最深層の死闘と、命懸けの最終講義
迷宮の深淵から吹き上がってくる冷気は、まるで死神の吐息のように肌を刺していた。
「アスター兄ちゃん、クララ姉! こっちだ、最短の抜け道がある!」
先頭を疾走するレオン君の鋭い先導のもと、アスターたちは迷宮の上層から中層を一気に駆け抜けていた。
普段なら迷路のように入り組んだ上層・中層の通路。だが、迷宮都市の地形を知り尽くした若い斥候たちが、電光石火の投石と牽制で魔獣の注意を一身に引きつけ、アスターたちの前には一本の安全な道が開かれていく。
「第5階層突破! ここから先は……生きて帰った者のいない深層エリアだ!」
第6階層に足を踏み入れた瞬間、空気の重圧が跳ね上がった。
闇の奥から現れたのは、国家級の討伐指定を受ける凶悪な深層魔獣――三本の首を持つ地獄の番犬ヘルハウンド、そして鋼鉄の鱗を纏った巨大なキマイラの群れだった。
放たれる圧倒的な殺気に、迷宮の壁がビリビリと震える。
「ここは俺たちに任せろォォッ!!」
先頭に躍り出たのは、大盾を両手で構えたトーマス君だった。
その後ろに二十人以上の重装戦士と魔導士たちが整然と陣形を組み、魔獣の猛攻を真正面から受け止める!
ガギィィィィンッ!!
凄まじい衝撃波が走り、キマイラの鋭利な鉤爪がトーマス君の大盾を軋ませた。
腕の筋肉が悲鳴を上げ、足元の石畳がバキバキと砕け散る。
「トーマス君!?」
「後ろを振り返るな、アスター兄ちゃん!!」
トーマス君が歯を食いしばり、口元から血を流しながら絶叫した。
「俺たちの命は、アスター兄ちゃんに救ってもらった命だ! 俺たちを信じて前だけを見て走れ! おっちゃんを助ける特効薬……絶対に、絶対に持ち帰ってくれェェェッ!!」
「……ありがとう、みんな!!」
トーマス君たちが深層魔獣を食い止めてくれた隙に、アスターとクララはさらに奥深くへと突入した。
だが、第8階層『紅蓮の溶岩洞』に足を踏み入れた瞬間、灼熱のマグマの中から巨大な火炎大蛇――サラマンダー・ロードが三匹同時に姿を現し、火炎弾を吐き散らしながらアスターたちを挟み撃ちにしてきたのだ!
「アスター、伏せな!」
その瞬間、アスターの前に躍り出たのはクララだった。
燃えるような赤髪を風になびかせ、琥珀色の瞳を鋭く光らせて長剣を抜き放つ。
「あたしはアスターの専属護衛だ! 邪魔するんじゃないよォッ!!」
――神速抜刀術・烈風一閃!
バシュッッッ!!
白銀の刃が夜空を裂く稲妻のように煌めいた。
クララの超絶な連撃は、迫り来る火炎弾をすべて空中で真っ二つに両断し、そのまま三匹の火炎大蛇の巨躯を寸分の狂いもなく一刀両断した!
ドズゥゥゥンッ!!
「す、すごい……クララさん!」
「驚くのはまだ早いよ! しっかりあたしの背中についてきな!」
さらに続く第9階層『虚無の暗黒回廊』。
光源の届かない完全な暗闇の中、影に潜んで音もなく急襲してくる暗殺魔獣――シャドウ・ストーカーの群れが、アスターの背後から鋭い鉤爪を振り下ろしてきた。
ヒュンッ!
だが、クララは振り向きもせず、気配の揺らぎだけで長剣を逆手に構えて薙ぎ払った。
キィィィィンッ!!
「あたしの守るべき男に――指一本触れさせやしないよッ!!」
気迫の一閃が闇を切り裂き、五匹の暗殺魔獣が一瞬で両断されて消滅した。
圧倒的な剣技と、命懸けでアスターを護る覚悟。
赤髪の女剣士の背中は、どんな城壁よりも頼もしく、美しかった。
「行くよ、アスター! あの光の扉の向こうが、最深部だ!」
クララがアスターの手を強く握り締め、アスターたちはついに、迷宮の最底辺――第10階層の巨大な光の扉へと飛び込んだ。
――迷宮第10階層『太陽の祭壇』。
そこは、これまでの暗く湿った洞窟とは打って変わり、黄金の陽光が降り注ぐ神秘的な古代神殿だった。
祭壇の中央には、天を衝くような神木『太陽樹』がそびえ立ち、その根元に黄金の聖水が満ちている。
「あそこです……! 太陽樹の泉です!」
「よし、一気に駆け抜けるぞ――」
クララが駆け出そうとした、まさにその時だった。
ドォォォォォォォォンッ!!!!
天地を揺るがす地響きと共に、神殿の天井から巨大な漆黒の影が舞い降りた。
全長三十メートルを超える、漆黒の鱗と八つの邪眼を持つ巨大な怪物。
十年前、バルガスの右腕を奪い、宮廷調査隊を全滅させた迷宮の主――『石化邪竜バジリスク・ロード』だった。
グルルルルルルァァァァッ……!
邪竜が咆哮を上げると、周囲の巨大な石柱が一瞬で黒ずみ、風化したように砕け散る。
放たれる圧倒的な邪気と威圧感は、これまで遭遇したどの魔獣とも桁が違っていた。
「くっ……十年前におっちゃんを襲った化け物かい……!」
クララが神速で長剣を抜き放ち、琥珀色の瞳を鋭く光らせて地を蹴った!
銀光の軌跡を描いて邪竜の足元へと斬り込む!
だが、必殺の剣気は邪竜の漆黒の鱗に弾かれ、甲高い金属音と共に火花を散らすだけだった。
「硬い……!? あたしの全力の斬撃すら弾かれるなんて……!」
邪竜が不快そうに太い尾を薙ぎ払い、クララが吹き飛ばされそうになる。
さらに邪竜は八つの邪眼を爛々と輝かせ、アスターたちに向かって大きく顎を開いた。
喉の奥に渦巻くのは、触れたもの全てを一瞬で黒い石に変える、超高濃度の『極限石化ブレス』!
「アスター、危ないッ!!」
クララがアスターを突き飛ばした。
けれど、飛沫のように飛び散った濃縮石化毒の黒い霧が、運悪くアスターの顔面を真正面から覆い尽くしてしまったのだ。
ゴホッ、ゴホッ……!
瞬間。
超猛烈な石化毒が、アスターの鼻腔と皮膚から一気に体内へと浸透した。
バキバキバキバキッ……!!
痛い。重い。
足の指先から頭の天辺まで、全身の筋肉、血管、皮膚が、まるで超高密度の鉱石のようにカチコチに硬化していく。
「ひ、皮膚が……身体がダイヤモンドみたいに固まって動けません……! 全身が鉛みたいに重いですぅぅぅぅっ!!」
下戸で病弱なアスターの身体が、極限の【全身石化デバフ】を発症したのだ。
「ふぎゃああああああっ!! 身体が重たくて歩けません〜〜〜っ!!」
涙目でのたうち回ろうとするアスターを見て、起き上がったクララの目がカッと見開かれた。
(――麻痺で猪を粉砕し、風邪で氷竜を消し飛ばし、泥酔で傭兵を細切れにし、激辛で軍隊を溶かした……)
(来る……ッ! 最深部で、最大級のデバフ無双が来るぞォォォッ!!)
クララは確信に満ちた顔で、すかさず神殿の岩陰へとダイブした。
「アスター! そいつ、おっちゃんの仇だから遠慮なくやっちゃいなァァァッ!!」
その時だった。
石化毒に侵されながらものたうち回るアスターを見下ろし、邪竜が嘲笑うかのように巨大な爪を振り下ろした。
山すら真っ二つにする、必殺の一撃。
ドガァァァァァンッ!!
邪竜の鋭利な毒爪が、アスターの額を直撃した。
だが――。
パキィィィィィィィィンッッッ!!!!
甲高い金属音が神殿に鳴り響き、砕け散ったのは――なんと邪竜の巨大な爪の方だった。
グル……!?
邪竜が目を丸くして自分の折れた爪を見つめる。
石化デバフによって極限硬化したアスターの頭皮は、神話級の神聖ダイヤモンドを遥かに超える超硬度へと変貌していたのだ。
「うぅ……重たいですぅ……。ちょっと肩のコリをほぐすために……ジャンプしますねぇ……よいしょぉぉぉっ!!」
アスターが身体の重さに耐えかねて、両足で地面を軽く踏み切った――その刹那。
ズドォォォォォォォォンッッッ!!!!
神殿の床が半径五十メートルにわたって粉々に爆砕し、超質量と化したアスターの身体が、音速を超えて斜め上へと射出された。
そして――神聖ダイヤモンドより硬く石化したアスターの【超硬度頭突き】が、邪竜の眉間に真正面からクリーンヒットした!
ドッガァァァァァァァァァァァァンッッッ!!!!
「ギャオオオオオオオオオオンッッッ!?」
凄まじい衝撃波が神殿全体を吹き飛ばした。
全長三十メートルの巨竜が、まるでピンボールのように吹き飛び、背後の巨大な外壁にめり込んで粉々に粉砕!
神聖な光の粒子となって、綺麗さっぱり浄化消滅していったのだ。
「……ふぅ。一回跳んだら、全身のコリがスーッとほぐれました……。石化毒って、肩こりにはちょっと効くのかもしれませんねぇ」
着地したアスターが首をコキコキと回すと、岩陰から出てきたクララが、完全に諦めたような遠い目でアスターを見つめていた。
「……もうツッコまねえよ。お前が世界最強でいいよ、バカアスター」
「えっ? 何のことですか?」
「なんでもねえよ! それよりアスター、見ろ!」
クララが指差した太陽樹の根元から、黄金に輝く清らかな聖水が、こんこんと湧き出ていた。
「太陽樹の雫……!」
アスターはショルダーバッグから、オズワルド師匠の乳鉢とスポイトを取り出した。
さらにポケットから、ミレイの手帳に挟んでいた『枯れない青い野花』を取り出す。
「バルガスさん……待っていてください。僕が今、最高の万能浄化薬を作ってみせます!」
太陽の光が降り注ぐ祭壇の前で、アスターは真剣な眼差しで乳棒を握りしめたのだった。




