54.クロックとリリアン
ココとココの中のジュリーがコイラーン領から旅立ち、隣国のシスネロス領に滞在するようになって、3ヶ月が経とうとしていた。
隣国との貿易は無事開始され、コイラーン侯爵家では、それに関係する物流や商家との仕事が大幅に増えていた。
コイラーン領主であるロミオの執務室では、ロミオとニールとクロックで、どの仕事をどこに振り分けるかの打ち合わせが行われていた。
「では、果物と野菜の商家とのやりとりはザミフォリア伯爵に任せようか。香辛料は、本当にニールでやるのか? 最近少々根を詰め過ぎてないか?」
ロミオは息子の顔を見る。
「大丈夫ですよ、お父様。私も商家の仕事に興味がありますし」
ニールはほほ笑む。
実は香辛料というのは、なかなかに扱いが難しい。
怪しい薬を紛れさせるのにも、香辛料はうってつけなのだ。
こんなに面白そうなことを商人だけに任せておくのはもったいない、とニールは内心ほくそ笑む。
ニールの考えが分かるのか、クロックは白い目をニールに向けている。
「ああ、そうだ、クロック」
ロミオは思い出したようにクロックを見た。
「はい」
クロックはニールに向けていた目線をロミオに移す。
「先日屋敷に来ていたスターツリー商会の長男がな、リリアンを気に入ったそうなんだよ」
ロミオはそう言うと、手紙をクロックに渡した。
「え……?」
クロックは手紙を受け取りながら、呆けた声を出す。
「スターツリー商会は実直で急成長している商会だ。長男は22歳で真面目な男らしいし、良い話だと思うのだが、元奥さんとリリアンに話してはもらえないか?」
ロミオから言われたら、これはもう命令である。
「承知しました。ありがとうございます」
クロックはロミオに頭を下げた。
「やはり娘を嫁に出すのは複雑なのかな?」
ロミオの執務室を出て通路を歩きながら、ニールはクロックに尋ねる。
「いえ、別に。お互い親子の情などありませんし……って、何ですか? その顔は!」
クロックはニールのニヤニヤ顔にイラッとする。
「いいえ? まあ、リリアンが結婚していなくなると、ココは寂しいかもしれないね」
ニールは少し遠い目をする。
「ココさんの状況をリリアンに説明する手間が省けてちょうど良いですよ!」
クロックは手紙をジャケットの内ポケットにくしゃっと入れた。
「説明は避けて通れないと思うけれど……」
「そんなことよりニール様、旦那様の言うとおり、最近根を詰め過ぎています。睡眠時間を削るような真似はしないでくださいよ!」
クロックが睨んでくるので、ニールは肩をすくめた。
「ココも頑張っているし、私も少しくらいはと思ってね……あ、ちょうどリリアンがいる。いってらっしゃい、おとーさん!」
ニールは階下の階段の踊り場の掃き掃除をしているリリアンを指し示しながら言う。
「いえ、後で……」
「リリアン、クロックから話があるそうですよ」
クロックの言葉を完全に無視して、ニールはリリアンに声をかけた。
「ニール様!?」
クロックは驚愕の声を上げ、侯爵子息であるニールから声をかけられたリリアンは慌てて頭を下げた。
「では私は仕事がありますので、クロック、頑張ってくださいね」
ニールはニッコリほほ笑むと、スタスタと去っていった。
クロックは、性格悪すぎだろう!? と頭を押さえる。
階段を上ってきたリリアンは、クロックの前に立った。
「あの、私もききたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「え? ええ、なんでしょうか……」
クロックは、珍しい、と思いながら頷く。
「ココはどこに行ったのですか!? まさか辞めさせたんですか!?」
リリアンはクロックをギロリと睨む。
クロックは、ニールが「説明を避けて通れない」と言ったことを思い出していた。
ニールはこうなることが分かっていて、リリアンに声をかけたのだ。
驚きの勘の良さと性格の悪さである。
「いえ、辞めさせてはいません。ココさんは、ちょっと実家に帰っているといいますか……」
クロックは、シスネロス家の養女になったのだから間違いではない、と自身でも納得しながら話す。
「ココの実家はトアル村ですよね? もう3ヶ月は経ちますよ! 何か事情でもあるのですか!?」
リリアンは納得していないようだ。
確かにコイラーン領内の実家の村に帰るのに3ヶ月は長い。
ここで適当な理由を言っても、リリアンは納得出来ず、スターツリー商会の長男との見合いの話も聞いてもらえない恐れがある。
クロックは、ふぅと息を吐いた。
「ちょっと来ていただけますか? ちゃんと話しますので」
クロックは自室にリリアンを招き入れた。
クロックの自室は、仕事用のデスクとチェアー、簡単な食事が出来る小さなテーブルと椅子とベッドとクローゼットがある。
自身の部屋に娘を、というか使用人を入れるのは初めてだ。
クロックはリリアンを食事用の椅子に座らせ、自身は仕事用のチェアーに腰掛けた。
リリアンは部屋をキョロキョロと見回しながら「いい部屋……」と呟いている。
「ココさんですが、隣国のある貴族の御落胤と判明したため、その貴族家の養女となりました」
クロックの言葉に、リリアンは目を見開く。
「……ごらくいんって、何ですか?」
「ああ、正妻以外の女性に生ませた隠し子、ですね」
「ええっ!?」
リリアンは椅子から立ち上がった。
驚く気持ちは分かる、とクロックは頷く。
「じゃあ、もう、ココは戻って来ないのですか?」
リリアンの素直な質問に、クロックは少し困った表情をした。
「はい」と答えてこの話を終わらせたいが、数日から数ヶ月後にニールの婚約者として戻って来てしまうからだ。
嘘をついたとお見合いや結婚を反故にされるのだけは避けたい。
「内密にしていただきたいのですが、実はニール様とココさんの婚約が内定しておりまして……」
「えええっ!?」
リリアンは驚きすぎて、叫んだ後の口をポカンと開けたままだ。
クロックは、娘の表情が豊かに変わるところを初めて見て、こんな顔もするのかと思っていた。
「こ、侯爵子息様は女嫌いじゃ……、ていうか、ココは侯爵様の慰め役だったのに、ちょっと複雑……、はっ! もしかして、その貴族から傷物にした責任を取れと言われている!?」
リリアンは、あることないことを呟いている。
クロックは、全く男性経験がないココが「侯爵様の慰め役」と噂されていたことを思い出し、ぶふっと吹き出した。
笑い出したクロックを見て、リリアンはムッとした表情になる。
「なんで笑うのですか!?」
「い、いえ、すみません。ココさんに関してですが、旦那様とは何の関係もありません。ニール様との婚約もお二人が望んだことです」
クロックはまだ少し笑いながら答える。
リリアンは冷たい表情の父親しか見たことがなかったので、ココの婚約よりも、コイツ笑えたんだ? という方に興味が向いてしまっていた。
「ココさんの話はこれくらいで……。実はあなたにお見合いの話がきています」
クロックは自分でも気付いていなかったが、リリアンに優しい笑顔を向けていた。
「お見合い……」
リリアンは呟きながら、父親の顔をじっと見ていた。
このお見合いは、コイラーン侯爵を通しての話なので、いわば決定事項である。
そのくらいは、リリアンにも理解できていた。
ココが「侯爵子息の婚約者」としてコイラーン家に戻って来た時に、「スターツリー商会の若奥様」として面会できるかもしれない。
クロックとリリアンはそんな話をして、不器用に笑い合った。




