55.侍女マーチ
私がシスネロス公爵家に来て、4ヶ月が経っていた。
私はシスネロス家の自室で、ニール様からの手紙を読み返して、溜息をついていた。
手紙には綺麗な字で「会える日を楽しみにしています」と書かれている。
私の自室はコイラーン家の使用人部屋とは全く違う「良い部屋」だった。
大きくてふかふかのベッドに、白い革張りの二人掛けのソファ。
勉強や書き物をするための大きめのデスクとピンクのクッションが置かれたチェアー。
大きな鏡がついたドレッサー。
お茶が出来る白いダイニングセット。
壁の本棚には高そうな本たち。
クローゼットには色とりどりのドレスが10着以上。
でも、こんな「良い部屋」よりも、コイラーン家が良かった。
小さくて落ち着く個室の使用人部屋に、私の心配をいつもしてくれたリリアン。
優しい侯爵様に、優しくない執事様。
そして、イケメンなのに性格が悪くて、生きづらそうで、臆病で、でも結局憎めないニール様……。
会えなくて干からびたりはしなかったが、心の中に重たくて黒い不安が溜まっている。
遠距離恋愛がこんなに辛いものだとは……
「ココさん、元気を出して下さい。きっともうすぐコイラーン領に帰れますわ」
私の中のジュリー様が励ましてくれる。
「はい。ありがとうございます」
この4ヶ月間、私はずっとジュリー様に励まされている。
冗談ではなく本当に、ジュリー様がいなかったら私はダメになっていたかもしれない。
コンコン
自室のドアがノックされ、私の侍女になった母マーチが入ってくる。
「失礼します。ココお嬢様、教会に参りますのでお着替えをお願いします」
母は淡々と用件を言うと、クローゼットからドレスを取り出している。
「……はい」
私は立ち上がり、じっと母を見る。
メアリー様から、「主従関係をはっきりさせなければいけません」と言われているが、私は母とこの関係は嫌である。
母は私の監視も兼ねているし、心を許す相手ではないのかもしれないが、それでも私の「お母さん」なのだ。
「目が赤いですよ……」
母は私の顔を見て呟く。
「だ、だって、ニール様に会えないし……」
私は母から目をそらし、ニール様からの手紙を見る。
「ケビンの時にはそんなことなかったのに……」
母はふふっとほほ笑む。
「ケビンは会えないといっても隣町だったし、月に一回は会えたから……」
私はモゴモゴと答える。
「ニール様には本気なのね」
母は私の部屋用のドレスの後ろボタンを外す。
「ケビンにも本気だったよ! 婚約破棄された後、私が落ち込んでいたのはお母さんも知ってるじゃん!」
私は母が選んだ紺色のドレスに袖をとおす。
私も母も、言葉使いが戻ってしまっていたが、この方が自然だ。
「そうね。ケビンとは幼馴染で一緒に遊んだ思い出が多かったからね。恋愛感情はなくても、思い出の多さで別れは悲しいものよ」
母は目を伏せながら紺色のドレスのボタンを留める。
「お、思い出の多さ……?」
「ココは隣町のケビンに会いに行った? ケビンのことを思い出して眠れない夜はあった? 婚約破棄された時に、奪い返してやるって思った?」
母は私をドレッサーの椅子に座らせた。
私は鏡に映る金髪の自分を見て、母が言った全てをやっていないことに気がついた。
「私……」
「ニール様とは出会ったばかりだし、あまり思い出もないでしょう?」
確かに、ニール様とデートをしたことは一度もない。
それどころか、お話も、数えるほどしかしていない……?
それなのに、会いたくて泣いてるの?
私が愕然としていると、母はふふっと笑った。
「恋なんて、そんなものよ。理屈じゃないの」
母は私の髪をハーフアップにまとめている。
なんと私の初恋は、ニール様だったらしい。
恋愛に関してダメだとは思っていたが、奥手にも程がある。
私は鏡越しに母を見つめた。
「……お母さんは、いい人いないの?」
「なに、急に?」
「だって、私のお母さんをやって、侍女をやって、本当には結婚してないし……。あ、あのね、コイラーン家は男性使用人ばっかりなの。誰かいい人がいるかも……」
私が手をあたふたさせていると、母はプッと吹き出した。
「私は貴族家に育ったから、ココみたいに結婚に夢はないわ。結婚は義務だもの」
「ぎ、義務……」
なんと母は女版執事様だった。
いや、でも、だからこそ、私の母をやり、侍女もできるのかもしれない。
「ほら、準備できたわ。シスネロスの教会に行くのは初めてでしょう?」
母の言葉に、私はハッとなる。
そうなんだよね。
4ヶ月もシスネロスにいるのに、何故か教会には行かせてもらえなかったのだ。
それならそれでもいいか、と思っていたのだが、昨夜突然「明日は教会に参りましょう」とメアリー様から言われたんだよね。
母はシスターだったので、教会で勤務していたと思われる。
そういえば、ジュリー様は教会で母に会ったりはしていない……?
「わたくしは力がなかったのであまり教会には行きませんでした。それに17歳でコイラーンに嫁ぎましたし、マーチさんは私より年下ですよね?」
私の中のジュリー様が私に尋ねる。
「お母さんって、何歳になったの? いつからシスターしてたの?」
私はジュリー様の質問をそのまま母にする。
「あら、お母さんの年齢も忘れたの? 今年で40歳になったわ。シスターは貴族学院卒業後だから、18歳からね」
母は笑って教えてくれた。
「5歳下ですか。貴族学院もわたくしとかぶっていませんし、18歳からシスターをしておられたのでしたら、わたくしはもうシスネロスにはいませんでしたね」
ジュリー様の言葉に、私は「みごとにかぶっていないですね」と心の中で頷く。
2人が会ったことがないわけだ。
私と母は、メアリー様と合流するまで、昔のように話しながら歩いていた。
主従関係になってしまったが、私と母はやっぱり「親子」なのだ。
コイラーン侯爵家に戻ったら、気兼ねなく話せる若奥様と侍女になりたいなと私は(きっと母も)思っていた。




