EP 9
巡り巡る善意とカルテの果て〜救われた悪党たちの恩返し〜
巨大な質量が、ポポロ村の防壁を紙細工のように粉砕した。
全長二十メートル。黒鋼の鱗に覆われた変異型ワイバーンの歩みは、それ自体が歩く自然災害だった。一歩踏み出すごとに地響きが鳴り、口の端から漏れる毒性の炎が、村の家屋を次々と舐め回していく。
「グルルルルォォォォォォッ!!」
ワイバーンが天に向かって咆哮を上げた。
その圧倒的なプレッシャーを前に、優太はG-SHOCKの秒針を視界の隅に置きながら、極めて冷静に状況を演算していた。
(推定体重四十トン。装甲は通常の徹甲弾を弾くレベル。ブレスには高濃度の腐食性神経毒が含まれている。……まともにやり合えば、村が更地になるな)
「マスター、キャルル! 奴のヘイト(敵視)を稼げ! 村の居住区から引き離すぞ!」
「応ッ! 俺の店を壊した落とし前は、きっちり高くつくぜ!」
「はいっ、優太様! あのトカゲ、絶対に細切れにして差し上げます♡」
優太の指示に即座に反応した二人が、左右に展開する。
龍魔呂が『鬼王の指輪』の出力を上げ、赤黒い闘気を纏った投石(指弾)をワイバーンの顔面に連射する。
一方のキャルルは、タローマン製の超重安全靴に闘気を込め、崩れた建物の残骸を三角飛びで駆け上がりながら、ワイバーンの太い脚に『月影流・鐘打ち』を叩き込んだ。
ガンッ!! という金属音が響き、ワイバーンが苛立たしげに巨大な尻尾を振り回す。
二人の連携は完璧だった。しかし、問題は魔獣のサイズだ。
尻尾の一振りで巻き起こる暴風と、飛び散る瓦礫の雨。それが、逃げ惑うポポロ村の住民たちに容赦なく降り注ぐ。
「きゃああっ!」
「逃げろ! 早く広場から離れるんだ!」
逃げ遅れた老人や子供たちが、瓦礫の雨に足を取られて転倒する。
その中には、先ほど暗殺者に人質にされていた五歳の少年と、その母親の姿もあった。
彼らの頭上へ、ワイバーンの尻尾でへし折られた巨大な火の見櫓が、ゆっくりと倒れかかっていく。
(……くそっ、間に合わない!)
優太がシステマの歩法で駆け出そうとしたが、距離が遠すぎる。
龍魔呂もキャルルも、ワイバーンの猛攻を捌くのに手一杯だ。
巨大な木材が、無防備な母子を押し潰そうとした、その刹那だった。
「——うおおおおおッ!!」
泥臭い雄叫びと共に、巨漢の男が母子の上に覆い被さるように飛び出し、落下してくる火の見櫓を、その太い丸太のような腕でガシッと受け止めたのだ。
「ぐ、おおぉぉ……ッ! 早く逃げろ、早くッ!!」
全身の筋肉を軋ませ、顔を真っ赤にして木材を支えているその男。
それは、第1話で優太が関節を外し、完璧に治療して拘束した『野盗のリーダー』だった。腕には、優太が巻いた止血帯と真っ白な包帯が、今もしっかりと巻かれている。
「お前は……」
「へっ、勘違いすんじゃねぇぞ、医者センセイ!」
野盗のリーダーは、歯を食いしばりながらニヤリと笑った。
「テメェに助けられた命を、こんなところで無駄にするわけにはいかねぇんだよ! 俺たちが死んだら、誰がこの包帯を替えてくれるんだって話だ!」
その言葉を合図にしたかのように、村の至る所から「ワァァァッ!」という歓声が上がった。
見れば、昨日『たまんネギ』のスープを飲んで賢者モードに突入した三十人の重武装傭兵たちが、村の老人や子供たちをお姫様抱っこや背負い投げの要領で担ぎ上げ、安全な避難所へと次々に運んでいるではないか。
「あぁ……命とはなんと尊いのでしょうか。さあ、私めの背中に乗ってください、お婆さん」
「争いは虚しい……。ですが、弱きを助けるこの筋肉の躍動、これこそが宇宙の真理……!」
完全に毒気が抜け、悟りを開いた傭兵たちが、自らの屈強な肉体と武術を『純粋な人命救助』のためにフル稼働させていた。彼らの動きは極めて統率が取れており、瓦礫の撤去や避難誘導において、自警団を遥かに凌ぐ効率を発揮している。
さらに。
「チッ……素人がモタモタ走るな! 足元が留守だぞ!」
優太の足元から伸びた『影』から、黒装束の男が飛び出した。
先ほどまで優太と死闘を繰り広げ、完全に心を折られた暗殺部隊『宵闇』のリーダー、ガンツだった。
ガンツは影を操る暗殺術を応用し、逃げ遅れた村人たちの足元に『影の沼』を作り出し、瞬時に安全圏へと転移させていく。
「ガンツ……お前たち、なぜ」
「フンッ。俺たちは暗殺者だ。雇い主(ゴルド商会)に裏切られ、怪獣の餌にされそうになった挙句、標的だったアンタに命を救われちまった。……俺たちの業界じゃ、借りを作ったまま死ぬのは最大の恥なんだよ!」
ガンツは照れ隠しのように顔を背け、すぐさま次の逃げ遅れた村人の元へと影を走らせた。
野盗、傭兵、暗殺者。
優太が『不殺の流儀』を貫き、一切の命を奪わずに治療を施した悪党たち。
彼らが今、誰に命令されるでもなく、優太の村を守るための強固な『盾』となって自発的に動いていた。
圧倒的な暴力や恐怖による支配ではない。優太が積み重ねてきた打算のない純粋な『善行』が、巡り巡って、村の危機を救う奇跡のうねり(因果応報)を生み出したのだ。
「……ハッ。患者どもが、勝手にリハビリを始めやがった」
優太は口元に微かな笑みを浮かべ、すぐさま戦術医官としての『指揮官』の顔へと切り替わった。彼は医療リュックから無線機(魔導通信石)を取り出し、的確な指示を飛ばす。
「野盗部隊! 倒壊した建物の瓦礫を撤去し、南門への脱出ルートを確保しろ! 傭兵部隊は防爆盾を構えて村人の壁になれ! 暗殺部隊は機動力を活かして、逃げ遅れた要救助者の索敵と回収だ!」
『『『了解ッ!!!』』』
かつての悪党たちが、優太の声に一糸乱れぬ動きで応える。
その光景を前線で見ていた龍魔呂が、ワイバーンの攻撃をいなしながら大声で笑った。
「ガハハハハッ! お前、マジで悪魔だぜ優太! 大陸でも最悪のゴロツキどもを、たった数日で『世界一従順なボランティア部隊』に洗脳しちまいやがった!」
「優太様の人徳です! あの薄汚い連中も、優太様の底なしの愛に触れてようやく真っ当な生き物に進化できたんですね♡」
キャルルがうっとりとした表情でトンファーを振り回し、ワイバーンの鱗を削り取る。
「洗脳じゃない。適切なリハビリテーションだ。……二人とも、もう少しだけ持ち堪えろ! 村人の避難が完了するまで、奴を居住区に入れさせるな!」
優太の指揮の下、ポポロ村の避難誘導は奇跡的な速度で進行していった。
暗殺者の影移動で要救助者を集め、傭兵の盾で落石を防ぎ、野盗の筋力で障害物を退かす。そこにポポロ村の自警団も加わり、かつての敵味方が入り乱れた総力戦の『救命リレー』が展開された。
——そして、十分後。
『医者センセイ! 村人の避難、全員完了したぜ! 南のシェルターに全員押し込んだ!』
野盗のリーダーからの通信。
優太はG-SHOCKの盤面を確認し、小さく息を吐いた。
「了解した。……民間人の避難、一〇〇%完了。死傷者、ゼロだ」
優太の言葉に、最前線で息を切らしていたキャルルと龍魔呂が、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
村人たちは全員、ドワーフの技術で作られた地下シェルターへと避難を終えた。周囲に広がるのは、半壊した広場と、逃げ遅れた者のいない無人の廃墟だけ。
つまり、これでもう——誰に遠慮することも、力を手加減する必要もないということだ。
「……さて。これでようやく、医療従事者(俺たち)の仕事に専念できるな」
優太はポケットからアメリカン・スピリットを取り出し、口に咥えた。
龍魔呂が歩み寄り、真鍮のライターで「カチッ」と音を立てて火を点ける。
「へっ。前座が長すぎたぜ。お陰で指が疼いて仕方ねぇ」
「優太様♡ 私、もうリミッター外して、あのトカゲをミンチにしてもいいですか?」
「あぁ。許可する」
紫煙をゆっくりと夜空に吐き出し、優太は冷酷な戦術医官の瞳で巨大なワイバーンを見据えた。
ワイバーンもまた、目の前に立つ三人の矮小な人間から放たれる『異常な殺気』に本能的な危機感を覚え、迂闊に近づけずに広場の端で唸り声を上げていた。
「俺の目の前で命をこぼさなかったこと……悪党どもには、後でたっぷり褒美(治療)をくれてやらなきゃな。だがその前に——」
優太はワスプ薙刀の出力を最大に設定し、カシャンッ、と鋭い音を立てて刃を展開した。
「——このデカい病巣を、俺たち三人で完璧に切除するぞ」
誰も死なせないための戦いが終わり。
敵を確実にする屠るための、最強のバディによる『反撃』の刻がやってきた。
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