忌み嫌う匂い
ミルリンが起こした騒動が笑い話として
サキュバス仲間に広まるのと同時に、
それに付随するかのように
よからぬ噂が立ちはじめる。
ミルリンが不法侵入した住宅街、
その近辺に明らかにヤバイ家がある、
そうサキュバスの間で
話題になっていたのだ。
各地に散っている筈のサキュバス達が、
地下にある喫茶『カミスギ』に立ち寄っては
愛倫にその報告をする、
それぐらいにサキュバス達は心配していた、
被害者のことを。
その話を聞き愛倫も
問題になっている
その家の傍まで行ってみるのだが。
十字路の角に隠れるようにして、
その一軒家を見上げる愛倫。
その家からは愛倫が
最も忌み嫌う匂いしかしない。
しかも最悪な程に熟成されてしまっている、匂い。
「……嫌なものを思い出しちまうね、
胸糞が悪いったらありゃしないよ、
まったく……」
昔、愛倫は異世界で
そんな光景を何度も見て来た。
脳裏に蘇るその禍々しい記憶の数々。
地下牢に拘束され監禁されている少女、
体中が傷だらけの少女、
そんな光景を見た時と同じ匂いがする。
-
愛倫が調べると、
確かにその家には
小学生高学年ぐらいの女児が住んでいる。
嫌な予感はますます不安へと変わって行く。
おそらくは児童虐待。
そして多分それだけでは済まないであろう。
父親の腕枕で寝ることを強要されたとか、
一緒にお風呂に入ることを強いられたとか、
そんなレベルでは終らないであろう腐った匂い。
昔の異世界ぐらいの文化レベルであれば、
愛倫は敷地だろうと屋敷内だろうと
躊躇なく踏み込んで
少女を助け出しただろう。
かって自分がそうしていたように。
だが現代の人間社会、
人権、プライバシー、個人情報保護等々、
法整備もされ様々な仕組みが確立された
こちらの世界ではそういう訳にはいく筈もない。
ミルリンのように
家主の許可無く家に入れば、
それは当然不法侵入となるし、
親子のプライベートな問題に
他人が介入するには限界がある。
-
その少女をいたたまれなく思い、
愛倫は慎之介に相談してみるのだが。
「せめてその少女が、
自分から誰か大人に助けを求めてくれれば、
児童相談所もまだ動きようがあると思うんですが」
家の中で起こっている出来事、
それが表面化しなければ
外部の人間は立ち入ることすら出来ない。
少女本人に会って
確かめようとした愛倫は、
学校帰りを狙って、話しかけてみるが、
愛倫を無視して
少女は何も話そうとはしない。
まるで死んだような目をして、
ただ黙々と歩き続けるだけだった。
今は知らない人に話かけられたら逃げろと
子供に言って聞かせる時代だから
それは当然のことなのかもしれない。
金髪でライダースーツを着た
ちょっと胸の谷間が見える女という時点で、
不審者だと思われても
仕方ないと言えば仕方ない。
変質者ということで通報されなかっただけ
よかったのかもしれない。
愛倫はもう一度慎之介に
自分が思っていることを相談してみる。
「うーん、
それはちょっとグレーかもしれませんね。
でも確かにその方法しかないようにも思いますし。
今回、自分は聞かなかったことにしておきます」
慎之介は愛倫に確認する。
「でもそれで何も起こらなかったら
どうするんですか?」
願うような口調で愛倫は応える。
「あたしはね、
何も起こらないことを望んでいるんだよ、
何も起こらないってことは
何もないってことだからね、
ただのあたし達の勘違いなら、
それが一番いいんだよ」




