36.クロック・サザン
隣国って遠いんだなぁ……と私はボンヤリ思っていた。
日が傾き、夜の帳が下りる頃、私(ジュリー様)と執事様は、ザミフォリア伯爵領の町の宿屋にいた。
そう、まだ自国を出ていないのである。
執事様は貴族(男爵子息らしい)だが今回は護衛だし、私は平民のため、泊まる宿屋は貴族用ではない。
というのも、貴族の移動は町に入る度に挨拶が絡んだりするため、お忍びの今回のような旅では煩わしいだけなのだ。
私(ジュリー様)は執事様の隣の部屋に入るなり、ベッドにゴロンと寝転んだ。
「ああ、疲れました! ココさんの体はお若いですが、やはり長時間の馬車移動だと腰が痛むものなのですね」
執事様が私に一切出てくるなと言うせいで、ジュリー様が疲れているではないか!
私はすぐさま、ジュリー様と交代した。
「おお? 確かに腰が痛い……!」
自分の体が、いつの間にか疲れているという不思議な現象である。
「ココさん、本当にクロックを何とかするおつもりですか?」
私の中のジュリー様が、少し困った様子で尋ねてくる。
ジュリー様の言いたいことは、分かる。
執事様は私に何もして欲しくないし、恋愛経験は私も無いに等しいし、かなり余計なお世話だ。
でも、私が何とかしたいのは、執事様の恋愛事情ではない。
「ジュリー様、執事様のリリアンへの対応はちょっとダメだと思うのです」
「ダメ、ですか?」
「はい。私、ジュリー様が侯爵様のお部屋に行っている間、幽体離脱で使用人たちの噂話を聞いたのですが……」
「そんなことをしていたのですね!」
ジュリー様は驚いているが、実際は暇だったので散歩(浮遊?)していたら聞こえてきてしまっただけである。
「リリアンの腕を掴んでいた見習い料理人の男性ですが、執事様に辞めさせられたそうなんです。しかも、こういうことは初めてではなくて、リリアンに言いよって辞めた男性使用人が過去3人もいるんです」
「まあ! 知りませんでしたわ!」
侯爵様やジュリー様やニール様が使用人たちの人間関係まで分からないのは当然である。
「侯爵様のお付きのメイドと思われている私に誰も関わろうとしないのは、このこともあるからなんですよ」
いちメイドに言い寄って辞めさせられるのだから、侯爵様付きメイドに話しかけようものなら、命が危ない。
……というのはちょっと大げさだけど、平民が仕事を解雇されることは、結構死活問題だ。
「リリアンさんを守ろうとしているのでしょうが、クロックは、少し、極端すぎるようですね」
私の中のジュリー様は、溜息をついているようだ。
「そうなんです。この執事様の行動によって、リリアンはもともと嫌いだった執事様をさらに嫌うという悪循環が生まれています。さすがにこの悪循環の放置は良くないと思うのですよ」
「お二人の親子関係もですが、コイラーン侯爵家としても、強制解雇というのは良い状態ではありませんね」
私とジュリー様の意見が合致した。
とはいえ、この問題は、執事様より上の者、すなわち、侯爵様かニール様かジュリー様が注意をすれば、すんなり解決すると思われる。
「そうですね。明日の道中にでもクロックに話してみますわ」
しかし、そう簡単にはいかなかった。
私とジュリー様は、執事様の性格を少し甘くみていたのだった。
「その提案は受け入れられません」
翌日、馬車内で執事様はキッパリと言い放った。
馬車に乗り込んで早々に、私(ジュリー様)が執事様に強制解雇はやめるよう話をした返答がこれである。
「クロック、使用人の女性に言い寄っただけで解雇なんて少々横暴でしてよ」
私(ジュリー様)は眉を吊り上げる。
「奥様、お言葉ですが、そういう一見軽く見える行動を放置すると大問題になるのです」
「大問題とは何ですか?」
「婦女暴行です」
執事様は表情を全く変えずにキッパリと断言した。
私(ジュリー様)は目を見開いている。
かくいう私も、私の中で「あんぐり」としていた。
「ことが起こってからでは遅いのです……」
「ち、ちょっとクロック! それはあまりにも極論ではありませんか?」
「いいえ、男なんて全員狼です。99パーセントの確率でそうなります」
いや、確率高すぎるわ!
「そのような確率でしたら、旦那様もニールもクロック自身も入りましてよ?」
私(ジュリー様)は半ば呆れたように言う。
「その通りです。旦那様もニール様も私も例外ではありません」
嘘でしょ!?
ジュリー様、逃げてください!
私(ジュリー様)は、お尻をずらして執事様から少し遠ざかった。
「あ、ちなみに私がココさんを……ということは99.9パーセントあり得ませんのでご安心ください」
いや、確率高すぎるわ!
私がツッコミを入れていると、私(ジュリー様)は、はぁと息を吐いた。
「クロックはご自分の行いを後悔しているのですか?」
「……私は責任を果たすだけです……」
執事様は少し声のトーンを落とし、視線を馬車の窓に向けた。
執事様の行いって、何だろう……?
しかし、執事様の顔色からも、ジュリー様の思考からも、それは私には分からなかった。




