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ボクは仕事につかれました。  作者: 新京極宮子
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第二章② 仕事はじめました

 下唇を噛みしめながら、人生で最も長い五分をやり過ごすと、元いた場所、僕が降りた場所にじいやは立っていた。

 もしかして、ずっと立って待ってたわけじゃないよね。


「おはようございます。そして、おかえりなさいませ、リリお嬢様」


「ええ、おはよう。そして、ただいま」


 なんか僕と九〇度くらい態度違わない?


「三国様、扉を」


 物思いにふける僕に、じいやは慌てて耳元で言った。


「あ、すみません」

 扉を開けるとリリは車内に乗り込んだ。扉を丁寧に閉めている間に、じいやは運転席へと移動し、トランクに鞄を積み終え乗車すると車はすぐに出発した。

 よし、これで一段落……なんすかこれ。なんでぼくの膝の上にコートがあるんですか?


「えっと」


「あなたは言われなければ行動できないの? しわになる前にかけておきなさい」


 さっきから重要なことは言葉足らずなのに、余計なことは一言多いんだよな。

 広い車なのでコートをかけても邪魔にならない。移動中はやることがないと思っていたのに。

 しわにならないよう綺麗にコートをかけると、静かな車内に小さな音が響く。

 

 コン。


 ん? 何の音だ? 小さい音だがかすかに聞こえた。いや、静かな車内だからこそ聞こえる。


 コン。


 二回目だ。えっと……

 血の気が引くように脳内に刻まれた記憶が蘇ってくる。なにか玄崎さんに言われていたような気がする。確か、三回目までに……

 リリを見ると、肘掛に指先を立てている。これって確か守るべき三つのこと。

 慌てて車内冷蔵庫を開ける。中には瓶に入った牛乳があった。えっと、これどうすれば。

 冷蔵庫の上にはカフェポッドがあり、その横にはマグカップが裏を向けて置いてある。

 これを使えばいいのか。

 カフェポッドに牛乳を注ぎ、電源を入れる。

 あれ、設定温度は九十六度になっている。確か玄崎さんは八十六度って言っていたよな。設定が間違っているのかな。

 設定温度を八十六度に変更し、スタートボタンを押した。

 数分して設定温度に到達したというアラームが鳴り、素早くマグカップに注ぐ。言いつけられた砂糖をスティック一本入れ、表面の膜を取り除き、肘掛にマグカップをセットする。

 ふぅ、なんとか大丈夫だったか。僕って意外に有能なんじゃあ。

 リリは無言でマグカップに口をつける。そしてすぐさまコップを置いた。


「これはもういいわ。下げておいて」


「へ、あ、はい」


 中身はほとんど減っていなかった。

 何かまずいことしたかな。設定温度も砂糖もちゃんとやったはずなんだけどな。

 リリは不愉快な顔を見せタブレットを操作しながら言った。こちらを一切見ることなく。


「この後の予定は?」


「……え、あ、はい」


「あなたの耳にはノイズキャンセラーでもついているのかしら。私の声は雑音に聞こえる?」


「あ、いえ、すみません。そういうわけでは……」


「いま質問に関係ない言葉は伝えなくていいわ。無駄な知識を脳に入れたくないの」


 慌てて、タブレットのスケジュールを確認する。まだ慣れていないぶん余計に時間がかかってしまう。 すぐにスケジュール項目を開き今日の予定を読み上げる。


「この後、丸田製糸工場へ向かい、製品の確認、契約の有無を終え、その後学校へ向かいます。十二時三〇分からは七月オープンのイノンモール参入のために店舗契約書会議です。夕方四時からは名古屋でスプリングフェアの公開ラジオの立会い。その後、ラジオの打ち上げと言いますか、食事会後、午後一〇時東京の方でボタン会社から、夏季商品の新作水着の新規契約のために代表とお会いする予定です」


 噛み噛みにスケジュールを伝えたけど大丈夫かな。余計なことは言っていないし。

 リリは「そう」と一言告げた。罵倒反射がないということは今の応対は正解だったのかな。


「じいや、予定より二分二〇秒遅れているわ。急いで」


「かしこまりました。お嬢様」


 秒……?


 リリは電話を取り出すと、タブレットを操作しながら会話しだした。


「ええ私よ。今日の会議だけれど……」


 電話しながらも、手元の操作のスピードは変わらない。ほんとに高校生ですか。

 電話を切るとすぐに、次の電話をし始めた。今度は日本語ではない。単語が全くわからないあたり、英語ではないようだ。

 僕は黙り込んだまま数分を過ごすと、車は最初の目的地である製糸工場へと到着した。お世辞でも立派とは言えないビルとその裏にある工場は、見た目がセレブなリリにとっては全く正反対の場所に見えた。

 車が停止して五秒後に気づいた。慌ててハンガーにかけたコートを取り、外へ出て、左後部座席の扉を開ける。


「お待たせしました」


 リリが降りたところに素早く手に持った上着をかける。本日のスケジュールには先導して入ると書いてあったので、リリの前に立ってビルの中へと入る。

 時刻はまだ七時を過ぎたところで、営業時間前なのだが、ビルの入口の前には数人も従業員が待ち構えていた。


「本日は、お越しいただきありがとうございます」


 入口を入った途端、おそらく全社員だろうか、五〇近い社員が深々と頭を下げている。

 先頭に立った代表らしき人物は、明らかにこちらの女子高生社長の三倍近く年齢が離れているように見える。全身全霊頭を下げる代表と、サングラスのまま腕を組んで立っている女子高生である。なんか、この世界怖い。

 すると、相手の代表は頭を上げるとすぐさま言う。


「私は取締役の丸田です。こんなしがない会社をわざわざ選んでいただけるなんて……」


 ハンカチで額を拭きながら歩み寄ってきたのは、この会社の取締役だった。


「御託はいらないわ。早く製品を見せていただけるかしら」


 僕と同じく、言葉を最後まで言わせることなく、次の行動に移ろうとした。


「は、はい。申し訳ござません」


 当然ながら全員が僕らより年上で、自分の子供位の女に頭を下げている。なんて世界なんだ。

 僕は恐いを通り過ぎて、感心してしまった。横にいるだけでこのリリというお嬢様がいかにすごい人物かというのが思い知らされる。

 取締役の丸田さんに連れられて、奥にある工場の方へと案内される。


「この製糸は三号の細いものを使用しており、その分五倍の量を編みこんでいますので、強度も強くなっております」


 リリはようやくサングラスを外し、僕の方へと手渡す。製品をしっかりと自分の目で見るためサングラスは邪魔だったのだろう。

 大きく蒼い目を見開いて、真剣なまなざしでその製糸を見ている。作業員、後ろに立った社員たちは、緊迫した空気の中、その光景に固唾をのんで見ている。

 それに取締役の丸田さん? なんか尋常じゃない量の汗を流している。今にも吐きそうな顔してるけど、大丈夫ですか。


「この糸……」


「は、はひぃ!」


 はひぃって、声出てないですよ。大手の社長とはいえ女子高生ですよ。そんなに縮こまらなくてもいいのに。


「いい素材を使っているわね。これは天然のフェラメント糸かしら?」


「はい、よく御存じで。弊社では、通常より細い糸を使うことで、その糸を五重奏にすることによって、通常と同じ太さで強度を上げております。見た目も通常のものとは変わりません」


 なんかさっきと同じようなことを言っている気がするけれど、リリはその姿を無言で聞いている。何か文句を言われていたときは怖かったけど、無言ほど怖いものはない。

 するとリリは、僕の手からサングラスをとり、再びかける。そのまま無言で先ほどまでいた隣のビルへと戻っていく。その姿を呆然と見届ける丸田さん及び、社員一同は落胆した表情を見せている。

 僕にとっては今の刹那ともいえる製品確認が良いのか悪いのか判断できないのだが、相手の表情からして、良くなかったのだろうか。

 工場から再びビルへと戻ってきたリリはタブレットを開き、何やら操作すると、ようやく口を開いた。


「丸田さん……」


「は、はい」


 契約できないと高を括っていた丸田さんは、顔を真っ青にして絶望のような表情をしている。


「冬に新作のバッグを発表する予定なの。そこで、強度のある製糸を使いたいの。明日からお願いできるかしら?」


「え……」


 丸田さんは言葉の通り目が点になっていた。契約できないと思い込んでいたようで、現状が理解できない様子だった。


「それとも、私の商品に使われることが不満かしら?」


「あ、いえ、とととと、とんでもございません。ぜひとも我が社でリリアンヌの一部としてお仕事をさせ

ていただけたらと思います。大変光栄に思います」


「では、契約書や数量については、後程、連絡するわ」


 そう言って、リリは名刺を取り出し、丁寧に渡す。


「は、はい。かしこまりました」


 丸田さんは全身を震わせ目を光らせながら、感涙している。


「それでは、今後ともよろしくお願いいたします」


 そこでリリは初めて敬語を使い、頭を下げた。

 その光景に僕だけでなく、その場にいた全員が驚いた。一〇代にして全てを手にした社長とも言われている女子高生が、取締役とはいえ一般企業に頭まで下げている。

 その姿を見て僕は、仕事に関しては真摯に向き合うリリに少しだけ感動した。商品の一部とはいえ、自分の仕事を任せるには信頼関係が必要だということだ。


「契約書を制作して、今日中にここへ渡しておいて」


 耳元で僕にそう伝えると、リリは僕より先にこの会社を後にした。


「は、はい」


 返事をすると、追うようにしてリリの後についていく。

 会社を出た直後、ビルからは盛大な声が聞こえた。これは後で聞いた話だが、この業界では、リリの名刺はミラージュカードと呼ばれており、名前の通り、なかなか手にすることができないという。そして、一度仕事をしたという経歴だけでも、他社からも信頼を受け、仕事が膨大に増えることでも有名である。

 おそらくこの盛大な声はリリにも聞こえているのだろうが、何も反応を見せない。リリはこちらを見ると車の前で立ち止まっている。

 あ、忘れてた。


「すみません」


 すぐに扉を開け、リリを乗せる。さっきと同じくコートを受け取りハンガーにかける。


「えっと、天国だったかしら」


「いえ、三国です」


「そうだったわ。その制服、明日からはスーツで来なさい。制服は何かと不便だから、必要なものは何でも自分で買っていいから」

 まじか。何でも!?

 そんなことを考えていると、リリは急に服を脱ぎ始めた。

 え、車の中でストリップ? サービスですか。


「いつまで鼻の下を伸ばして見ているの? 服を出してくれるかしら?」


 顎で示した先にはアタッシュケースが置かれていた。その中にはワイシャツやリボンなど学生服が入れられていた。

 そういえば、高校生だったよな。どんなに優等生でも、出席日数足りなかったら卒業できないもんな。


「……ってうちの学校じゃないですか!?」


 ケースに入っていたのは僕が通う学校の制服。

 え、なに同じ学校だったの? 同級生? 先輩?


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