路地裏の決戦と、ガルシア商会の崩壊
深夜の静寂を切り裂いたのは、無数の重々しい足音と、不気味な鎧の擦れ合う金属音だった。
ドガァァァァァンッ!!
凄まじい破壊音と共に『緑竜の息吹亭』の木扉が粉々に蹴破られ、店内に数十本の松明の炎が投げ込まれた。
「な、何事ですか……!?」
二階の寝所で寝ていたアスターが跳ね起きて階段を駆け下りると、店先はすでに完全な包囲網の中にあった。
黒鉄の重装鎧を着込んだ私兵部隊が三十人以上。
その先頭に立っていたのは、太い指にいくつもの宝石指輪を嵌め、葉巻を咥えて下品な笑みを浮かべる巨漢――ガルシア大商会の会頭、ガルシア・フォン・ボルドーその人だった。
後ろには、冷酷な笑みを浮かべた専務理事のカルロスも控えている。
「クックック……路地裏のネズミどもめ。よくも我が商会のメンツを泥で塗りたくってくれたな」
ガルシア会頭が指を鳴らすと、四隅に控えていた黒装束の魔導士たちが一斉に呪文を唱え、地面に魔導杖を突き立てた。
ブワァァァァッ……!
路地裏全体を覆い尽くすように、禍々しい紫色の光のドーム――『消音隔離結界』が展開される。
外からの侵入を完全に拒絶し、内部の爆発音や光、悲鳴すらも外の世界へ一欠片も漏らさない、大商会特注の凶悪な犯罪用結界だ。
「無駄だ。この結界がある限り、騎士団も自警団も異変に気づけず、ここから逃げ出すこともできん。今夜、貴様らを店ごと炭にしてやる。路地裏の失火による全焼火災……死人に口なしだ。おい、やれェッ!!」
「させるかよッ!!」
神速の抜刀と共に立ちはだかったのは、クララだった。
さらに、表の異変を察知して駆けつけたレオン君、傷が癒えたばかりのトーマス君、そして十人以上の若い冒険者たちが武器を手に駆け込んできた!
「アスター兄ちゃんの店に手出しはさせねえぞ!!」
「ガルシアの豚野郎、俺たち路地裏の冒険者が相手だ!!」
「ケッ、貧民のクズどもが群れたところで何ができる!」
ガルシアが傲慢に手を振り下ろすと、後方の魔導兵たちが赤い粉末の詰まった投擲弾――『暴竜の激辛煙幕弾』を一斉に投げ込んできた!
パァァァンッ!!
店内に充満する、目を開けていられないほどの超猛烈な激辛香辛料の赤い煙。
触れただけで皮膚がヒリヒリと痛み、呼吸をすれば肺が焼け付くような、拷問用の凶悪な劇薬煙幕だ。
「ゲホッ……!? な、何だこの煙は……! 目が開けられねえ……!」
「くっ……息が……胸が焼ける……!」
冒険者たちが激しい咳き込みと共に膝をつく。
そして――何より運悪く、その煙を真正面から思いっきり吸い込んでしまったのが、健康管理のために「換気をして深呼吸をしよう」としたアスターだった。
ゴホッ、ゴホッ……!
瞬間。
アスターの口腔、気道、胃袋の粘膜が、超高濃度のカプサイシンによって一瞬で完全炎上した。
カアァァァァァァッッッ!!
辛い。辛すぎる。
喉の奥に灼熱の溶岩を直飲みさせられたような激痛。
舌の神経がバチバチとショートし、目から涙がボロボロと滝のように溢れ出す。
「か、からぁぁぁぁぁぁぁいっっっ!! お口が……お口の中が太陽みたいに熱いですぅぅぅぅっ!!」
下戸で刺激物に極端に弱いアスターの身体が、極限の【激辛灼熱デバフ】を発症したのだ。
「ふぎゃあああああああっ!! お水うぅぅぅぅぅっ!!」
あまりの辛さと熱さに耐えかね、アスターが真っ赤な顔で喉の奥を押さえた――その瞬間。
隣にいたクララの琥珀色の瞳が、カッと見開かれた。
(ま、またデバフ発症したァァァッ!? 今度は激辛かよ!?)
昼間の『泥酔神速抜刀』の記憶が瞬時に蘇ったクララは、迷うことなく周囲の冒険者たちの首根っこを掴んで絶叫した。
「みんな、アスターから離れて耳を塞げェェェッ!! 地面に伏せろォォッ!!」
「えっ……クララ姉ちゃん、何で――」
「いいから伏せろォォォォォッ!!」
その直後だった。
口の中の熱気を吐き出そうと、アスターが喉の奥から思いっきり息を吐き出した。
――だが。
激辛デバフによって暴走したアスターの体内魔力は、ただの呼気などではなかった。
ゴオォォォォォォォォォォォッッッ!!!!
「「「「ぎゃあああああああああああっ!?」」」」
アスターの口から噴き出したのは、夜空を白昼の真紅に染め上げる、神話級の極大火炎ブレス――『神聖太陽焔』だった!
轟音と共に放たれた超高熱の火炎放射は、私兵たちの投擲弾を一瞬で炭塵へと蒸発させ、三十人の重装鎧の表面だけを瞬時にドロドロに溶かし去った!
バシュゥゥゥゥッ!!
「「「あっちィィィィィィィッ!?」」」
鎧を溶かされた三十人の私兵たちは、下着姿で尻を抑えて転がり回った。
それだけではない。
あらゆる物理・魔導攻撃を遮断するはずだった紫色の『消音隔離結界』のドームが、太陽の如き超熱量に耐え切れず――。
ドォォォォォンッッッ!!!!
まるで薄いガラス細工のように、粉々に砕け散って夜空に四散したのだ!
結界が吹き飛んだことで、路地裏の異変が目抜き通り中に轟音と共に露わになった。
「な……な、何だ今のはァァァッ!?」
「口から……口から火ぃ噴いたぞ!? アスター兄ちゃん、人間じゃねええええっ!?」
「で、伝説の古代竜のブレスだ……!」
地面に伏せていたレオン君やトーマス君たちが、顎が外れそうなほど口を開けて絶叫した。
カウンターの奥で煙管をポロリと落としたバルガスも、目を白黒させて固まっている。
「あ、あいつ……息吐いただけで軍隊を丸焼けにしやがったぞ……!?」
「だから伏せろって言ったんだよォォォッ!! あのバカ、今度は火炎放射器になりやがったァッ!!」
クララが頭を抱えて絶叫する横で、葉巻と眉毛を消し炭にされ、頭をチリチリのアフロに焦がされたガルシア会頭は、泡を吹いて腰を抜かし、ガタガタと歯を鳴らして這いずり回っていた。
「ひ……ひぃぃぃぃぃぃっ!? ドラゴンの化身だァァァッ!!」
そこへ、白銀の甲冑を纏った迷宮都市の近衛騎士団と自警団が、抜刀して一斉になだれ込んできた!
「ガルシア大商会会頭ガルシア、および専務理事カルロス! 路地裏襲撃の現行犯、ならびに長年にわたる粗悪ポーション詐欺、素材買い占めによる市場独占、暗殺教唆の容疑で貴様らを拘束する!」
「そ、そんな……! 我が商会が……我がガルシア大商会がァァァァッ!!」
泣き叫ぶガルシアとカルロスは縄を打たれ、引きずられるように連行されていった。
迷宮都市を長年牛耳ってきた悪徳の巨塔――『ガルシア大商会』は、完全に崩壊したのだった。
……数分後。
台所から、お腹をさすりながらアスターがふらふらと戻ってきた。
「……ふぅ。辛さを消そうとして、ピッチャーの冷たいミルクを一気に三杯もがぶ飲みしたら、やっと舌のピリピリが治まりましたよ……。本当に辛くて死ぬかと思いました……」
アスターがホッとした笑顔を向けた瞬間、店内の全員が一斉にドン引きした顔でアスターを凝視した。
「お前……あんな化け物じみた火炎ブレス吐いておいて、ミルク飲んで平気な顔してんじゃねえよ……!」
「アスター兄ちゃん……あんた、本当に人間なのか……?」
「えっ? 何を言ってるんですか? 僕が火なんて吐けるわけないじゃないですか。ただ辛くて息を吐いただけですよ?」
アスターが小首を傾げた、まさにその時――。
キュルルルルルル……ゴロゴロゴロッ!!
アスターの軟弱な下腹部から、大地を揺るがすような不穏な大雷鳴が鳴り響いた。
「ぎゃああああああ痛い痛い痛いっ!? 冷たい牛乳を一気飲みしたせいで、急激な腹痛がぁぁぁぁっ!! ト、トイレぇぇぇぇっ!!」
脂汗を滝のように流しながら、アスターは猛烈な勢いで奥のトイレへとダッシュした。
「「「「軍隊を消し飛ばした直後に牛乳でお腹壊してんじゃねええええええええっっっ!!!!」」」」
クララ、バルガス、レオン君たち全員の魂の総ツッコミが、夜の路地裏に木霊したのだった。
――そして、十分後。
トイレからスッキリした顔のアスターが戻ってきた。
「ふぅ……なんとか出ました。やっぱり冷たい牛乳は胃腸に毒ですね」
「お前の胃腸のデリケートさと攻撃力のギャップ、どうにかしろよバカアスター……」
クララが疲れたようにため息をつき、レオン君たちも脱力して笑い声を上げた。
悪徳商会から解放された喜びに、店中が温かい笑顔に包まれていく。
――だが。
その喧騒の片隅で、異変は起きていた。
「……ぐっ……!」
カウンターの陰で、バルガスが突如として苦痛に顔を歪め、ガクンと膝をついたのだ。
「バルガスさん!?」
アスターが駆け寄ると、バルガスは右腕を左手で必死に押さえつけ、脂汗を滝のように流していた。
その右手――かつて指先だけが黒ずんでいたはずの古傷が。
いまや手首を越え、肘の近くまで禍々しい漆黒の石化紋様となって皮膚を侵食していたのだ。
「はぁ……はぁ……クソッ……。緊張が切れた途端……一気に回りやがったか……」
「バルガスさん、その腕……石化の毒……!?」
アスターの悲痛な叫びに、バルガスは苦しげに息を吐きながら、自嘲気味に微笑んだ。
「……もう隠せねえな。……小僧、俺の命は……もってあと三日だ」




