飛び石
十八歳まで、あと八年。
二〇二六年まで、あと二十二年。
数字にすると長い。
けれど未来知識台帳を開くと、そこには二〇一二年、二〇一三年、二〇一五年、二〇一七年、二〇二〇年と、いくつかの年だけが飛び石のように並んでいた。
その間がない。
僕は未来を知っている。
そう思っていたけれど、二十二年間の毎日を覚えているわけではない。むしろ、知らない日の方が圧倒的に多かった。
二〇一二年にはBitcoinがある。それは覚えている。
では、その前日の夕食は何だったか。
知らない。
二〇一七年にEthereumが大きく上がった。その記憶もある。
でも、その年の僕がどこに住み、誰と昼食を食べているのかは分からない。
二〇二〇年には感染症が世界中へ広がる。
それでも、その日の朝に自分がどこで目を覚ますのかは、もう分からなかった。
僕は机の上に白い紙を広げた。
真ん中に一本の線を引く。
左端に二〇〇四年、十歳。
右端に二〇二六年、三十二歳。
その間に一年ずつ目盛りをつけ、覚えている出来事を書き込んでいった。
二〇一二年、Bitcoin。
二〇一三年、上昇。
二〇一四年、Mt.Gox。
二〇一五年、Ethereum。
二〇一七年、大きな上昇。
二〇二〇年、新型コロナとその後のNVIDIA。
二〇二二年、戦争。
書き終えて、紙を眺めた。
空白だらけだった。
二〇〇四年から二〇一一年までは、投資に使えそうな記憶がほとんどない。その先にも、覚えているはずなのに今すぐ思い出せない年がいくつもある。
未来を大量に持っているつもりだった。
でも、紙に置いてみれば違った。
僕が持っているのは未来そのものではない。
いくつかの目印だけだった。
その目印と目印の間は、普通の人生と同じように自分で歩くしかない。
僕は今度は、自分について分かっている予定を書き込んだ。
二〇〇四年、十歳。
二〇〇七年ごろ、中学生になる。
二〇一〇年ごろ、高校へ進む。
二〇一二年、十八歳。大学進学。原則として家を出る。
そこで鉛筆が止まった。
その先は、まだ決まっていない。
大学院へ行くのか、働くのか。何を学ぶのか。どこに住むのか。
前の人生なら答えはある。
でも、この人生でも同じ答えになるとは限らない。
以前なら、空いている場所を全部埋めようとしたかもしれない。
今は、空白のままでいいと思った。
決まっていないものまで、十歳の僕が決める必要はない。
ただし、何も準備しなくていいわけではない。
僕は二〇一二年までの部分を鉛筆で囲んだ。
ここまでは、今から準備できる。
大学へ進めるだけの学力をつける。身体を壊さない。家事を覚える。金を管理する。人と関わる。必要なことを自分で調べられるようになる。
英語もやる。
そして十八歳になったら、その時点の現実を見る。
Bitcoinが記憶通り存在するなら調べる。
仕組み。市場。保管方法。税金。
未来を知っているから調べなくていい、とはしない。
むしろ逆だった。
値上がりすると信じている人間の方が、都合のいい情報だけを見る危険がある。
知っているつもりだからこそ、確認する必要がある。
僕は紙の余白に一文だけ書いた。
未来が外れても残るものを先に作る。
これなら、Bitcoinが消えても困らない。Ethereumが記憶と違っても、NVIDIAが上がらなくても使える。
未来知識だけに頼った人生なら、未来が変わった瞬間に壊れる。
自分自身に残るものなら、未来が変わっても持っていける。
それからしばらく、学校では特別なことをしなかった。
授業を受け、休み時間には遊び、昼休みには図書室へ行く。家に帰れば宿題をする。
忘れ物もした。
友達と言い合いになった日もある。
先生に注意されたこともあった。
少し前なら、「二回目なのに」と思ったかもしれない。
でも、考えてみれば前と違う人生を選んでいるのだから、前にはしなかった失敗も起きる。
二回目だから、何でも一度で正解できるわけではない。
ある日の図書室で、以前本を薦めた低学年の子に呼び止められた。
「次、何読めばいい?」
「前の本、どこが面白かった?」
「冒険するとこ」
「怖い話は平気?」
「ちょっとなら」
「長いのは?」
「嫌」
僕は棚を見回し、一冊抜いた。
「じゃあ、これかな」
「これ?」
「たぶん」
「たぶん?」
「読んでみないと分からないから」
「面白くなかったら?」
「返せばいいよ」
「いいの?」
「図書室だから」
その子は本を抱えてカウンターへ向かった。
僕はその背中を見ながら、少し考えた。
絶対に正しい一冊を選ぶ必要はない。
読んでみて、違えば戻せばいい。
人生は本ほど簡単ではない。
それでも、選び直せることは思っているより多いのかもしれない。
進学先も、仕事も、住む場所も、一度選んだ瞬間に全部が決まるわけではない。
だから、最初から完璧な未来を作ろうとしなくてもいい。
間違えたときに、次を選べる状態を残しておく。
十億円を目指す理由も、結局そこにつながっていた。
週末、僕は未来知識台帳を最初から読み返した。
最初のページには、未来を確認する、予測する、当てる、利用する、といった言葉が多い。
後ろへ進むにつれて、少し変わっていた。
信頼度。
自立。
健康。
人間関係。
余白。
まだそれほど時間はたっていない。
それでも、最初に考えていた計画はすでに何度も書き換わっている。
なら、十八歳の僕が今の計画を捨てていても不思議ではない。
それでいい。
このノートは、未来の自分への命令書ではない。
昔の自分が何を知り、何を考えていたかを残すためのものだ。
僕は新しいページを開いた。
十八歳の僕へ。
そう書いてから、少し考えた。
今の予定では、大学へ進み、家を出る。そのうえで自分の金を用意し、Bitcoinを買うつもりだ。
でも、そのころ事情が違っていれば変えていい。
Bitcoinが記憶と違うなら買わなくていい。
別にやりたいことが見つかっているなら、それを選んでもいい。
ただ、自分の生活を自分で決められる状態にはなっていてほしい。
そこまで書いて、さらに下へ進む。
三十二歳の僕へ。
鉛筆が止まった。
二〇二六年。
前の人生で、僕が知っている最後の年だ。
そこから先について、今の僕には記憶がない。
三十二歳の僕がどこにいて、何をして、誰と暮らしているのかも分からない。
十億円を持っているかもしれない。
持っていないかもしれない。
考えても仕方がなかった。
だから、一行だけ書いた。
三十二歳の僕へ。
その先を、自分で決められるようになっていますか。
そこで終わりにした。
ノートを閉じ、机の上の年表を見る。
二〇二六年まで、あと二十二年。
長い。
でも、その二十二年が一本の線として待っているわけではない。
未来知識にあるのは、ところどころに置かれた飛び石だけだ。
その間には、まだ何も書かれていない日がいくらでもある。
翌朝、目を覚ます。
見慣れてきた天井と、黒い染みが目に入った。
もう、日付を確認しようとは思わなかった。
今日は今日だ。
二〇二六年へ行くための一日ではない。
二〇〇四年を生きる、十歳の僕の一日だった。
僕は未来知識台帳を机の奥へしまい、今日使う教科書をランドセルに入れた。
未来は、まだ二十二年先にある。
だから急ぐ必要はない。
飛び石の間を埋める時間まで、未来のために使い切る必要もなかった。
ランドセルを背負い、学校へ向かう。
今日のことは、未来知識台帳には書かれていない。
だから今日は、自分で生きるしかなかった。




