64.ニール様の懸念
念願のコイラーン侯爵家に戻ってきた私は、シスネロス公爵家での淑女教育と災厄にまつわるアレコレと5日間の馬車の旅で、母とお風呂に入った後、泥のように眠ってしまった。
私のために用意されていた部屋は、以前の使用人部屋の5倍ほどの広さで、天蓋付きのベッドとドレッサーと簡単な食事が出来るテーブルセットとソファと書き物用のデスクと本棚とクローゼット……。
何というか、シスネロス公爵家の豪華な自室にとてもよく似ていた。
もしかしたらこれが貴族女性の部屋の普通なのかもしれない。
隣には侍女である母の部屋があり、朝日が昇ると同時に母が入ってきた。
「おはようございます。よく眠れましたか? 本日はグローカル公爵に挨拶に参りますので、ドレスはこちらの……」
私は淡々と話す母を見て首を傾げた。
「お母さんこそよく眠れたの? なんか目の下にクマが出来てるけど……」
母は自身の目の下を触りながらほほ笑んだ。
「もう年ね。5日間の馬車はこたえたわ」
「今日はお休みしていていいよ。グローカル公爵にお会いするだけだし、ニール様と執事様も一緒だし……」
私は立ち上がって母の選んだグリーンのドレスに袖をとおした。
母は少し考える仕草をした後「そうですね」と頷いた。
「その面々なら問題ありませんね。それに早急に女性の使用人を手配しなくては……」
どうやら休む気はなさそうである。
そういえば母は昔から働き者だった。
「あ、ジュリー様もグローカル公爵領に一緒に行きたいかも!」
私はポンと手を叩く。
侯爵家に帰ってきてからジュリー様は霊体で侯爵様の側にいるので、私の中にジュリー様はいないのだ。
母は私のドレスの背中のボタンを留めながら、「ココ……」と呟いた。
振り向くと、母は心配そうな顔をしている。
「大丈夫だよ、お母さん。ニール様と侯爵様とジュリー様で今夜お話されるそうだから。ほら、ジュリー様も次の人生があるかもだし、寂しいからってこれ以上引き止めちゃダメだってちゃんと分かってるし……」
私は自分の言葉に頷きながらペラペラと話す。
母はほほ笑んで私の頭を撫でた。
その顔は、いつでも甘えていいよという顔だった。
「うん、ありがとう、お母さん……」
私も精一杯ほほ笑んだ。
コイラーン侯爵家のダイニングルームで、侯爵様とニール様と私での朝食が終わった後、私は執事様を呼び止めた。
「執事様、リリアンにはいつ会えますか?」
リリアンがスターツリー商会の長男に嫁いだことは聞いている。
でも出来れば早く会いたい。
「……シスネロス公爵令嬢、執事様と呼ぶのはおやめください」
執事様は少し困った表情をする。
私は執事様の顔を見て首を傾げた。
「師匠、寝不足ですか? 目の下にクマが出来ていますよ」
「だからって、師匠呼びもおやめいただきたいのですが!」
「ではなんとお呼びすればよいのですか?」
私は頬を膨らませた。
「名前でお呼びください。あとスターツリー商会には昨日手紙を送りましたので、ご返事がありましたらお知らせします!」
執事様改め、クロックさんは不機嫌そうに答える。
「良かったですね、ココ」
話を聞いていたニール様はにこやかに私にほほ笑むとクロックさんに目線を向けた。
「うわぁ、本当に酷いクマだね。寝ていないんだ?」
「……眠れない日もございます! 執務には影響しないようにいたしますので……、失礼します!」
クロックさんはそそくさとダイニングルームを出て行った。
ニール様はクスクスと笑っている。
こういう時のニール様はたいてい悪いことを考えている。
私は侯爵様の肩にいるジュリー様を見た。
ダイニングルームには他の使用人もいる。
「あの、ジュリー様。グローカル公爵領に一緒に行きませんか?」
私は念話でジュリー様に話しかけた。
「いえ、私は旦那様といますわ」
ジュリー様はほほ笑む。
私はジュリー様の言葉にハッとなった。
侯爵様と一緒にいられるのもあと少しなのに、自分と一緒に行動したいかもと思っていたのだ。
「そ、そうですね。では、また夜に体をお貸ししますので……」
私は念話で何とか答えていた。
私とジュリー様の念話など聞こえない侯爵様は、何事もなくダイニングルームを出て行く。
その様子を見たニール様は私の肩にポンと手を置いた。
「私の部屋で少し話しませんか?」
ニール様の執務室に入りソファに腰掛けると、母が紅茶を持ってきて、流れるような動作で退出した。
お仕えする令嬢の行動に合わせて動く。
母は完璧な侍女である。
「マーチさんは女性版クロックですねぇ」
ニール様は私の向かい側のソファに腰掛けながら言う。
「あ、私もそう思いました。二人とも『結婚は義務です』と言い切っていました」
私はふふっと笑う。
ニール様は「そうですか」と言ってほほ笑んだ後、真面目な表情になった。
「お母様の件ですが、率直に申しますと、私はココの方が少し心配だと感じています」
「……え?」
「私とお父様は、一度お母様とお別れしています。再びお会いできたことは大変嬉しく、さらに死の真相が分かったことで、受け入れきれなかったお母様の死を私とお父様はゆっくりと受け入れることが出来ました。これは全てココのおかげです」
「あ、いえ、そんな……」
私は赤面しながら、モゴモゴと答える。
「でもココは、私やお父様が妬けるほど、お母様と仲良くなっていきました。私は二人は仲が良すぎていつしか一つの人格になってしまうのではと懸念さえしていました」
「ええっ、そんなことは、あり得ないかと……」
ニール様が「そうですね。あり得ません」と笑ったので、私もホッとして笑った。
「シスネロスからの帰路で、私の体にもお母様を何度か降霊させましたよね」
私は頷いた。
私の力が弱まったので、ニール様と私で交代しながらジュリー様を降霊させていたのだ。
「ココから気持ちまで通じ合ってしまうと聞いていましたので覚悟をしていたのですが、驚くほどお母様の心情は閉ざされていて分かりませんでした」
「えっ!? そうなのですか?」
私の驚いた声に、ニール様は頷いた。
「きっと、イライザに降霊した時もそうしていたのでしょう。と同時に私とイライザの心も汲み取らないようにしていたと思われます」
ジュリー様、そんなことが出来たのですね!
私の様子を見て、ニール様はほほ笑んだ。
「お母様はココにだけ心を開いていたのですよ。そしてココの素直な心情を感じて、癒されていたのです」
「ジュリー様……」
ジュリー様から、「ココさんは本当に素直ですね」と言われたことがある。
私はジュリー様を癒していたのだろうか。
「ココは私の性格の悪さが誰に似たのかと疑問に思っているようですが、間違いなくお母様なのです」
ニール様はニヤリと笑う。
「え、そうでしょうか?」
私は失礼にも言い返す。
「気づきませんでしたか? お母様はかなりしたたかなのですよ。アシュリー宰相の気持ちに気付きながらも、シスネロスを出たい一心でお父様に言い寄ったのです。もちろん一目惚れというのも嘘ではないと思います。お父様は素直で人が良いので、お母様は癒されたのでしょう。しかし生まれた子どもは自分よりさらに性悪だったという……」
ニール様はクックッと笑う。
「ニール様、それは悪役の笑い方ですよ……」
私は思わずツッコミを入れる。
「私とお母様はよく似ています。自身を慕う素直な人の側で癒されたいのです」
ニール様の真っ直ぐな緑の瞳に、私は赤面してうつむいた。
「わ、私は、ニール様とジュリー様にそう感じていただけているだけで何だか舞い上がるくらい嬉しいと言いますか……」
「そうですね、気持ちには相互作用があります。だからこそ、ココが心配でなりません」
私は顔を上げてニール様を見た。
ニール様は本当に心配そうな顔をしている。
「お母様が天に召された時、ココは悲しくて耐えられないのではないかと思っています。ココが塞ぎ込んでしまったら、今度は私が耐えられません」
「ニール様……」
「どんなに悲しくても、あなたには私がいることを思い出して欲しいのです。私はいくらでもあなたを慰めます」
ニール様の緑の瞳が、少し濡れて揺らめいている。
ジュリー様はニール様のお母様なのだから、ニール様の方がお別れが辛いはずなのに、どうして私のことをこんなに考えてくれるのだろう。
どうして私がジュリー様との別れに恐怖を抱いていると分かるのだろう。
私とジュリー様が一つの人格になることは確かにあり得ないけど、でも、心の半分を失うような感覚がまとわりついているのは確かだった。
ジュリー様がいなくなった後の私を、私自身怖くて想像できなかったのに、ニール様は予測して教えてくれて、いくらでも慰めるとおっしゃってくれている。
「ありがとう……ございます……」
私は流れ落ちる涙を止めることなく、心からニール様にありがとうを伝えていた。




