EP 4
泥に浸かる覚悟〜裏社会のカルテと、悪意の読み方〜
夜のポポロ村。
喧騒が嘘のように静まり返ったメインストリートの片隅で、BAR『鬼龍』の看板だけがオレンジ色の柔らかな光を落としていた。
カラン、とドアベルを鳴らして店に入ると、店内にはショパンの『夜想曲第20番』が静かに流れていた。薄暗い間接照明が照らす重厚な一枚板のカウンター。その向こう側で、赤黒いシャツを着た龍魔呂がグラスを磨いている。
「……随分と遅かったじゃねぇか、ヤブ医者」
「ドブ掃除と魔獣の解体、それに怪我人の回診をしてたらこんな時間だ。おかげで善行ポイントはたっぷり稼げたがな」
優太は疲れた首を鳴らしながら、カウンターの隅に腰を下ろした。
パーカーの袖は泥で汚れ、微かに消毒液の匂いが漂っている。龍魔呂は何も言わず、サイフォンで淹れた深い香りのコーヒーと、小皿に盛った高カカオチョコレートを優太の前に差し出した。
ついでに、自分用には小皿に『角砂糖』を山盛りにし、そのままガリッと一つ囓る。
「……ブラックコーヒーに高カカオチョコ、お前は角砂糖か。極端な店だな」
「甘味がねぇと、頭が回らねぇ性質でな。で? 昼間の野盗から聞き出した情報は、役に立ちそうか?」
龍魔呂がマルボロに火を点けながら問いかける。
優太はコーヒーを一口啜り、深く息を吐き出した。五臓六腑にカフェインが染み渡る。
「野盗のリーダーの関節を外して(治療して)吐かせた結果だが……奴ら、ただのチンピラじゃなかった。背後に『ゴルド商会』の下請けを名乗る悪徳商人がいるらしい。ポポロ村の土地と特産品——特に『ポポロ・タバコ』の利権を狙って、村人を追い出すために野盗を雇ったんだとよ」
それを聞いた龍魔呂は、ふっ、と鼻で笑って煙を吐いた。
「だろうな。この村は異常なんだよ。ルナミス帝国、レオンハート獣人王国、アバロン魔皇国……大陸を三分する三大国家の国境が交差する、完全な『絶対緩衝地帯』だ」
「どの国も大っぴらに手を出せない、政治的エアポケットってやつか」
「そうだ。だからこそ裏では、ドワーフの地下帝国を通じた密輸や、非合法な兵器の取引、そして利権を狙うゴロツキどもがうじゃうじゃ湧いてくる。今日のお前さんの『善行』は見事だったがな……ただの綺麗事じゃ、この村の病巣は治せねぇぞ」
龍魔呂の瞳が、凄みを増して優太を見据える。
死を呼ぶ四番(DEATH4)として、数多の悪党を屠ってきた男の冷徹な眼差しだ。
「いいか優太。お前がいくら野盗を縛り上げて治療しようが、大元の『悪意』を絶たなきゃ、明日は今日より多い数のゴロツキが村を襲う。次はお前の背中を狙うプロの暗殺者が来るかもしれない。お前のその『誰も殺さない』って甘い流儀が、結果的に村の連中を危険に晒すことになるんだよ」
痛いところを突かれた。
優太はG-SHOCKの文字盤を見つめながら、沈黙した。
医官としての信条。「目の前の命をこぼさない」。それは優太にとって絶対のルールだ。だが、龍魔呂の言う通り、対症療法(目の前の敵を無力化して治療するだけ)では、病(悪意)の進行は止められない。
脳裏に、かつて自分を鍛え上げた元SEALsの鬼教官の言葉が蘇る。
『兵士ってのはな、優太。市民たちに地獄を見せないために、自ら地獄のドブにドブ漬けになって、そこを綺麗にするのが役目なんだ。それが嫌なら、今すぐ教会でお祈りでもしてな』
「……外科手術、だな」
「あん?」
「病巣が進行して、手遅れになる前に。メスを入れて、悪意の根源を正確に切除する。……俺は医者だからな、予防医学も得意なんだ」
優太は顔を上げ、龍魔呂の目を真っ向から見返した。
その瞳に、甘さは微塵も残っていない。あるのは、患者(村)を守るためならどんな泥でも被るという、狂気的なまでの覚悟だった。
「俺は誰も殺さない。そこは絶対に譲らない。だが……敵に『二度とこの村に手を出そうと思わせない』だけの地獄を見せることはできる。俺の持っている地球のアイテムと戦術を組み合わせればな」
「……ホォ」
「教えてくれ、マスター。お前が見てきた、この世界の『悪意の読み方』を。裏社会のルールの隙間を突く方法を。俺の戦術と、お前の悪党狩りのノウハウを擦り合わせれば……誰も死なせずに、悪の組織を根絶やしにできるはずだ」
優太の提案に、龍魔呂は目を丸くし、やがて肩を揺らして笑い出した。
「ハッハッハッ! 傑作だぜ。不殺を掲げる聖人君子の顔をした医者が、裏社会の殺し屋に『悪党のハメ方』を教えろと抜かしやがる。お前、見た目以上にイカれてるな」
「最高の褒め言葉として受け取っておく」
優太はアメスピを取り出し、火を点けた。
龍魔呂はカウンターに肘を突き、角砂糖をガリッと噛み砕きながら、楽しげに口を開いた。
「いいぜ。まずは悪党の『カネの流れ』と『兵站』の読み方からだ。野盗を雇うにもカネと飯がいる。奴らの拠点の見つけ方と、どうやって胃袋を握り潰すか……特別講義してやるよ」
夜のBARで、異世界転移した戦術医官と元・最強の暗殺者による、極めて実践的で非道徳な『悪党制圧ミーティング』が始まった。
優太の持つグリーンベレー式の非正規戦術と、龍魔呂の裏社会の知識。二つの悪知恵がパズルのように噛み合わさり、かつてない凶悪な「不殺の制圧計画」が練り上げられていく。
だが、そのミーティングが佳境に入った、その時だった。
バァァァンッ!!
BAR『鬼龍』の重厚な木製ドアが、勢いよく蹴り開けられた。
飛び込んできたのは、ポポロ村の村長、キャルルだった。
彼女のラフなパーカーは泥と謎の液体で汚れ、その顔には深い焦燥と怒りが張り付いている。
「優太様ッ! 龍魔呂さん!」
ただならぬ気配に、優太は即座にタバコを揉み消し、医療リュックを引き寄せた。
「どうした、キャルル。怪我人か?」
「違います……いや、怪我人じゃありません! 村の北側にある『月見大根』と『太陽芋』の畑が……何者かに謎の液体を撒かれて、土が真っ黒に変色して枯れ始めているんです!」
キャルルの声が震えている。
優太と龍魔呂は鋭く視線を交わした。先ほどの「悪意の読み方」の講義が、早くも現実のものとなったのだ。
「毒……いや、枯葉剤のようなものか。人的被害は出ているか?」
「はい……! 畑の様子を見に行った農家の人たちが、毒の気化ガスを吸い込んで次々と倒れています! 呼吸困難と激しい痙攣を起こして……診療所だけじゃ、もう収容しきれません!」
キャルルはギリッと唇を噛み締めた。
「私、今から行ってきます! 私の『月光薬』なら、毒でもなんでも治せます! 限界まで闘気を練れば、数十人は一気に……!」
キャルルが踵を返そうとした瞬間。
ドンッ!! と、優太がカウンターを叩く音が店内に響いた。
「早まるな。お前のそのヒール能力は、自分の体力と寿命を極端に削る代物だろうが。そんな無茶をすれば、お前自身が死ぬぞ」
「でもっ! 村のみんなが苦しんでいるのに、私だけ安全なところで見てるなんてできません! 私は村長です! 命を懸けてでも、みんなを……ッ」
悲痛な叫びを上げるキャルル。
自己犠牲を厭わない彼女の瞳には、死すら恐れない狂気的な決意が宿っていた。
優太は無言で歩み寄り、キャルルの両肩をガシッと力強く掴んだ。
「……ッ、優太、様?」
「一人で泥を被るのが、リーダーの仕事じゃない。お前が倒れたら、誰がこの村を纏めるんだ。俺が医官として言っているんだ。自分の命を切り売りするような真似は、絶対に許さん」
優太の低く、しかし絶対的な命令を含んだ声が、キャルルの鼓膜を震わせた。
心音聴覚が捉える優太の鼓動は、微塵の揺らぎもない。それは、キャルルという一人の少女の命を、何よりも重く見ているという確固たる証明だった。
キャルルの兎耳がペタリと垂れ下がり、その大きな瞳からポロリと涙が零れ落ちる。
「優太様ぁ……っ、でも、どうすれば……」
「安心しろ。俺に任せろ」
優太はリュックを背負い直し、振り返って龍魔呂を見た。
「マスター。授業の成果を試す時が来たらしい。悪党どもが村の胃袋(畑)を狙ってきた。……これは明確な、毒物テロだ」
「へっ。上等だ。まずは被害の拡大を防いで、それからテロリストどもを根絶やしにする。そうだろ?」
龍魔呂がカチッ、とライターを鳴らす。
「あぁ。患者を救い、病巣を外科手術で物理的に切除する。……行くぞ!」
狂気の衛生兵と、死を呼ぶ四番、そしてヤンデレの兎姫。
三人による、理不尽への反撃の幕が切って落とされた。
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