72.昇天
ニール様の執務室のソファで、私はニール様とキスをしていた。
私は目をつむって、ただ、唇にふれるニール様の感触に身を任せていた。
さっきまで、胸がザワザワ痛痒かった。
涙が出そうだった。
今も胸が、締め付けられるようにキューッとしている。
やっぱり涙が出そうになる。
すっとニール様が離れる。
私は咄嗟に目を開けたけど、銀の前髪がお顔にかかっていて、ニール様の表情はよく分からない。
私は離れたくなくて、両手を伸ばした。
「ニール様、もっと……」
「……あなたは本当に分かっていませんね……」
ニール様は銀の前髪の上から頭を押さえた。
「分かっています! 私は大丈夫です! 最後まで……」
「いいえ、ダメです」
ニール様は、私を抱き起こして再びソファに座らせた。
「婚約パーティーの後には結婚式があります。もし身重になってしまったら、体に負担がかかります。私はあなたのことは大切にすると決めています。お願いですから、私をダメな男にしないでください」
ニール様は私の両肩に手を置いて頭を下げる。
「ひ、避妊をすれば……」
私の言葉に、ニール様は私の肩に乗せていた手をだらりと下ろした。
「ココ、そういうことではありません。これはケジメなのですよ……」
ニール様はうつむいたまま言う。
ケジメかぁ……。
大切にされているのだから喜ぶところなのに、ガッカリしている自分にガッカリだ。
なんか私、前世のせいもあるんだろうけど、ガツガツしすぎだよね。
このままではニール様がドン引きしてしまう。
「ニール様、ありがとうございます。私も我慢します。でもキスは毎日しませんか? キスで子どもは出来ませんので、安心です!」
私はうつむいているニール様を覗き込んだ。
私としては最大の譲歩だったのだが、ニール様はソファからスクッと立ち上がり、顔を隠すように後ろを向いた。
「ココ、元気になったのなら戻りますよ。マーチさんが心配しています」
「あ、あの、3日に1回ではどうですか? あ、口じゃなくて、ほっぺでもいいです!」
私も立ち上がってニール様の前に回る。
パッと見上げたニール様のお顔が、真っ赤になっているのを、私は見逃さなかった。
「ニール様……」
「あなたは、本当に! 結婚したら覚悟しておいてくださいね!」
ニール様は赤い顔のまま叫ぶ。
え! け、結婚したら覚悟って、もしかして、毎日めちゃくちゃ激しかったり……!?
私は私の想像の域を超えた想像をしようとして……、見事に昇天した。
私の体が床にバターンッと倒れる。
「ちょ、ココ!? お母様が中にいない時に昇天はしないでください! ああ、もう!」
ニール様は急いでしゃがみ込んで、同じく幽体離脱をする。
傍から見ると、急に意識を失って倒れた男女である。
もちろん戻った後、ニール様に叱られたのだけど……。
侍女部屋に戻ってきた私は、ベッドに座り、母から治療を受けていた。
というのも、昇天した時に床で頬を擦りむいてしまったのだ。
「すみません、ココ。支えてあげられなくて……」
私の擦り傷を覗き込みながら、ニール様が謝る。
「いえ、ニール様のせいではありません。私が勝手に昇天しただけですので……」
「ココ、今度からは寝転んでから昇天とやらをしなさいね」
母が私の頬に消毒液を塗りながら冷静に無理難題を言う。
「お母さん、寝転ぶほど冷静なら昇天しないのよ……」
「あなたは本当に全てが予測不可能な大迷惑令嬢ですね!」
クロックさんが腕を組みながら不機嫌を隠さずに言い放つ。
私はムッと顔をゆがませた。
その言い方はさすがにひどくない?
元はと言えば、クロックさんの手が早すぎるのが原因なんだけど!?
「私はあなたの父親になる覚悟までしたのですよ! なのに何ですか、ニール様とイチャコラして昇天して顔に怪我をするって……」
「え? 今なんて言いました? 父親?」
私が目を見開いてクロックさんを見ると、母が「ココ、安心して?」と言った。
「何があっても私はココのお母さんなの。だからこのお腹の子はココの弟だし、執事さんはココのお父さんでもあるの。神官長と宰相様と侯爵様と執事さんの4人の愛情は薄いかもしれないけど、足せば何とかなるでしょう?」
救急箱を片付けながら淡々と話す母に、私はポカンと口を開けた。
えーと、つまり、愛情が薄い「お父さん」でも、数でおせばオッケーってこと?
なに、その理論!?
しかも、クロックさんの私への愛情はどう見てもマイナスだから、足したら結果的に減っちゃうよね!?
ふと見ると、ニール様がしゃがみ込んで顔を伏せて肩を震わせている。
完全に笑っている……。
「私は覚悟を決めました。どうぞお好きに呼んでください」
クロックさんは大真面目に言っている。
なるほどね。
クロックさんと女版クロックが話し合うと、こういう結論になるのね。
私はウンウンと納得した後、立ち上がった。
「分かりました! クロックさんのことは、『師匠』とお呼びします!」
「はあ!? 何故『師匠』なんですか!?」
「だって、冷静に考えて『お父さん』はややこしいです。たった36年の人生で4回結婚をする人は、私からするとやはり『師匠』です。それに、心の中で長らく『師匠』と呼んでいたので一番自然に呼べます!」
私の堂々とした宣言に、ニール様がブハッと吹き出した。
「いやぁ、一件落着して良かった良かった! ね、師匠?」
ニール様は立ち上がって、師匠の肩をポンと叩いた。
「ニール様っ……!」
「ココがいいのなら、『師匠』にしましょう。ココ、今気付いたのだけど、このケガはお祈りで治せるのではないの?」
母の言葉に、「ちょっとマーチさん!?」と師匠が声を上げているが、もちろん母も私も完全無視である。
「あ、確かに! 『変化の祈り』でも治せるけど、ジュリー様に中に入ってもらえば『浄化の祈り』ですぐ治せるよ!」
「ココ、私にやらせてください!」
ニール様が私の肩に手を乗せて真剣な眼差しを向けてくる。
いや、だから、なんでそんなに試したり練習したりが大好きなんですか……?
「ちょっと、私の話も聞いてください!」
「クロックさん」改め「師匠」の声が、侍女部屋にむなしく響いていた。




