10.ニール・コイラーン侯爵子息
ニール・コイラーン侯爵子息様は、見目の良さから大層女性にモテたそうだ。
貴族令嬢から侍女、メイドに至るまで、よりどりみどりの選びたい放題。
しかしそんな状況でも、侯爵子息様は10歳の時に決定した婚約者だけを想っていて、他の女性には見向きもしなかった。
でも6年前、侯爵子息様が19歳の時、婚約者だった侯爵令嬢に裏切られたそうだ。
侯爵令嬢の浮気に気付いたのは、他でもない侯爵子息様だった。
きっと、勘が良くて分かってしまったのだろう。
婚約はすぐに白紙となり、それ以降、侯爵子息様は女性を寄せ付けなくなった……。
「……って、ココ、泣いてるの!?」
説明をしてくれたリリアンがギョッとしている。
「……だ、だって、わかりみが、共感して……」
あんなに見た目が良くても、浮気されて婚約が破棄するのだ。
もしかしたら、私の婚約破棄騒動を何とかしてくれたのも、自分のことがあったからなのかもしれない。
性格が悪いなんて思ってごめんなさい!
「婚約破棄は死ぬほどつらいんだよー」
私は隠すこともなく泣きじゃくる。
「も、もしかしてココも婚約破棄されたの!?」
「え、ココもって、まさか、リリアンも……?」
リリアンはバツが悪そうに横を向いてコクンと頷いた。
なんと、こんなところに同志がいた!
私とリリアンは、手を取り合って、泣きながら浮気した婚約者の悪口を言い合ったのだった。
婚約破棄され友だちが出来た日の夜、私は再び侯爵子息様の執務室を訪れた。
もちろん、侯爵子息様とジュリー様が話をするためである。
執務室には、侯爵子息様と執事様がいるが、しかし、昼間はなかった、薄暗い念が部屋全体を覆っているではないか。
「な、なにこの、執着の念は……!?」
私は部屋に入るなり、叫んでいた。
生き霊まではいかない、はっきりとした恨みではない、でも強い執着の念だ!
「なにかいるのが分かるのか!?」
侯爵子息様は驚いて椅子から立ち上がった。
「は、はい! 生き霊ではありませんが、とても強い執着を感じます! 侯爵子息様は体調が悪くはありませんか!?」
こんな部屋にいたら、体に良くない。
「は、はは。そんなことまで分かるのか……」
侯爵子息様は頭を押さえて溜息をついた。
「……ニール様は6年前から、ずっと体調を崩されているのです。部屋に何か原因があるようだと部屋を3回変えたのですが、効果はありませんでした……」
執事様が辛そうに言う。
「何ですって!? 私は初耳でしてよ!」
私の中のジュリー様が叫ぶ。
えっ!?
もしかして、侯爵様とジュリー様には体調が悪いことをひた隠しにしているの!?
「ああ、お母様が怒っているようですね……。すみません、ご心配をおかけしたくなくて……」
侯爵子息様は私に頭を下げた。
これは、ジュリー様と交代した方が良さそうだ。
「心配なんて、何を言っているのですか! どうして言ってくれなかったのですか!」
私(ジュリー様)はツカツカと歩いて侯爵子息様の横に行き、侯爵子息様を抱きしめた。
わ、私の体なんですけど……!
「すみません、病気ではないと分かっていましたので……。遠方では大丈夫なのです。ですが、この屋敷のある町ではどこも同じなのです」
「なんてこと……!」
範囲広いなぁ。
相当強い想いなのか、私みたいな霊感の持ち主か……。
相手の霊感が強いのなら話せるかもしれない?
「ココさんが! 話せるかもしれないそうです!」
ジュリー様が私の心の言葉を侯爵子息様にすぐに伝えてしまった!
「ほ、本当か!? 話せるということは霊なのか!? 呪いなのかと思っていたのだが……」
私はジュリー様と交代した。
ささっと侯爵子息様から離れて後ろに下がる。
「呪いならもっと悪影響が出ています。強い執着の念です。話してみますね」
私は侯爵子息様にそう言うと、目をつむった。
念話である。
執着の主の声はかすれてとても小さい。
これは、本人が無自覚に執着の念を送っているということだ。
でも、私の霊感はその声を聞き取れる。
教えて。こんなこと、本人もやめたいに決まっている。
「……シンディさんってお知り合いですか?」
私が何とか聞き取れた名前を言うと、侯爵子息様は顔色を変えた。
そして、私の頭と腕を掴んで、壁にダァンッと打ち付ける。
「はぅっ!」
その衝撃で、私の呼吸が一瞬止まる。
「ニール様! おやめください!」
執事様が駆け寄ってくる。
「ニール! やめて!」
私の中のジュリー様が叫んでいる。
侯爵子息様の強い力で押さえつけられ、私の体はガタガタと震えていた。
なんて学習能力がないのだろう。
霊の言葉を伝えて、前世は殺されたのだ。
今世も殺されるのだ。
隠そうと決意していたのに、破るからこうなるのだ。
お腹に刺さった包丁と、激しい痛みと熱と、生温かい血液の感触が、まざまざとよみがえる。
私の意識は、あの時のように、深い深い混沌の海に沈んでいった……。




