32.想像していた甘い時間
ニール様の執務室で、私は突っ立っていた。
「どうぞ、ソファにお座りください」
ニール様は立ちつくしている私に、自身の向かい側のソファを、指し示す。
「は、はい!」
私は大声で返事をして、ギクシャクとニール様の向かい側に腰掛ける。
向かい側で少し安心した。
隣に座れと言われたら、心臓が口から出てしまう(若干錯乱中)。
「お礼は決まりましたか?」
「……え?」
私は呆けた顔で、ニール様の綺麗な顔を見る。
あ、そういえば、そんな話があった。
しまった、お礼なんて全然考えてなかった。
「何も考えていなかった、という顔ですね」
「す、すみません! あの、でも、お礼なんていらないといいますか、今のままで十分過ぎるといいますか……」
私がしどろもどろに言うと、ニール様はニッコリほほ笑んだ。
「そうですか。では、私の用件を言ってもよろしいですか?」
用件?
あ、そうか。
ニール様が私に用事があるのね!
「も、もちろんです」
私が頷くと、ニール様はソファから立ち上がって私の隣に腰掛けた。
ええっ!
隣に座るの!?
心臓が口から飛び出してニール様にぶち当たって……(かなり錯乱中)
「ココは、クロックと随分仲良くしていますね?」
……ん?
クロックって、師匠?
私と師匠が仲良くした時なんて1秒たりともないけど!?
私が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていると、ニール様は私の肩を抱いた。
服越しにニール様の体温を感じて、私の顔が赤くなる。
ち、近いよ!?
「先程、通路でじゃれあっていたではないですか」
「じゃれっ?」
私はすっとんきょうな声を上げた。
もしかして、師匠から頭をグリグリ痛めつけられたやつのこと?
あれ、どう見てもパワハラ現場だったよね?
ニール様には、あれが仲良く見えたの?
まさか、ニール様って、視力悪い!?
「あまり分かっていないようですね。ココは誰と結婚したいのですか?」
ニール様の端正な顔が、私のものすごく近くにあり、その顔のエメラルドのような緑の瞳が鋭く私を見つめている。
これは、怒っているニール様だ!
私の体がキュッと硬直する。
「そ、それは、ニール様と、あの、出来ればでいいのですけど……」
私の声は、みるみる小声になっていく。
想像していた甘い時間ではなかった。
これ、もしかして、婚約前破棄?
ニール様に振られたら、もう立ち上がれないよ。
私の瞳にじんわりと涙が浮かぶ。
「本当に分かっていないのですね。他の男と仲良くするなと言っているのです」
「え……? んぐっ?」
ニール様の唇が、私の唇を塞いだ。
口が半開きだったからか、ニール様の舌が私の舌に触れる。
「ん、んんっ……?」
違う、これ、深いやつだ……。
うそ、こんなキスあるんだ……
私は自然と目を閉じた。
口の中も、心も、温かい幸せで満たされていく……
すると、ニール様の唇が私から離れた。
終わってしまったという、もったいないような、残念な気持ちで目を開けた私は、ニール様を見て驚いた。
ニール様のお顔が真っ赤に染まっていたからだ。
「ニ、ニール様……」
「……ちょっと、これ以上は、良くないですので……」
ニール様はそう言うと、私をギュッと抱きしめた。
もしかしたら、ニール様は、私のこと、少しは好きだと思ってくれている……?
だって、私の心臓より早い音が聞こえる。
その音が、私の不安だった気持ちを徐々に薄めていく。
私はニール様の腕の中で、ニール様のかたい胸に顔をつけて、ずっとその音を聞いていた……。




