70.母の妊娠
約10ヶ月ぶりにリリアンと会えた日だったが、母の体調が悪いのなら、のんびりお茶をしている場合ではない。
フルーツタルトは半分をスターツリー商会へのお土産にし、リリアンとは来週改めて会う約束をした。
スターツリー商会長と息子は仕事で来週もコイラーン侯爵家に訪れることになっていたので、ちょうど良かった。
リリアンと同じ黒髪で背の高いリリアンの旦那様は、リリアンをずっと気遣っていた。
リリアンが幸せに暮らしていて、本当に良かった。
しかし、母の方は全然良くない!
早々に到着したお医者様は、
「はい、かすかに心音が聞こえますし、月のものが来ていないことと、行為の日から考えてご懐妊と見て間違いありません。おめでとうございます」
とにこやかに宣言したのだ。
「ありがとうございました」
母は侍女部屋のベッドから起き上がり、平然とお礼を言い、お医者様を見送った。
医者が出ていった後の侍女部屋で、呆然とする私と落ち着いている母の目が合う。
「お嬢様、本日はご友人との再会の日でしたのに申し訳ありませんでした」
「い、いやいやいや! そんなことどうでもいいよ! てか、なんでそんなに冷静なの!? このお屋敷に来てからってことだよね? お母さんを襲ったヤツは誰なの!?」
私は淑女とは思えないほどの大声を出す。
「ココ、落ち着いて。襲われては……」
「私、クロックさんに文句言ってくる! どうしてリリアンの時みたいに、危ないヤツを排除してないのよ! ていうか、今からソイツを締め上げてくる!」
私がドアに手をかけると、そのドアがコンコンとノックされた。
母が「どうぞ」と言う。
入ってきたのは、侯爵様とニール様とクロックさんだった。
侯爵様の肩にはジュリー様がいて、「ココさん、降霊してもよろしいですか?」と言う。
私は「もちろんです」と頷きながら、侍女の妊娠で侯爵様とニール様まで来るのは変だという違和感を覚えていた。
も、もしかして、母のお腹の子は侯爵様の……!?
「ココさん、違いますわ。落ち着いてお話を聞いてください」
ジュリー様の声が私の心に優しく響く。
落ち着いて?
落ち着かなくちゃいけないことって、ま、まさか、ニール様なの!?
それで、だから、キスとか、なくなって……
今度は、母に婚約者を寝取られた件!?
私の幽体がすうっと体から抜けて天井へ向かう。
「ああっ、ココさん! ニール、ココさんを捕まえてください! そして早く説明してください!」
私(ジュリー様)がニール様に向かって叫ぶ。
「ココ!」
ニール様が叫ぶと同時に、バターンとニール様の体が倒れる。
「ニール!?」
「ニール様!?」
侯爵様とクロックさんの驚愕の声が重なる。
「ニールは大丈夫です! それよりココさんです! 捕まえましたか!?」
騒然とする侍女の部屋で、母だけが呆然としていた。
「私の子です」
クロックさんは表情を崩さずに言う。
「そんなわけありません。クロックさんはもうすぐおじいちゃんになります。おじいちゃんなのに、息子ができるのはおかしいです」
私は母と一緒にベッドに座り、プイッと横を向く。
「本当に面倒くさいご令嬢ですね。そういうこともございます」
クロックさんは顔を引きつらせながら答える。
侯爵様は仕事があるのですでに退出しており、ジュリー様も心配そうにしていたが侯爵様について出ていった。
侍女の部屋には私と母とクロックさんとニール様がいた。
ニール様は書き物用の椅子に腰掛けており、クロックさんは立っている。
「じゃあ、この子はリリアンの弟で、私はお母さんの娘だから私の弟でもあって、私とリリアンは姉妹で、クロックさんは私のお父さんですか!?」
私は手をブンブン振りながら早口で言う。
「だいぶ混乱してますね……」
ニール様が呟く。
「あなたのお父さんはセドリック・シスネロス神官長でしょう!」
クロックさんは心底嫌そうに叫ぶ。
「でもお父様とお呼びしたことはありません!」
私も負けじと叫ぶ。
「では、アシュリー・シスネロス宰相をお父様と呼んで下さい! 書類上あなたの父親です!」
「アシュリー様にはお父様ともお兄様とも呼ぶなと言われました!」
私の言葉に、母は「ココ……」と呟く。
「ココは私と結婚するのですから、ロミオ・コイラーン侯爵がココのお父様になりますよ」
ニール様は椅子から立ち上がって、ベッドに座っている私の前にしゃがむ。
「うう、おとーさま……」
私は顔を覆う。
「……いや、今、公爵令嬢のお父さんはどうでもよくないですか!? マーチさんのお腹の子が私の息子って話をですね……いや、何故息子なのですか? 今の時点で性別が分かるわけないでしょう!?」
クロックさんは頭をかきむしる。
「ココ、この子は男の子なの?」
母はお腹に手をあてて私を覗き込む。
私はコクコクと頷く。
「あら、それは良かったですね、執事さん」
母は笑顔でクロックさんを見る。
「良かったですね、おとーさん」
ニール様も笑顔でクロックさんを見る。
「ニール様のお父さんではありません!」
「そうですか? 私とココは結婚しますので、クロックは私のお父さんということに……」
「ニール様は完全にわざとおっしゃってますよね!? さらにややこしくするのはやめて下さい!!」
ニール様はアハハと笑うと、うつむいている私をひょいと抱き上げた。
「私はココを落ち着かせますのでお二人は結婚の段取りなど今後のことをお話しください。コイラーン侯爵家のためだと理解していますが、ココの母親はマーチさんしかいません。そこは変えないでください」
「はい。承知いたしました」
母は頭を下げた。
ニール様は私を前に抱きかかえたまま、侍女部屋を出ると通路を歩いていく。
「……ニール様、歩けます……」
私は小声で言う。
本当はちゃんと分かっている。
母は襲われたわけじゃない。
家族を作ろうとしたのだ。
母には本当の自分の子どもが産まれる。
じゃあ私は、私は誰の子なの……?
シスネロスでは、私はよそ者だった。
神官長の娘のように振る舞えば、メアリー様を傷つけてしまうから、あえて情を出さないようにしていた。
本当の母のお墓参りさえ、行きたいとは言えなかった。
アシュリー様もジュリー様には優しかったけど、私には一線引いていた。
前世では厄介者として神様に殺された。
今世でも災厄を起こす厄介者で、死んでも構わない存在だった。
「うっ、ふっ、うぐっ……」
嗚咽とともに、涙があふれる。
「……ココ、私は何度でも言います」
ニール様は、自身の執務室に、私を抱えたまま入った。
「あなたが塞ぎ込んだら私が耐えられません。いくらでも慰めます。私を頼ってください」
ニール様はそう言うと、私を強く抱きしめた。




