65.サイモン・グローカル公爵
サイモン・グローカル公爵は、朝から落ち着きがなかった。
今日の午後、グローカル公爵家にニール・コイラーン侯爵子息と婚約者のココ・シスネロス公爵令嬢が訪ねてくるからだ。
ニール・コイラーン侯爵子息は、この国の貴族社会では有名人だ。
見た目の麗しさもさることながら、何と言っても6年前の婚約破棄騒動だ。
しかも、その後はどの令嬢にも見向きもせず独身を貫いている。
円満な婚約解消だったと言われてはいるが、婚約者だった女性は今やクレアール公爵夫人であり、クレアール公爵家とコイラーン侯爵家は絶縁状態が続いている。
婚約破棄理由は貴族のご夫人やご令嬢の間でかなり邪推され、薄幸の貴公子の心の隙間を埋めたい令嬢が後を絶たない。
実際グローカル公爵も頼まれて二度ほど令嬢を紹介しようとしたことがある。
しかし、紹介する前にその話はなくなった。
その頃のニールは、顔色も悪く明らかに気落ちしていたからだ。
あの状態の彼に、そんな気になれないと言われてしまったら、無理強いなど出来るはずもない。
その上、隣国との貿易の話が持ち上がったせいで、お母上を殺されたのだ。
ジュリー・コイラーン侯爵夫人が殺されたのは侯爵家のせいではない。
たが、貿易再開の条件として提示されたのは、シスネロス公爵家で手に余りひた隠しにしていた問題令嬢とニールとの結婚だった。
これはグローカル公爵の憶測だが、ココ・シスネロス公爵令嬢はニールを見たことがあるのだろう。
そしてニールの見目を気に入り、ワガママを言ったのだ。
今日の紹介の場で、公爵令嬢があまりにもひどい振る舞いをするようなら、貿易云々などと言わず、隣国のシスネロス公爵家に抗議文を送ることもいとわない、とグローカル公爵は心に決めていた。
◆◆◆
私はグローカル公爵領に向かう馬車の中で、ニール様にグローカル公爵について尋ねていた。
「貴族にしては珍しく、とても誠実で良い方ですよ」
ニール様は笑顔で答えてくれた。
私はホッとしていた。
ニール様がそう言うのなら間違いない。
が、同じ馬車内にいたクロックさんがあきらかに顔をしかめている。
「クロック、異論でもあるの?」
ニール様はニヤッと笑う。
「いえ、異論はございません。グローカル公爵様は良い方です」
クロックさんは面倒くさいのか、顔を背ける。
このやり取りで、さすがの私もニール様が何か企んでいることを理解した。
「ニール様、何をお考えですか?」
「何をって、可愛いココを紹介する日を楽しみにしていただけですよ」
ニール様は良いお顔でニコッと笑う。
か、可愛い、ですと!?
私は真っ赤になり、「そ、そうですか!」とぎこちなく答えた。
クロックさんの深い溜息が聞こえてきたが、もちろん私はそれどころではなかった。
グローカル公爵家に到着すると、ニール様と私とクロックさんは公爵家使用人により庭園に案内された。
庭園はとても広く、ちょっとした植物園のようだった。
柵のように剪定されたマキの木の通路を歩きながら私は「わぁ」と感嘆の声をあげていた。
色とりどりの季節の花々の花壇はきちんと手入れされており、常緑樹も剪定が行き届いている。
私は村で畑仕事をしていたので、植物の生命力がとてつもないことをよく知っている。
雑草は永遠に生え続けるし、剪定を怠るとあっという間に木々は道を塞ぐのだ。
コイラーン侯爵家にも庭園があり庭師が常勤しているが、ここまで広くはない。
目の前に白いガゼボが見えてきた。
まさか、今日はあのおしゃれな場所で庭園を眺めながらのお茶なのだろうか。
これは楽しみである。
ね、ジュリー様!
私はピタリと歩みを止めた。
そうだった。
ジュリー様は私の中に今はいないのだった。
「ココ?」
ニール様が急に立ち止まった私を振り返る。
ニール様が心配していたのは、これだったんだ。
私はジュリー様が私の中にいることが、当たり前になりすぎているのだ。
一つの人格になりかけていたと言ってもいいくらいに、私たちは繋がっていた……
呆然とする私の手をニール様はギュッと握った。
「……ニール様」
「いくらでも慰めると言いましたよ」
顔を上げると、優しい目のニール様が視界に入り、私はホッとする。
「どうされましたか?」
男性の声に振り向くと、そこにはグローカル公爵と思われる50代の男性が立っていた。
白髪混じりの焦茶の髪で中肉中背の優しそうな男性は、私に目線を向けると表情を変えてジロリと睨んできた。
あ、あれ?
誠実で良い方だと聞いていたけど、私は嫌われている?
確かに私は問題令嬢設定だけど……
するとニール様が私の前にスッと出た。
「グローカル公爵、大変申し訳ないのですが、婚約者を紹介する前にお話ししたいことがございます。よろしいでしょうか?」
「ええ。どのような話でしょうか」
グローカル公爵は私を睨んでいた目線をニール様に移した。
ニール様はグローカル公爵に「申し訳ございません」と深々と頭を下げた。
「ニール君!?」
グローカル公爵が驚いたように叫ぶ。
『ニール様……!』
私とクロックさんの声が重なる。
「私はグローカル公爵に嘘をついておりました。ココ・シスネロス公爵令嬢との結婚を強く望んだのは私の方なのです」
ニール様は頭を下げたまま、ハッキリとした声で謝った。
ニール様、どうしちゃったのですか!?
そんなことを言ったら、貿易再開の条件が変わってしまいます!
私とクロックさんは、ニール様の言動にどうすることも出来ず、呆然と立ち尽くしていた。




