EP 8
過去の亡霊と、背中を預ける理由〜狂気の暗殺者を止める、ただ一つの盾〜
ズズズンッ……!!
ポポロ村の空気を震わせ、大地が悲鳴を上げる。
森を薙ぎ倒して姿を現した全長二十メートルの変異型ワイバーンは、口から漏れる毒炎で周囲の木々を燃やしながら、圧倒的な質量の暴力として村へと迫っていた。
「ひぃぃぃっ! ば、バケモノだァッ!」
その光景に最もパニックを起こしたのは、優太によって気絶させられていた暗殺者の一人だった。
凄まじい地響きのショックで意識を取り戻したその男は、迫り来る巨大な魔獣の姿に完全に恐慌状態に陥った。彼は逃げ出そうと這いずり回り——その時、広場の物陰に隠れていた小さな影を見つけた。
「マ、ママぁ……っ」
それは、昼間に優太が抗生物質で命を救った五歳の少年だった。避難の途中で母親とはぐれ、広場の木箱の裏で震えていたのだ。
恐怖で理性を失った暗殺者は、少年の細い腕を乱暴に掴み、引き寄せた。そして、懐に隠し持っていた予備のナイフを、少年の首筋に突きつけた。
「う、動くなァッ! 助けろ、俺をこの村から逃がせ! さもないと、このガキの喉笛を掻き切るぞォッ!!」
男の絶叫が響く。
首に冷たい刃を押し当てられた少年は、恐怖で顔をくしゃくしゃに歪め、悲痛な声で泣き叫んだ。
「うわああぁぁぁんッ! 助けて、ママ、痛いよぉぉッ!!」
——その、子供の悲鳴が響いた瞬間だった。
「……あ、」
カラン、と。
龍魔呂の指先から、愛用していた真鍮製のオイルライターが滑り落ち、石畳に虚ろな音を立てた。
龍魔呂の顔から、一切の感情と血の気が消え失せる。
その瞳孔は極限まで見開き、過去の凄惨な記憶——自分の無力さのせいで、地下闘技場のゴミ捨て場で冷たくなっていった弟、ユウの最期の泣き声が、脳裏でフラッシュバックして弾けた。
『——弱い者を、虐めるな』
タガが、外れた。
龍魔呂の右手に嵌められたガジェット特製の『鬼王の指輪』が、主の暴走に呼応して狂ったように脈動を始める。
ゴゴゴゴゴォォォッ!!
龍魔呂の全身から、先ほどの魔獣討伐の時とは比べ物にならない、空間そのものを歪ませるほどの『赤黒い闘気』が爆発的に噴出した。
理性を完全に喪失した、冷酷無比なる殺人鬼。裏社会を震え上がらせた死を呼ぶ四番、『DEATH4』の覚醒だった。
「死ね」
絶対零度の声。
龍魔呂が、幽鬼のような足取りで暗殺者へと歩み寄る。
その全身から放たれる、世界の色を赤黒く塗り潰すような圧倒的な死の気配。暗殺者は、自分が人質を取った相手が、人間ではなく文字通りの『悪魔』であったことに気づき、ガチガチと歯の根を鳴らした。
「ヒッ、く、来るな! 来るなァッ! ガキがどうなっても——」
「——『鬼神流・絶花』」
暗殺者の脅しなど、DEATH4の耳には届かない。
龍魔呂は右拳を深く引き絞った。それは、赤黒い闘気の嵐を相手の体内に直接流し込み、外傷を与えずに内臓と神経を細胞レベルで塵に帰す、回避不能の必殺の一撃。
暗殺者ごと、子供もろとも吹き飛ばしかねない、完全な暴走状態だった。
「龍魔呂さんッ! ダメです!!」
キャルルが叫ぶが、彼女の速度でも間に合わない。
龍魔呂の右拳が、空間を削り取るような轟音と共に放たれた。
——ズドォォォォォォォォンッ!!!
爆発的な闘気の衝撃波が吹き荒れ、石畳が粉々に砕け散る。
凄まじい土煙が晴れた後。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
「……ッ、システマ、呼気最大。合気、ベクトル分散——!!」
暗殺者と子供の目の前。
グレーのパーカーを着た優太が、両腕をクロスさせた防御姿勢で、龍魔呂の『絶花』を正面から受け止めていたのだ。
優太の足元の石畳は、衝撃を逃がした結果としてクレーターのように陥没し、彼の履いているスニーカーは摩擦で黒く焼け焦げている。
「ガハッ……!」
優太の口から、ひと筋の血がツッと流れ落ちた。
地球の戦術医官である優太の身体能力は、あくまで人間の極限に過ぎない。魔力や闘気で強化された『鬼神流』の奥義をまともに受ければ、本来ならミンチになってもおかしくはない。
だが、優太は接触の瞬間に大東流合気柔術の『化勁』で力のベクトルを下に逃がし、システマの呼吸法で体内の内圧をコントロールすることで、致死量の運動エネルギーを強引に相殺したのだ。
その神業の間に、優太は左手でCQCのディスアーム(武装解除)を放ち、暗殺者のナイフを弾き飛ばし、少年の襟首を掴んでキャルルの方へと放り投げていた。
「キャルル、ガキを頼む!」
「ゆ、優太様ぁッ!!」
少年を抱きとめたキャルルが、悲鳴のような声を上げる。
暗殺者は、優太の背後で腰を抜かし、泡を吹いて気絶していた。
龍魔呂は、自分の拳が『誰か』に止められた事実を、濁った瞳でぼんやりと見つめていた。
その拳の先には、腕の骨を軋ませながらも、絶対に退こうとしない優太の姿があった。
「……ど、け……。そいつは、俺が、殺す……」
亡霊のように呟く龍魔呂。赤黒い闘気が、優太の身体を焼き焦がそうと荒れ狂う。
しかし、優太は痛みに顔を歪めるどころか、極北の海のように静かで、深い慈愛に満ちた瞳で龍魔呂を真っ向から見据えた。
「断る。ここは俺たちの村だ。俺の目の前で、命をこぼすことは絶対に許さん」
「……殺す。泣かせる奴は、全員、殺す……」
「ならねぇよ。お前を『人殺し』にはさせない」
優太はクロスしていた腕を解き、あろうことか、無防備な状態のまま一歩前に踏み出した。
そして、暴走する赤黒い闘気の中へ身を投じ、龍魔呂の胸ぐらを両手でガシッと力強く掴んだ。
「目を覚ませ、龍魔呂ッ!!」
優太の怒号が、龍魔呂の鼓膜を——いや、魂を直接揺さぶった。
「泣いてる子供がいるなら、殺すんじゃなくて、助けて笑わせろ! 悪党が憎いなら、殺すんじゃなくて、二度と悪事ができないように絶望させて生かせ! 過去の亡霊に囚われて、自分を見失うなッ!」
優太の瞳の奥にある、狂気的なまでの『命への執念』。
自分自身の痛みを一切顧みず、赤の他人である悪党の命を救い、そして何より——暴走した龍魔呂の『心』を救おうとする、本物のリーダーの顔。
「お前はもう、誰も殺さなくていい。傷ついたなら、俺が全部治してやる。だから戻ってこい、俺の相棒!!」
ドクン、と。
龍魔呂の胸の奥底で、凍りついていた時間が動き出した。
地下闘技場で何も守れなかった自分。血まみれになって、悪党を殺し続けることでしか自我を保てなかった自分。
その呪いを、目の前の男は「俺が治す」と断言したのだ。
「あ……」
龍魔呂の瞳から、濁った色がスゥッと引いていく。
周囲に吹き荒れていた赤黒い闘気が、嘘のように霧散し、ポポロ村の夜風が戻ってきた。
「……優太」
「心拍数よし。瞳孔の異常なし。……やっと正気に戻ったか、手のかかる男だ」
優太は口元の血を手の甲で拭い、ふっ、と短く笑った。
龍魔呂は、自分の拳を受け止めた優太の腕が、微かに痙攣しているのを見逃さなかった。
骨にヒビが入っているかもしれない。内臓にもダメージがあるはずだ。それなのに、この男は自分を止めるためだけに、一切の刃を持たず、文字通り『盾』となって立ち塞がったのだ。
「……ハッ。お前、本当に頭がイカれてるぜ」
龍魔呂は自嘲気味に笑い、ポケットからタバコを取り出した。しかし、手がわずかに震えて上手く火が点けられない。
それを見た優太が、自分のアメリカン・スピリットの火を、龍魔呂のマルボロに押し当てて火を移した。
「患者を増やさないのが、医官の仕事なんでね」
「違いねぇ。……すまなかったな、ヤブ医者。もう暴走はしねぇ。俺の背中は、お前の『不殺の流儀』に預けるぜ」
深く紫煙を吸い込み、吐き出す龍魔呂。
その横顔には、もうDEATH4の陰惨な影はなかった。あるのは、中村優太という男を心底認め、命を預ける覚悟を決めた『本物の相棒』の顔だった。
「優太様ぁッ!!」
涙目で駆け寄ってきたキャルルが、優太の無事を確認して安堵の声を上げる。
少年も母親の元へと駆け寄り、広場には再び生者の温もりが戻っていた。
だが、感傷に浸る時間は与えられない。
『ギョエェェェェェェェェェェッ!!!』
村の防壁を完全に粉砕し、章ボス級魔獣——変異型ワイバーンが、いよいよ村の中央広場へとその巨大な首をもたげた。
ビルほどの高さから見下ろす、腐毒にまみれた凶悪な眼光。
「さて。内輪揉めと、人間の手当ては終わった」
優太は医療リュックを下ろし、ワスプ薙刀を展開した。
龍魔呂が鬼王の指輪を光らせ、ナイフを順手に構える。
キャルルが、ヤンデレの笑みを浮かべてダブルトンファーを握り締めた。
「マスター。キャルル。あいつは人間じゃない。——リミッターは解除だ。派手に解体するぞ」
「応ッ!」
「はいっ、優太様♡」
最強のバディと、狂信のヒロイン。
優太を中心とした完璧なチームワークが、かつてない厄災を迎え撃つ。
読んでいただきありがとうございます。
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