第二章④ 仕事はじめました
駅に到着後、新幹線のチケットは買えたものの、数回頭を下げて一般のお客様に席を変更してもらった。付き人の仕事ってこんなものなんですか。新幹線に乗るのも一苦労だ。
もちろん、新幹線でも休む間もなく、電話や契約書の制作で時間がとられ、一時間四〇分という時間は あっという間に過ぎていき、名古屋へ到着した。少しでもゆっくり移動できると思っていたのに、浅はかな考えだった。
名古屋駅を降りるとじいやはいないので、必然タクシー移動になった。駅からタクシーで十五分。到着したビルの周りには大勢の人が集まっている。
ビルの一階はガラス張りラジオブースになっているため、公開ラジオということで、見物客も多いようだった。すでに放送まで三〇分を切っている。
僕たちは、タクシーのままビル裏の駐車場から中に入ると、そのまま関係者控室へと案内された。控室に入るとリリは関係者と何やら話している。
なんか怖いな。え、なんかこっちを指差している。嫌な予感が……
話が終わるとリリはこちらへ向かってきた。そのまま僕の耳元で言う。
「今あなたにデータを送ったわ。そのデータを二五〇部コピーして、従業員とスタッフに配って頂戴。残りはお客様用に入口の従業員に渡してくれれば大丈夫だから」
時計を見ると、放送まで十五分を切っていた。
僕が大丈夫じゃあないよ。
「くっそ、これ間に合うのか」
タブレット片手にビルの中を駆け巡り、関係者に次々声をかけていく。なんか逃走中みたいだな。追われているのには間違いないんだけれど。
「コピー機を借りられるところありますか?」
スタッフは皆忙しそうにしており、後にしてくれという態度を示すのだが「蒼海社長」という単語を出せば全員が全員、丁寧に教えてくれる。
どうなってんだ、このネームバリューは。
ようやく話は通り、ラジオビル六階にある事務室のコピー機二台を借りることができた。
「これで何とか、間に合いそうだ……はぁ……」
というかエレベーターが来なさすぎ。六階まで走ってきちゃったよ。こんなに走ったのは……小学生以来だな。
コピー機に手をついて出来上がりを待つ。しかし、一時の休息も束の間。次なる指令がメールで届いてきた。
「え、なに、コピーを配り終えたら、ブースに来てラジオを聞け? 話に出てくる衣類の全てを明日までに手配して……え?」
ということは……最初から最後までラジオに立ち会えってことか。ラジオの会話を聞き逃すなということですよね。一分たりとも時間を与えてくれないんですね。
コピーを終えたチラシを抱えて一階へと走る。開始五分前ということでスタッフはブース裏で最後の打ち合わせをしている。
「よかった、みんな集まっている」
打ち合わせの邪魔にならないように、チラシを手際よく無言で渡していく。やっぱり本番前となるとピリピリしており受け取る態度が違う。無言で後にしてくれと言われているようだ。
リリは公開ブースの隣にあるモニター室で、顎を指で支えて真剣な表情で見ていた。
ほんと仕事には真剣だなこの人。入口付近に立つ僕を見て、リリは指先をこちらに向けて、来いと言っている。小走りでリリの元へ着くと、
「ここで見ていなさい」
横に空いた椅子を指差した。隣にいてほしいとか、寂しかったのかな。
リリは急にこちらを睨んだ。
「あ、いえ、その……」
「まだ何も言っていないわ。放送聞き逃さないようにね」
あ、そっちですか。何でもできる人だから、てっきり読心術まで心得があるのかと思ったよ。
「はい」
公開ブースには有名モデルとファッションデザイナーの二人がマイクの前で準備をしている。後ろでリリが見ているからか、音響監督も緊張しているようにも見える。
生放送なので、タブレットでサイトを開き、音声を文字化するアプリを開いた。
昨日、確認しておいてよかった。こんな便利なアプリがあるなんて。世の中便利になり過ぎたら人は堕落していくんじゃないか。いや、僕は使うんだけれど。便利万歳。
放送は一時間で終了したが、想像以上に聞いたことのない用語がたくさん出てきた。それでもアプリのおかげで、わからない単語をまとめるだけに済んだので助かった。これがなければ地獄だったな。というか不可能だった。
手配する衣類は何とかまとめられたが、これを手配してこそ完了なんだよな。よし、明日までにこの十四着の服を用意するんだな。うん……つらいよ……ぐす。
公開ラジオも無事終わったのだが、僕の仕事は……まだ終わらない。出演者がブースを出ると、すぐにスタッフ全員が後片付けを始めた。
リリは時計をちらっと見て立ち上がった。ラジオ会社の社長だろうか、貫録のあるおじさんが僕らの元へ寄ってきた。
「少し早いですが、私は先にお店へ向かおうと思います。蒼海社長はどうされますか?」
「えぇ、社長さんは先に向かっていてください。私たちも時間通り向かいますので」
リリは笑顔でそう言った。というよりも口元と目元を緩ませただけの笑顔。
ラジオ会社の社長は「わかりました」と一礼して先に、打ち上げ会場へと向かった。
片付けを手伝いたいのだが、勝手にやってもいいのだろうか。かえって邪魔になったり。
「先に行ってもやることがないわ。片付けも仕事のうちよ」
心の中を見透かされたのか、リリの一言が耳を通る。
普段から厳しいリリだが、仕事に向き合う姿は本当に尊敬する。先に会場へ向かったラジオ会社の社長との違いが大きく表れているようにも思える。今更だけれど、とんでもない人に仕えているんじゃないだろうか。
リリが見ているという緊張感からか、後片付けは当初の時間よりも早く終わり、全員が早めに打ち上げ会場へ到着した。
打ち上げと聞いたからには、居酒屋の貸切などを勝手に想像していたのだが、そんな陳腐なものではなく、高級ホテルのレストランの貸切だった。
メインディッシュは一品が家族で食事した総額ほどの料理だ。それをただで食べられるなら食べるほかない。リリも先ほどの社長たちの話に夢中で楽しんでいる。これは食いだめするくらい食べないと。
すると電話のアラームが鳴り始めた。
なんだよ、食事の時間くらい……アラーム?
タブレットを素早く開くと、出発時間十分前と表示されている。
…………やばい、そういえば次は東京で取引があるんだ。
リリのテーブルを見ると貫録のある老人や婦人が取り巻いている。どっからどう見ても、富豪の家族に見える。
テーブルを見つめていたリリはこちらに気づくと目で何かを言っている。どうやら時間がおしていることに気づいたようで次の用意をしろという感じだった。僕はタブレットに入ったマニュアルに目を通す。
「えと、お嬢が行くと言えば、急かすようにとられるので、相手に非がないように、自分が時間ですと伝える」
要するに僕が割って入れってことか。リリが言うと気が悪いし、僕が急かしているようにすればいいってことか。
一息ついてリリのいるテーブルへと向かっていく。もう少しおいしい料理食べていたかったけど仕方ないか。
「申し訳ございません。社長、そろそろ出発のお時間かと……」
僕は白々しくリリを社長と呼んで、時間が押していることを伝えた。
「あら、もうそんな時間? 失礼、社長、婦人。この後、別の仕事が残っていますの」
「いやいや、この食事会に参加してくれただけでも光栄ですよ。気を付けてください」
「いいえ、こちらこそ。時間を忘れて話し込んでしまったわ」
「ところで彼は?」
「えぇ、私の付き人です」
リリは指先をほんの少し動かし、無言で自己紹介しろと言っていた。
「はい、今日から社長の付き人になりました三国悠斗です。今後ともよろしくお願いします」
同級生としか遊んでこなかった僕に、いきなり大企業の社長と挨拶なんてハードルが高すぎる。コンビニの店長くらいが限界だよ。
「そうかい。若いのに頑張るんだね。彼女の付き人なんて、宇宙で最も忙しい仕事だぞ」
「社長、ご冗談を、彼にはかなり甘くしていますのに」
リリは笑いながら言った……え、あれで? 冗談だよね。
「記念にこれをあげよう。打ち上げの景品で使う予定だったんだが余ってしまってね」
手渡されたのは小箱の中には時計が入っていた。新品ということもあるのだが、見るからに高級そうに見えるんだけど。でも打ち上げの景品とかだし、そこまで高価じゃないだろう。
「あ、ありがとうございます、大切に保管させていただきます」
「いや、いや、使ってくれよ。時計なんだから」
「あ、はい」
ぶ……ぶらんくぺいんって読むのかな? 聞いたことないメーカーだな。
「では社長ごきげんよう」
リリは気前よく笑顔でお辞儀すると、僕に続いてホテルを後にした。驚いたのはやはり、ラジオ会社の社長が「青海社長が帰られます」と言った時だな。時間が止まったかのように全員が起立して頭を下げて挨拶をしていた。
コピー機を借りる時もそうだったが、この業界にはどうやら「アオミシャチョウ」という魔法の呪文があるらしい。




