくして、学校でも英語に触れる時間があった。
「Hello.(こんにちは。)」
「How are you?(元気ですか。)」
みんなで先生のあとに続いて声を出す。
内容は知っている。それなのに、先生が続けて少し速く話すと、意味が一瞬遅れて入ってきた。
やっぱりだ。
頭の中に記憶があっても、耳まで昔の状態に戻っているわけではない。聞くことには、聞く練習が必要だった。
授業のあと、友達が言った。
「英語むずくない?」
「まだ簡単じゃない?」
「ハローしか分からん」
「それ分かればいいんじゃない」
「外国人来たらどうすんの」
「ハローって言う」
「そのあと」
「逃げる」
二人で笑った。
本当は、八年後に逃げたくなかった。
英語の説明しかないソフトウェアを前にしても、知らない単語があるというだけで諦めたくない。
その日の夜は、アルファベットの音から確認し直した。
知っているつもりのものほど、一度確かめる。
英語だけの話ではなかった。未来の記憶でも、「知っているつもり」が一番危ない。
十五分の勉強は、数週間でだいたい習慣になった。
毎日はやらない。疲れていれば寝るし、遊んで帰りが遅くなれば飛ばす。それでも週に何日か続けていると、読めるものは少しずつ増えていった。
細かい記録はつけなかった。
何分勉強したか。何語覚えたか。何ページ進んだか。
全部を数字にすると、その数字を増やすことが目的になりそうだった。
一か月に一度、前より読めるか確かめる。それくらいでいい。
図書室でも、見る棚が増えた。
児童向けの英語の本や、英語と日本語が並んだ絵本を開く。最初は勉強のためだったが、読み比べていると内容そのものが面白くなってきた。
日本語では一つの言葉で書かれているところが、英語では別の表現になっている。同じ話なのに、少し印象が違う。
「何してるの?」
図書室の先生に聞かれた。
「日本語と英語を比べてます」
「英語読めるの?」
「少しだけ」
「好きなの?」
僕は少し考えた。
「まだ分かりません」
「また分からないんだ」
先生が笑った。
「でも、続いてるなら嫌いではないんじゃない?」
たしかにそうかもしれない。
英語そのものが好きかどうかは分からない。でも、読めなかったものが少しずつ読めるようになるのは面白かった。
知らなかった場所に、入口が増えていく感じがする。
その感覚を初めてはっきり意識したのは、家のパソコンを使っていたときだった。
ソフトウェアについて調べていたのだが、日本語のページでは欲しい説明が見つからない。検索結果の中に、一つだけ英語のページがあった。
開いてみる。
知らない単語ばかりだった。
それでも、見出しや数字、知っている単語を拾えば、何について書いてあるかくらいは分かる。辞書を引き、一文読む。また分からない単語を調べる。
遅かった。
日本語なら数分で終わることに、何倍も時間がかかる。
それでも最後には、探していた情報らしい部分までたどり着いた。
僕は画面を見ながら、少し嬉しくなった。
これだと思った。
英語を勉強する理由は、試験で点を取るためだけではない。
日本語で書かれていないものまで、自分で探しに行ける。
二〇一二年にビットコインを調べるとき、日本語の記事だけで足りなければ英語を読めばいい。公式の説明やソフトウェアの情報を、誰かの翻訳だけに頼らず確認できる。
そしてビットコインが記憶通りにならなかったとしても、その力は消えない。
その後、学校で「行ってみたい国」について話す機会があった。
アメリカ、オーストラリア、フランス。周りからいろいろな国の名前が出る。
「どこ行きたい?」
僕も聞かれた。
少し考えてから答えた。
「アメリカかな」
「なんで?」
「コンピュータとか、すごそうだから」
「ゲーム?」
「ゲームも」
「じゃあ俺も」
その程度の会話だった。
でも、その日の夜、僕はノートの端に「海外」と書いた。
その横に続ける。
行くとは決めない。選べるようにする。
国立大学も、電気電子も、技術者も、今のところ有力だと思っているだけだ。
英語を続けていれば、十八歳の僕には今の僕が知らない選択肢が見えているかもしれない。
それなら、その方がいい。
ある晩、未来知識台帳を開いた。
ビットコインの欄には、存在についての記憶は強いが、時期や価格になるほど曖昧だと書いてある。その下には、保管について注意するよう昔の僕が残した記述もあった。
二〇一二年になったとき、何を信用すればいいのか。
今の僕には分からない。
だから、その時点で調べる。
僕は欄の端に一文を加えた。
英語で一次情報も確認する。
書いてみると、十八歳の自分が少しだけ想像できた。
大学へ進み、自分のパソコンを使い、英語のページを辞書を引きながら読んでいる。ビットコインを本当に買うかどうかは、そのときの僕が決める。
そうなる保証はない。
でも、もしその日が来たとき、「英語が読めないから分からない」で終わるのは避けたい。
僕は台帳を閉じた。
机には学校の教科書と、薄い英語の本が置いてある。
二〇一二年まであと何日あるのか、一瞬数えようとしてやめた。
毎日数える必要はない。
今日は十五分やった。
明日も、できれば十五分やる。
未来を知っているからといって、未来へ急ぐ必要はなかった。
その未来に着いたとき、自分で読んで、自分で確かめ、自分で選べればいい。




