第三章② 仕事頑張ってます
「あれー、今日はなんかご機嫌だね」
前席の天使こと松宮さんが声をかけてきてくれた。この席になってから二週間というもの、仕事ですぐに学校を出たりするので、クラスにあまり友達のいない僕を気遣ってか、よく話しかけてくれる。クラスでも人気者の松宮さんに話しかけるのは、嬉しいし楽しい。それが学校での唯一の楽しみにもなっている。
「いや、なんか最近しご……バイトがうまくいくようになったんだよね。だからちょっと余裕持っちゃって」
「ふーん、そう言えば三国君、何のバイトしてるの?」
腰を捻っていた状態から、半身を横へ向け、上半身をこちらへと向ける。そして、いつものように僕の机に肘をついてこちらを見つめる。
う、なんか……近い。
「えっと、秘書というか付き人みたいなのを。結構、激務なんだけどね」
「そっか、時間が空いたら遊びに行こうよ」
「うん、遊びに……え?」
思いがけない言葉に反応してしまう。聞き間違いじゃないよな。遊びにって言ったよな。
「だって始業式の日、三国君来れなかったでしょ。いつも先帰るし、話す時間ないんだよね」
「あ、そうだね……じゃあ……」
なにこの人超可愛いんだけど。僕は毎日この天使と話せる機会を捨ててまで仕事に行っていたのか。 ちょっと今から仕事辞めてこようかな。
「どっか、ぱーとね、みんな呼んで」
「そうですよねーみんなだよねー」
そう松宮さんは顔が広いぶんクラスだけでなく学年全体から人気がある。それはみんなを平等に明るく接してくれるからだ。自分だけに優しいからとか思ってはいけない。
「なにー二人きりで行きたかったの?」
松宮さんは目を細めながら笑顔で言ってきた。
この問い詰める感じ、この人ドSなんじゃないか。
「あ、いや、そういうわけでは……そうみんなで行きたい。みんなでじゃないと嫌だ」
「なんかそれはそれでむかつくなー」
「へ?」
「ううん、何もないよ」
心なしか頬を少し膨らませ不満な顔をしている。いや、本音じゃないんですよ。ほんとは凄く行きたいです。二人きりでもいいです。でも松宮さんと二人で出かけたら目立ちそうだな。
するといつものタイミングで緋山先生が教室にやってきた。松宮さんも同時に前を向き直す。
松宮さんと話すと楽しいけど、ほんと緊張するリリとは正反対の緊張だけれど。
緋山先生の挨拶が終わると、退屈な授業は開始され、長い一日の授業を終えた。たった数時間の授業が 僕にとっては、ついでになった。この後、仕事があるということで、毎日の授業が軽く見えてしまっていたのだ。
「ね、ちょっとだけ話していかない?」
いつもなら授業終了のチャイムと共に飛び出していくのだが、松宮さんは立ち上がる僕を引き止めた。 基本的にはすぐに学校を出るのだが、今日は例外である。リリは取引のため先に仕事へ向かってしまった。そのため普段より少し遅く出ても問題はない。四時と言われている。
今日の仕事は全て事前に朝済ませてきたので焦ることはない。それでも時間と言えば、
「二十分くらいなら」
これが限界だ。
夕陽が見えるのはまだ早いが、部活や帰宅する人で放課後の教室は静かになった。二年になってから放課後の教室を知らないのだが、いつもこんなに人がいないものなのだろうか。
僕が想像していたのは放課後に部活のない数人のグループが話し合っていると思っていたんだけれど、みんな帰り道で店に入寄ったりしているのかな。
教室には松宮さんと二人っきりになった。なにこのラブコメみたいな展開。みんながいると緊張するけど、一対一とか余計に緊張する。
「どうしたの? 顔赤いよ?」
松宮さんは覗き込むようにして、僕の顔を見る。夕焼けには少し早いので、なんとも言い訳がしがたい。ちょっと待って。その原因あなたなんです。とは言えず僕は立ち上がる。
「あ、えと、ちょっとトイレに……」
慌てて廊下へと飛び出て校舎の端にあるトイレを目指す。
放課後の教室でクラス一の美少女と二人きりなんて。ドキドキが止まんないよ。どっか誘ったりしてもいいのかな。でも時間ないしなぁ。休みの日とかあったっけ。
日程を確認しようと、ポケットを探るが、それが見当たらない。
あれ? 電話が……ない? そっか机に忘れて……
顔が真っ青になるように、全身の毛が逆立つ。仕事を初めて、今まで肌身離さず携帯電話を持っていた。トイレの時もお風呂の時も。
授業中でも契約の電話がかかってくる時もあるので、いつでも確認できるように、筆箱で隠しながら机の上に置いている。
僕は松宮さんと二人きりで話して緊張してしまっていたのだろうか。五限目の授業終わりと共に電話を そのまま机の上に置いてきたままにしてしまった。
そう、僕はここで初めて電話を肌身から離してしまったのだ。
僕はトイレなど寄らず、走ってきた道を戻る。廊下を走ってはいけないという校則など関係ない。すぐにたどり着いた教室の扉を勢いよく開けた。驚いたように松宮さんは身体を震わせて僕の方を見た。
「びっくりした」
松宮さんの声は僕の耳には届いていなかった。最優先事項は自分の電話を確認すること。机の上に置いてあった電話を慌てて取る。画面には不在着信モントレールと書かれていた。
「どうしたの、そんなに慌てて。もしかして彼女とか?」
冗談交じりに言ったのだろうが、僕の耳にはそんな陳腐な言葉は届かない。その時、玄崎さんの言葉が脳裏によぎる。
『電話は必ずコール二回以内に出ろ』
仕事を始めてから、今までコール二回以内に電話に出ないことはなかった。僕は初めて電話をとりこぼした。
「ごめんちょっと、しご、……バイト呼ばれたし、行ってくる。ごめん」
「あ、うん……顔色悪いけど大丈夫?」
「だ、大丈夫、大丈夫気にしないで」
いつもなら松宮さんの言葉に優しく返すのだが、今はそうもいかない。どうしたって心が落ち着いてくれない。




