EP 11
章ボス戦(前編)〜戦術医官の盤面支配と機動破壊オペレーション〜
夜明けの空をバックに、変異型ワイバーンの巨大なシルエットが浮かび上がった。
三十分のチャージを経て、その身を覆う黒鋼の鱗は赤熱し、血管のように脈打つマグマ色の魔力が全身を駆け巡っている。一歩踏み出すごとに大地が悲鳴を上げ、高熱を帯びた呼気が周囲の瓦礫をドロドロに溶かしていた。
『ギュオオォォォォォォォォォォッ!!!』
鼓膜を破らんばかりの咆哮。
だが、その圧倒的な質量と熱量の暴力の前に立ち塞がる三人の影は、微塵の揺らぎも見せなかった。
「……オペレーション・スタートだ。まずは術野の確保と、患部の特定から入る」
優太は医療リュックから、地球の軍事・災害用装備である『超小型戦術偵察ドローン』を取り出した。先ほどの避難誘導で得た善行ポイントで引き出しておいたものだ。
ポチッ、とスイッチを入れると、四つのプロペラを持つ黒い機体が無音で空へと舞い上がる。優太の左腕に巻かれたG-SHOCKに隣接するタクティカル・モニターに、ドローンからの赤外線・サーモグラフィ映像がリアルタイムで投影された。
「……やはりな。全身の鱗は高密度の魔力でコーティングされていて、通常の打撃も斬撃も弾かれる。だが、関節の隙間——首の付け根、両翼の関節部、そして両足の腱の周辺だけは、可動域を確保するために装甲が薄い。魔力の循環もそこだけわずかに滞っている」
優太の並外れた状況分析能力が、巨大な絶望の『急所』を正確に暴き出す。
彼は瞬時に戦術を組み立て、無線機を通じて両脇に展開した二人に指示を飛ばした。
「キャルル、お前は奴の顔面周辺に張り付いてヘイト(敵視)を完全に買い占めろ。火炎ブレスの射線には絶対に入るな。マスター、お前はキャルルが作った死角から潜り込み、両足の腱と翼の関節を狙え。奴の『機動力』を削ぎ落とす」
『へっ。デカい図体の足止めか。任せな』
『はいっ、優太様! あのトカゲの目は私に釘付けにしてみせます♡ ……優太様以外の男に見つめられるのは不本意ですけどっ!』
通信越しに響く頼もしい返事。
優太はワスプ薙刀の柄を強く握り締め、鋭く叫んだ。
「散開しろ!」
その号令と共に、キャルルと龍魔呂が左右に爆発的な速度で散った。
まず動いたのは、月兎族の特性を全開にしたキャルルだ。彼女は100メートル5秒台という常軌を逸したトップスピードで瓦礫の山を駆け上がり、ワイバーンの視界の正面へと躍り出た。
「こっちよ、図体ばかりデカいトカゲさん!」
キャルルが愛用のダブルトンファーを打ち鳴らす。
ワイバーンは自身を煽る小バエのような存在に激怒し、赤熱した巨大な顎を開いて噛み砕こうと突進した。
だが、キャルルの動きは三次元的だ。
「——月影流・乱れ鐘打ちッ!!」
彼女は噛み付きを空中で捻りを加えて躱すと、タローマン製の超重安全靴に闘気を込め、ワイバーンの強固な鱗の表面を蹴り上げながら上昇した。
空中の瓦礫や、ワイバーン自身の身体を足場にした、変幻自在の連続回し蹴り。
ガンッ! ゴォンッ! という硬質な打撃音が連続して響く。ダメージ自体は鱗に阻まれて薄いが、その執拗な頭部への打撃と素早い動きは、ワイバーンの意識を完全にキャルル一人へと固定させることに成功していた。
『ギシャァァァァァッ!!』
「ふふっ、遅い遅い! 私を捕まえたいなら、もっと速く動かないと! 優太様に見とれてる時の私の心拍数の方が、ずっと速いんだからッ!」
空中を跳ね回るヤンデレ兎姫に翻弄され、ワイバーンが完全に頭を高く持ち上げた。
——その瞬間、魔獣の足元に、巨大な『死角』が生まれた。
「……もらったぜ、デカブツ」
カチッ。
地を這うような低い位置で、真鍮のライターが鳴る幻聴が響いた。
琉球古武術の『縮地』。龍魔呂は赤黒い闘気を全身に纏い、一瞬でワイバーンの巨大な右足の裏側へと潜り込んでいた。
「装甲が硬てぇなら、関節の隙間を撫でるだけだ」
龍魔呂が手にしたガジェット特製のフォーリングナイフに、禍々しいまでの赤黒い闘気が注ぎ込まれる。彼はカリ・シラットの無駄のない円運動で、ワイバーンの右足首、その分厚い鱗と鱗の隙間——アキレス腱に相当する部位へと刃を滑り込ませた。
「——鬼神流・断影ッ!」
ズバァァァァァンッ!!
凄まじい血飛沫と共に、ワイバーンの強靭な腱が断ち切られた。
『グギャアアァァァァァッ!?』
自重を支えきれなくなったワイバーンが、右足をガクンと折ってバランスを崩す。
だが、龍魔呂の追撃は止まらない。彼は崩れ落ちてくるワイバーンの巨体の下をパルクールの動きで軽やかに潜り抜け、今度は左の翼の付け根(関節部)へと跳躍した。
「もう一丁ッ!」
猛虎八極拳の踏み込みから放たれる、闘気を込めた渾身のナイフの刺突。
硬い骨に刃が軋む音が鳴ったが、龍魔呂の闘気がそれを強引に押し切り、翼の関節を内部から破壊した。
右足と左翼。対角線上の機動力を削がれたワイバーンは、ドォォォンッ! と凄まじい地響きを立てて、ポポロ村の広場に無様に這いつくばった。
「ヤブ医者! 動きを止めたぜ!」
「上出来だ! そこを退け、マスター!」
龍魔呂が後方にバックステップで離脱すると同時。
戦術医官・中村優太の姿は、すでに倒れ伏したワイバーンの鼻先数メートルの位置まで肉薄していた。
後方支援でふんぞり返っているだけの指揮官ではない。
自ら危険な前線に立ち、最も確実なタイミングで自らの手を下す。それが優太の『医療現場』におけるスタンスだった。
『ガァァァァァァッ!!』
足と翼を潰され、地に這いつくばったワイバーンが、目の前に現れた優太に向かって怒り狂い、その巨大な顎で丸呑みにしようと襲いかかってきた。
トラック数台分にもなる巨大な口。その中には赤熱するマグマのような炎が渦巻いている。
「優太様ッ!?」
空中のキャルルが悲鳴を上げるが、優太の呼吸は完全に『システマ』のリラックス状態にあった。
極限の集中。時間の流れが遅く感じる。
「……焦るな。デカい攻撃ほど、見切るのは容易い」
優太は一歩も後ろへ退かなかった。
顎が彼を捕食する寸前、優太は大東流合気柔術の歩法で、斜め前方へと滑るようにステップを踏んだ。
ワイバーンの突進する強大な運動エネルギー。優太はそれに逆らわず、すれ違いざまにワイバーンの下顎の側面に手を添え、闘気ではなく『合気』のベクトル制御によって、魔獣の突進の軌道をわずかにズラしたのだ。
ズザザザザザァァァッ!!
空振ったワイバーンの巨大な頭部が、優太の真横を通り過ぎ、石畳を派手に削りながら地面に激突する。
そして、その激突の衝撃で、ワイバーンの首の付け根にある『分厚い鱗の重なり』が、わずかに開いた。
ドローンが弾き出していた、最大の急所(患部)。
「——見つけたぞ。病巣の核だ」
優太は片手に持っていたチタン合金製のワスプ薙刀を逆手に持ち替え、その鋭利な刃先を、開いた鱗の隙間へと容赦なく突き立てた。
ブスッ!!
肉を裂く手応え。
だが、ただ刺しただけでは、四十トンの巨体には針を刺した程度のダメージにしかならない。
優太は冷酷な目で、薙刀の柄にある『特殊バルブ』を一気に解放した。
「ワスプ・インジェクター。内圧60気圧。……内部から破裂しろ」
シュガァァァァァァァァァンッ!!!!
薙刀の刃先から、超高圧に圧縮されたガスが、ワイバーンの首の筋肉と血管の内部へと直接、爆発的に注入された。
風船に高圧コンプレッサーの空気を直接打ち込むようなものだ。
しかも相手の体内で。
『ギギ……ッ、ゴベァァァァァァァァッ!!?』
ワイバーンの首が、内側から異常なまでに膨れ上がった。
そして、圧力に耐えきれなくなった筋肉と神経が、強固な鱗ごと内側から派手に弾け飛んだのだ。
ドバァァァッ! と、マグマのように熱い大量の血液が噴水のように吹き上がる。
「……目標の急所に致命傷。手術完了だ」
優太は血を浴びる前にバックステップで距離を取り、ワスプ薙刀の血糊を振って払い落とした。
首の付け根の筋肉と神経の束を内側から吹き飛ばされた変異型ワイバーンは、もはや首を持ち上げることもできず、ドクドクと血を流しながら地面をのたうち回っている。
「すげぇ……あのバケモノを、たった一撃で……!」
「優太様……かっこいい……♡ もう、あの薙刀になりたいくらいかっこいいです……っ♡」
合流した龍魔呂とキャルルが、優太の圧倒的な一撃に息を呑んだ。
三人の完璧なチームワーク。
索敵、陽動、機動力の破壊、そして致命のピンポイント攻撃。誰一人欠けても成し得なかった、盤面を完全に支配した戦術医官の勝利の方程式だった。
「油断するな。まだ完全に息の根は止まっていない。距離を取って、奴が失血死するのを待つぞ」
優太が警戒を緩めず、インカム越しに指示を出した。
本来なら、これで終わるはずだった。
首の神経を吹き飛ばされ、動くこともままならない状態。生物である以上、あれ以上の出血が続けば確実に死に至る。
だが。
『ゴ……ゴポォ……ッ』
地面に伏していたワイバーンの喉の奥から、異常な音が響き始めた。
それは、周囲の空気を尋常ではない速度で吸い込む音。
ズル、ズル、と、首を動かせないはずのワイバーンが、前足だけを使って強引に上体を起こそうとする。
「おい、優太。なんか様子がおかしいぜ。あいつの身体の赤い光が、全部『喉』に集中してやがる……!」
龍魔呂の警告に、優太のドローン・モニターがけたたましい警告音を鳴らした。
モニターに映るワイバーンの口腔内。その熱源反応が、あり得ない数値を叩き出している。
1000度、2000度、3000度……さらに上昇。
「なっ……馬鹿な、首の神経は断ったはずだ!」
「優太様! 周囲の空気が、焼けるように熱いです……っ!」
キャルルが顔を庇いながら叫ぶ。
優太は瞬時に理解した。
ワイバーンは、生物としての生存本能を完全に捨て去ったのだ。自らの命を燃やし尽くし、体内の全魔力と全生命力をただ一つの攻撃——『超広域プラズマ・ブレス』へと変換しようとしている。
狙いを定める必要すらない。
首が動かせないなら、そのままの姿勢で、全方位に向けて魔力を解放し、自爆覚悟で周囲一帯を蒸発させる気なのだ。
「……まずい。地下シェルターの防壁は熱をある程度遮断できるだろうが、村の地上施設は跡形もなく消滅する。上層の土がガラス化するほどの熱量だ!」
優太の背筋を、冷たい汗が伝う。
避難している村人は助かるかもしれない。だが、村が消滅すれば、彼らは地上に出た瞬間に生きる術を失う。
何より、今この場にいる自分たち三人が、あのブレスの直撃から逃れる術はない。
『ギュルルルルォォォォォ……ッ!!!』
ワイバーンの口元に、太陽のような極大のプラズマ球が凝縮されていく。
圧倒的な絶望。
回避不能。防御不可能。
「チッ……万事休すか。だが、タダじゃ死なねぇぞ」
「優太様! 私が盾になります! 少しでも時間を……!」
龍魔呂がナイフを構え、キャルルが優太を庇うように前に出る。
だが、優太は二人の肩を強く掴み、その場に留まらせた。
「馬鹿野郎。俺の目の前で死ぬなと言ったはずだ。……それに、まだ終わっちゃいない」
極北の海のように冷たい優太の瞳には、まだ勝負を諦めた色は微塵もなかった。
彼は視線の端で、空中に浮かぶ【地球ショッピング】の善行ポイント残高を見つめた。
——残高、ゼロ。
もうガチャは引けない。
だが、優太の頭脳(悪知恵)は、手持ちのカードの中で最善かつ最凶の解答を、すでに導き出していた。
「マスター。キャルル。……お前たちの最大火力を、俺に合わせろ」
「最大火力だと? あのブレスごと押し返せってのか!」
「そうだ。一歩も退くな。真っ向からぶち破るぞ」
プラズマ球が限界まで膨張し、発射の臨界点へと達した。
絶対絶命の村の広場で、狂気の戦術医官による、最後の大博打が始まろうとしていた。




