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ボクは仕事につかれました。  作者: 新京極宮子
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第三章④

久しぶりに続きを書きました。

 本社に到着すると、じいやはそっと扉を開けた。


「社長室で待たれております」


 小声でそう言うと、お辞儀をしたまま顔を上げない。

なんだろう。僕が悪いことをしたはずなのに、ラスボスに挑むこの感じは……

 普段よりも遅い歩幅で廊下を歩き、エレベーターに乗る。しかし、その程度の時間稼ぎでは何一つ状況など変わらない。気付いた頃には社長室の前へと辿り着いてしまっていた。時間は午後四時前。電話の一件がなくとも、この場にいなくてはいけない時間だった。

 二回ノックしたつもりだったが、震えた手は扉を計七回ほど叩いてしまっていた。


「失礼します」


 動揺と焦燥を抱え込みながらも、ゆっくりと扉を開ける。リリは無言でデスクに座ったまま、ファイルに入った資料に目を通している。こちらに目もくれず自分の作業を黙々と進めている。


「あ、あの」


「あら、いたの? 無言で立っているから、ついに私まで幻覚が見えてしまったのかと心配になったわ」


 ファイルを少しだけずらし、こちらを一瞥する。いつもと何も変わらないはずの罵倒には怒りが感じられなかった。


「それで、何?」


 再びファイルを見直し、仕事を始める。リリの中ではなかったことになっているのか、僕の口から直接言うのを待っているのか。リリの意図が掴めずにいた。

 それでも、なかったことになんてできないほどのことをした。僕は自分の言葉で伝えなくてはならない。聞かなくてはならない。


「あの、モントレールの件ですが……」


 自分でも声が震えているのがわかる。腹から声が出ない。

 そこでようやくリリは反応を見せた。手に持ったファイルを机に置き、鋭い目でこちらを見る。その目は怒っているというよりも、試されている様な見透かす目。それでも怖いことには変わりない。数秒見つめてリリは口を開いた。


「契約は破断になったわ。二千五百万ほどの赤字だったし、別に構わないわ」


「に、にせんごひゃくまん……そんな」


 当初聞いていた金額よりもかなり額が上がっている。契約が破断になったことで、黒字見込みだった全ての金額も含まれているようだった。


「金額なんてものはどうでもいいの。あなたはこの二週間、懸命に働いていたわね。初日とは見違えるほどに……」


 リリは前髪をサラリとさわり、首を傾けて言う。

 玄崎さんから聞いていた数百万という数字を遥かに凌駕した金額を言い渡された。その数字に呆気にとられ言葉が出ない。


「その……」


「だからこそ、私は心底、失望したわ。仕事をこなすうちに、慣れてくるあなたに。でも、気を抜いてはいけないの」


 確かに少しずつ仕事を覚えて、もうできるんだと思い込んでいた。現に仕事を朝のうちに終わらせて、時間を作っていた。余った時間を松宮さんと話す時間にしていた。大切な携帯電話を忘れてしまうほどに。今日も授業が終わってすぐに学校を出ていれば電話に出ることだってできたはずだ。


「本当に……申し訳ありません」


 僕がそう言うと、リリは椅子から立ち上がって、デスクを大きく回ると、ゆっくりとこちらへと向かって歩いてくる。


「私が何故あなたに働かせたのだと思う?」


「え?」


 僕の目の前に来ると、今度は机にもたれるようにしてこちらを向いた。


「いかにも普通の高校生で冴えないあなたを選んだのか」


 左手で僕の方へと指を差す。一切目を逸らすことなく、僕の目だけを見ている。

 僕を選んだ理由?


「えと、事故に遭って……」


「事故の被害者だからって、私の重大な側近になんて選ばないわ」


 途中で遮られた。回答が不正解とわかるや否や最後まで言わせてもらえない。リリは呆れたように右手を額に添える。


「それじゃあ……」


「本来なら事故に遭った加害者、被害者の関係で私の仕事など任せないわ。たかが車一台の弁償金などもらうつもりもなかった。あなたは言ったわよね。弁償します。何でもやる。死んでも言うことを聞くと。その澄んだ目は純粋で、責任感と覚悟があった。だから私はあなたに仕事を与えた」


 確かに言った。弁償する、何でもしますと。死んでもは……言ってないような気がするが。


「少し仕事ができ始めて浮かれていたのではなくて?」


「そ、それは……」


 虚を突かれた。全てが図星で、核心を問われ反論の一つもできない。身近な仕事だけこなして達成したと思い込んでいた。


「普段はこんなことは言わないのだけれど、あなたは、何でもやると言ってから、実際には何もやっていないわ。何一つ達成していない。もう少し周りを見て行動しなさい」


 そう言うとリリは僕に背中を向け席に戻ろうとした。この件はもう終わりと言わんばかりに。


「僕は……リリのような天才ではありません。それでも一生懸命頑張っているつもりです」


 面と向かっていないからだろうか、抑え込んでいた言葉が口からこぼれ落ちた。かすれるような声で言うが、リリに届くには十分すぎる声だった。

 リリはピタリと足を止めた。表情が見て取れない背中はとても恐ろしい。何一つリリは悪くない。それなのに、言ってはいけないことを言ってしまった。

 これは反論ではない。ただの嫉妬だ。できる人間への嫉妬。

 リリは背中を向けたまま言った。


「人間はね、誰しもが天賦の才を授かっているの。でも、ほとんどの人間がその才能を見つけられないまま朽ちていく。何かを達成した人ではなく、その才能を見つけた人を本当の天才と呼ぶの。私が何もせず今の姿になったと思って?」


 リリは怒りの一つも見せていなかった。むしろ怒らせるために言ったような言葉さえも彼女には届かない。


「……」


 僕はその言葉に何の反論もできなかった。リリは天才で、僕は凡人。それを心で認めてしまっても彼女はその言葉を否定する。

 リリは止めていた足を再び動かし始めると、自分の席に着いた。机に置いたファイルを開け、仕事に戻る。


「はぁ……だから、今日はもう下がっていいわ」


 こちらを見ることなく手の甲で羽虫を払うように空を切った。


「ク、クビですか?」


 借金八百万円を残し、更には二千五百万の赤字を出した上、クビになるなんて、僕は本当に何もしていなかったのかもしれない。


「はぁ……一つだけ言っておいてあげるわ。私の会社は二千五百万程度の赤字では何の影響もないわ……以上よ」


 そのまま社長室は沈黙に包まれる。何も言い返せないし、言い返す権利もない。


「し、失礼しました」


 僕の行動を否定され、言葉さえも論破された。圧倒的敗北感に下唇を噛んで、悔しさをにじませる。怒られたわけではないのに、泣くほど悔しい。情けない。

 小声でそう言うが、もちろん反応はない。鉄球を足枷にされたように僕の足は数センチさえ上がらなかった。すり足のように部屋を歩き社長室を出る。

 何一つリリは間違ったことをしていないのに、敵意を向けて反論してしまった。

 社内を歩きながらも頭に浮かぶ思考が一つとしてまとまらない。まるでゾンビのような歩き方と表情で会社を後にする。

 どこへ行こうか、どこへも行きたくない。それでも僕は自然と向かう場所があった。


暇つぶしに読んでください。

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