路地裏の大繁盛と、迫る黒い影
「頼むアスター兄ちゃん、俺たちにあの薬を売ってくれ!」
夕暮れの店先で、レオン君の後ろに並んだ十人以上の若い冒険者たちが、切実な眼差しでアスターを見つめていた。
擦り切れた革鎧、腕や膝に巻かれた汚れた包帯。
誰もが日々の迷宮探索で傷つき、それでも生きるために必死で戦っている駆け出しの少年少女たちだった。
「み、皆さん……! あ、あの、本当に申し訳ありません! 僕が昨日作ったポーションは、たったの三本だけで……もう在庫が全部切れてしまっているんです……!」
アスターが申し訳なさで頭を下げると、冒険者たちから「そんなぁ……」と落胆の声が漏れた。
「アスター兄ちゃん、材料があれば今から作れるのか?」
レオン君が身を乗り出して尋ねてきた。
「えっ? ええ、新鮮な『青雫草』と『朝露の実』さえあれば、明日の朝までに何本か作れますけど……」
「よし、野郎ども! 今から迷宮に潜って、薬草を根こそぎ採ってくるぞ!」
「おおーっ!」
レオン君の号令一下、少年冒険者たちが蜘蛛の子を散らすように迷宮へと走っていった。
「ちょ、ちょっと皆さん、怪我をしているのに無理をしないでください……!」
アスターの制止も届かず、彼らの背中はあっという間に夕暮れの街角へと消えていった。
そして、それからわずか二時間後――。
「アスター兄ちゃん、採ってきたぜ!!」
汗だくになったレオン君たちが、背負い籠いっぱいに新鮮な薬草を担いで店に飛び込んできた。
カウンターの上に広げられたのは、露に濡れた瑞々しい青雫草の山だった。
「こんなにたくさん……! よし、僕、今夜徹夜で調合します!」
「無理すんなよアスター。あたしも手伝うからさ!」
クララが腕まくりをして、清潔な小瓶の洗浄を引き受けてくれた。
カウンターの奥で煙管をふかしていたバルガスも、ぶっきらぼうに立ち上がって蒸留器の火加減を調整してくれる。
ゴリゴリ、ゴリゴリ……!
アスターはオズワルド師匠の乳鉢に向かい、全身全霊で乳棒を回した。
毒素のある太い葉脈を丁寧に切り離し、不純物をピンセットで取り除き、均等にすり潰していく。
手のひらにできた豆がジンジンと痛んだけれど、待ってくれているみんなの顔を思い浮かべると、不思議と力が湧いてきた。
――そして、翌朝。
カウンターの上には、柔らかな若草色に透き通った『低刺激下級回復薬(純度六十五パーセント)』が、二十本ずらりと並んだ。
「お待たせしました! 一本銀貨二枚です!」
開店と同時に店になだれ込んできた冒険者たちによって、二十本のポーションはわずか十分で完売した。
「す、すげえ……! 傷口に塗っても全然ヒリヒリしねえぞ!」
「いつもポーション飲むと胃が痛くて吐きそうになるのに……これは全然胃が痛くならねえ! 身体がすっごく軽い!」
「アスター兄ちゃん、ありがとう! これなら安心して迷宮に潜れるよ!」
冒険者たちが満面の笑みでアスターの手を握りしめ、元気に迷宮へと駆けていく。
空っぽになった木箱を見つめながら、アスターの胸は温かい喜びに満たされていた。
それからの数週間、『緑竜の息吹亭』の日常は一変した。
アスターの作る「痛まない・胃が荒れないポーション」の噂は、迷宮都市の下層で戦う貧しい冒険者たちの間で、瞬く間に熱狂的な口コミとなって広がっていったのだ。
「アスター兄ちゃん! 今日も二本くれ!」
毎朝一番にやってくる常連のレオン君をはじめ、怪我をした駆け出しの少女魔法使いが「アスターさんの薬のおかげで、昨日初めて第2階層を突破できたよ!」と手作りの焼き菓子を差し入れしてくれたり。
屈強だが胃腸の弱いベテラン戦士が「おい小僧、これ飲むと翌朝の胸焼けが嘘みてえに消えるんだ。まとめ買いさせろ!」と頭を下げてきたり。
「はい、お一人様二本までですよ! ちゃんと順番に並んでくださいね!」
クララが腰の長剣をパチンと鳴らし、店の前で行列の整理を引き受けてくれた。
短く切り揃えた赤髪を揺らし、看板娘兼警備員として大活躍だ。
「おいおい小僧、客が多すぎて煙草を吸う暇もありゃしねえな」
カウンターの奥で帳簿をつけていたバルガスは、口では毒づきながらも、手際よく乳棒を回すアスターの姿をどこか誇らしげな眼差しで見守ってくれていた。
アスターの作ったお薬が、たくさんの人たちの命を守り、笑顔を作っている。
一日中乳鉢を回して腕は筋肉痛でボロボロだったけれど、これまでにないほど充実した幸せな毎日だった。
――だが、その裏で。
迷宮都市の中央通りにそびえ立つ、豪奢な白亜の洋館――『ガルシア大商会』の会頭室では、激しい怒号が鳴り響いていた。
「おいカルロス!! どういうことだ、この売上報告は!?」
執務机の前に書類を叩きつけたのは、肥満体の巨躯に豪奢な絹服を纏い、太い指にいくつもの宝石指輪をはめた男――会頭のガルシア・フォン・ボルドーだった。
「我が商会が独占供給している普及版ポーションの売上が、この数週間で半値以下に落ち込んでいるだと!? 倉庫には大量生産した在庫が山積みになっているではないか!」
「も、申し訳ございません、ガルシア会頭……!」
冷や汗を流しながら頭を下げたのは、専務理事のカルロスだった。
「調査いたしましたところ……裏路地の落ちぶれ薬屋『緑竜の息吹亭』の見習い小僧が、銀貨二枚などというふざけた安値で、不純物を極限まで削った低刺激ポーションを売りさばいているようでして……下層の冒険者どもが、一斉にそちらへ流れております」
「何だと……!? 裏路地のネズミ一匹に、我が商会の独占利権を脅かされているというのか!?」
ガルシア会頭は下品な脂汗をギラつかせ、醜悪な顔を怒りで歪めた。
「冒険者など迷宮の消耗品にすぎんのだ! 傷が塞がりさえすれば多少の胃痛や副作用など我慢させておけばよいものを、余計な真似をしおって……! カルロス、今すぐその小僧を連れてこい! レシピを買い叩き、我が商会の専売特許として王都の貴族向けに金貨一枚で売りさばいてやる! 従わぬなら、路地裏ごと踏み潰せ!!」
「かしこまりました。直ちに」
そして――その日の夕暮れ。
カランコロン、とドアベルが鳴り、店の木扉が乱暴に開け放たれた。
店内に踏み込んできたのは、金色の刺繍が施された黒絹ローブを纏ったカルロスと、威圧的な殺気を放つ二名の重装護衛傭兵だった。
「ほう……ここが、我が商会の市場を荒らしているネズミの巣ですか」
カルロスは見下すような冷たい視線で店内を見回し、カウンターの上に金貨の詰まった革袋をドンと叩きつけた。
「単刀直入に申し上げましょう。金貨五十枚です。その小僧の身柄と、低刺激ポーションの調合レシピを、我がガルシア大商会に全て譲渡していただきたい」
「えっ……僕の身柄とレシピ……!?」
「銀貨二枚などというふざけた安値で市場を荒らされては、迷宮都市の商秩序が乱れて大迷惑なのです。君の技術を我が商会の専売特許とし、一本金貨一枚の最高級品として王都の貴族向けに独占販売して差し上げましょう。こんな薄汚い路地裏で下級冒険者の相手をするより、遥かに名誉で実利的な話でしょう?」
冷徹に言い放つカルロスの言葉に、アスターの胸の奥で強い怒りが沸き上がった。
「そ、そんなの……お断りします! 僕のお薬は、市販のポーションで胃を痛めて苦しんでいた、貧しい駆け出し冒険者さんたちのために作っているんです! 貴族向けに高く売りつけるなんて、絶対に嫌です!」
「ハッ、虫ケラどもの胃袋の心配など商会の知ったことではありません。利益を最大化することこそがビジネスの正義なのです」
カルロスが冷笑を浮かべ、細い指でアスターの胸元を小突こうとした――その瞬間だった。
カランッ、ドゴォォォォォンッ!!
「うわっ!?」
カルロスの足元の床板に、赤く燃え盛る煙管の灰が突き刺さり、床が激しく爆ぜた。
「おい、ガルシアの飼い犬が。……うちの敷居を泥靴で跨いでおいて、随分とデカい口を利いてくれるじゃねえか」
カウンターの奥から、バルガスが鬼のような形相で立ち上がった。
その全身から放たれる歴戦の威圧感に、屈強な護衛たちが思わず息を呑んで後ずさる。
「バルガス……! 落ちぶれた元宮廷薬師が……!」
「ケッ、テメエら悪徳商会が冒険者に泥水を飲ませて私腹を肥やしてるのがヘドが出るから、こうして元気に生きてんだよ。……うちの小僧もレシピも、テメエらみたいな金の亡者に売るもんは一粒もねえ。金貨持ってとっとと失せろ!」
「おっちゃんの言う通りだよ!」
クララが神速で剣を抜き放ち、カルロスの喉元に切っ先を突きつけた。
燃えるような赤髪を逆立て、琥珀色の瞳に本物の殺気を宿している。
「アスターに指一本でも触れてみな! このクララ様が、あんたの首を金ピカ馬車ごと叩き斬ってやるからさ!」
「くっ……野蛮な路地裏のクズどもが……!」
カルロスは忌々しそうに金貨の袋を引っ手繰ると、冷酷な笑みを浮かべて吐き捨てた。
「後悔しますよ、バルガス。明日から、この店には薬草市場からの仕入れルートが一欠片も届かないようにして差し上げます。……素材のない薬屋がいつまで保つか、路地裏で野垂れ死ぬがいい!」
バタンッ! と乱暴に扉が閉ざされ、豪奢な馬車が砂煙を上げて走り去っていった。
大手商会からの宣戦布告。
薬草の仕入れルートを完全に封鎖されたアスターたちに、最大の危機が迫っていたのだった。




