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「ごめんな」

 


「華。お前、星は興味あるか」



 七月も上旬。本格的に蒸し熱くなってきた。

 朝から湿度の高い空気にうんざりしつつも、先輩と二人で朝食をとっていた時である。唐突に質問を投げかけられ、私は首を傾げた。



「星、ですか?」


「ああ」


「まあ、そうですね。綺麗だとは思いますけど……」



 一体、いきなり何の話をし出すのだろう。

 先輩は私の反応に「そうか」と軽く頷くと、本題に入るようだった。



「今月末、タカナシと流星群を見に行く約束をしててな。華もどうだ」


「え」



 それはつまり、二人のデートなのでは? 私が邪魔しちゃ絶対にいけないと思うんだけれど。

 思わず顔を引きつらせると、先輩は見かねたように続ける。



「佐藤も連れてきたらどうだ。どうせ暇なんだろう」


「どうせって何ですか、失礼ですよ」



 チョコの名誉のために、一応反抗しておいた。すると彼が口角を上げる。



「それとも、俺と二人きりが良かったか?」


「嫌ですよ。不審者と夜闇に二人きりだなんて」


「こんなに顔のいい不審者がどこにいる」


「目の前にいますねえ」



 二週間ほど前から始まった謎のナルシスト発言にも、だいぶ手慣れてきた。適当にいなしながら味噌汁を飲み干す。


 立ち上がった私に、先輩も残りのご飯をかき込んで、思い切りむせていた。……ちょっと胸がスカッとしたのは内緒だ。





 ***





「いやあ、何だかすみませんねえ。私まで誘ってもらっちゃってぇ」



 わざとらしく頭を掻きながら語尾を伸ばすチョコに、鈴木先輩は「構わん」と鷹揚だ。


 結論から述べると、テストは無事に乗り越えることができた。チョコは真面目な見た目に反して勉強はそこまで得意ではないらしく、かなり苦労していたけれど。

 鈴木先輩は相変わらず勉学に関しては抜かりなく、テスト期間も部屋にこもり切りだった。そのおかげで私も集中しやすい環境だったので、感謝はしている。


 終業式を目前に控えた今日、午後七時。学校から少しだけ離れた公園に、私たちは集まった。

 比較的軽装な先輩二人に対し、チョコは大きなリュックを背負っての登場だった。



「それ、何入ってるの?」


「へっへーん。よくぞ聞いてくれました!」



 大荷物の正体を尋ねると、彼女は得意げに鼻の下を擦る。両肩からベルトを下ろし、ベンチの上に中身を広げ始めた。



「まず望遠鏡でしょ。それからジュースとお菓子、懐中電灯にラジオ!」


「流星群って肉眼でも見えるよね」


「やっだあ! こういうのは雰囲気が大事なの!」



 某バンドの楽曲の如く、天体観測といえば望遠鏡、そしてラジオだと主張する彼女。生憎私たちが今回探すのは、ほうき星ではなく流星群だけれど。まあ楽しそうなので何でもいい。


 流星群のピークは大体二十時頃ということで、各々夜空を見上げながら駄弁っていた。



「佐藤、その菓子は何だ」


「知育菓子ですよう。水入れて混ぜるんです。鈴木先輩もやりますか?」


「ああ」



 どうして手軽につまめるお菓子を持ってこなかったのだろう。そこはかとない疑問を抱いたけれど、当人たちが盛り上がっているので放っておくことにする。


 ブランコに腰かけ、ゆらゆらと軽く揺蕩っていると、隣にタカナシ先輩がやって来た。



「タカナシ先輩はお寿司作らなくていいんですか?」



 向こうで「ぎゃー」だの「いやー」だの騒ぎ立てている高校生二人――心は小学生だ――を横目に、私は問いかける。

 数秒の沈黙の後、彼は口を開いた。



「時すでにお寿司」


「えッ」


「俺はいいよ。不器用だから」



 危ない。この状態で渾身のダジャレを放たれ、ましてや黙られでもしたら、フォローできる気がしなかった。たまに呼吸をするように寒いオヤジギャグを挟んでくるのはやめて頂きたい。


 彼はもう一つのブランコに腰かけると、私を凝視したまま唐突に言った。



「山田さんって、一太のこと好きなの?」


「はい!?」



 思いのほか大きな声を上げてしまって、慌てて口を覆う。

 チョコと鈴木先輩は相変わらず寿司づくりに格闘していて、こちらの様子には気づいていないようだった。



「何ですかいきなり……好きじゃないですよ」


「そうなんだ」



 あっさり引き下がった彼に拍子抜けする。

 やはりこの人は読めないな、と首を傾げた私を見かねてか、タカナシ先輩が付け足した。



「一太が急に女の子と二人で暮らすっていうから、婚約者でもできたのかと思って」


「……タカナシ先輩は、何も聞いてないんですか?」


「何を?」



 何を――それは、私だって分からない。少なくとも、仲のいいタカナシ先輩には何かしら話しているんじゃないだろうかと思ったのだ。

 しかし彼の口ぶりからして、私と鈴木先輩が一緒に住むことになった事情も知らない様子である。



「一太、口堅いから聞いてもどうせ教えてくれないだろうし」



 目を伏せた私に、彼がなんてことのない口調でぼやく。そして、次に続いた言葉も、なんとはなしに紡がれた。



「でも一太にとって山田さんがすごく大事っていうのは、分かった」


「え……?」



 それは一体、何を根拠に。特別大事にされている実感など微塵もない。



「俺ら中学から一緒だけど、一太は全然女の子に興味なかったから。同居するってことは、よっぽどだと思う」



 まあ同居に関しては、母からの頼みなんだろうけれど。

 タカナシ先輩がこんなに喋っているのは初めて見たし、鈴木先輩の話をこんなに聞くのも初めてだった。


 夜の公園。いつもと違う空気。

 だからだと思う。少しだけ、大胆なことを聞いてみたくなった。



「鈴木先輩って、私のこと……好き、なんですかね」



 客観的に見て、彼が私をどう感じているのかが知りたかった。好きか嫌いかで綺麗に割り切れるとは思っていないけれど、どっちに振れているのか、くらいは。



「それは、俺が答えたらフェアじゃなくない?」



 芯のある、真っ直ぐな声だった。普段ぼそぼそと話す様子からは想像もできない程、はっきりと告げられる。まるで、ずるしたルール違反者を咎めるような。



「――あ、」



 鎖を握って唇を噛んだ私にお構いなく、タカナシ先輩が空を見上げる。

 つられて上を向けば、光の筋が一つ、横切っていくところだった。



「おい、寿司できたぞ。早くこっち来い」


「らっしゃーせー!」



 鈴木先輩とチョコがしきりに呼ぶので、立ち上がってそちらへ赴くことにする。自分が悪いのは重々承知だけども、気まずさから逃れられるのは有難かった。



「へいお待ち! マグロ一丁!」



 プラスチック容器に盛られた赤身を差し出され、渋々受け取る。

 すっかりなりきっているチョコは上機嫌だった。タカナシ先輩にも押し付けがてら、しきりに話しかけている。



「華、こっち来い」


「え、」



 不意に後ろへ腕を引かれて、バランスを崩しかけた。こういうところはやはり雑で、大事にされているとは到底思えない。


 鈴木先輩はベンチまで私を引っ張ってくると、半ば強制的に座らせる。私が見上げるより先に、彼は隣に腰を下ろした。



「何ですか、急に――」



 言葉を遮るかのように、先輩が私の手からマグロを略奪していった。それを断りなく口に放り込んで、あっけらかんと宣う。



「何ってお前、ああいうの好きじゃないだろ」


「はい?」


「グミ。嫌いだろ」



 言い当てられ、う、と返事に困った。

 確かにグミは好きじゃない。食感がどうしても駄目で受け付けないのだ。


 でもまさかそれを、先輩に指摘されるとは。

 彼は飴やグミの類をいつも勉強の傍らつまんでいる。前に一度グミの袋を「食うか」と勧められて断ったことがあった。


 本格的に流星群が出現し始め、自然と穏やかな沈黙が訪れる。

 深いネイビーを切り裂くように、細く長く下っては消えゆく光線。それを五つほど数えたところで、我に返った。



「これって、流れ星に入るんですかね」



 私の質問に、先輩は「入るだろ」と間髪入れず答える。



「流星群は流れ星の群れだ。本質的にはどっちも変わらない」


「じゃあ、願い事します」


「ああ、しとけ。今なら何個でもし放題だぞ」



 陳腐なやり取りかもしれない。

 それでも、占いだとか神様だとか、私たちはどうしても縋ってしまう。自分ではどうにもできないことなら、なおさら。


 両手を組んで、瞼を閉じる。


 お母さんが元気に仕事をこなせますように。無事にアメリカから帰ってこれますように。それから――。



「先輩」



 やめた。今ここにいる人には、空に頼むんじゃなくて、きちんと自分で確かめたい。



「そろそろ、先輩のことを教えてくれませんか」



 誤魔化されるのは、隠されるのは嫌だった。知らずにのうのうと暮らしていくのも、嫌だった。


 再び沈黙が流れて、背中を嫌な汗が伝う。

 でも、もう引き返せない。今日こそは先輩から聞き出すまで折れないと、密かに決意した。


 隣から小さく息を吐く気配がする。彼の声が空気を震わせた。



「鈴木一太、十六歳。高校二年。好きな食べ物はハンバーグ、嫌いな食べ物はにんじんとブロッコリー」


「……知ってます」


「運動とホラーが嫌いだ」


「はい、知ってます」


「得意科目は英語。苦手科目は、」


「知ってます!」



 彼の方を見ずに、勢いだけで遮る。



「……知ってます、そんなことは全部」


「教えろって言ったのはお前だろ」



 そうだけど、そうじゃない。私が知りたいのは、そんなプロフィール帳の項目のようなことじゃなくて。


 きっと、このままだとまたかわされる。防御線を張られて、何も踏み込めずに終わる。

 隙を作らなければいけない。今の彼は素の状態というよりも、私からの攻撃を跳ね返すのに必死なような気がした。



「先輩は以前、お父さんと一緒に住んでいたんですか?」



 今まで絶対に触れてこなかった、彼の「家族」に関すること。本当はずっと聞きたかった。気にならないわけではなくて、気にしないふりをしていただけ。



「……そんなことを知ってどうするんだ」


「知りたいんです。先輩のこと、もっとちゃんと」



 だってもう、ただの同居人だなんて思わない。世間一般的な形とは程遠いけれど、これも一種の絆で、何かしら歩み寄っていきたいと思っているわけで。


 駄目だ。こんなんじゃ彼の殻を壊せない。まだ足りない。

 もっと決定的なものが欲しかった。彼の表面を覆っている膜が揺らぐような、十分に動揺を誘うような何かが。


 先輩は一瞬目を見開き、すぐに私から視線を逸らす。それから緩く笑うと、立ち込めている重い空気を取り繕うように声色を整えた。



「は――何だ、華。まさかお前、俺のこと好きになったとか言うんじゃないだろうな?」



 僅かに覗いた感情の揺れ。

 いつもの私ならきっと、呆れて言い返していただろう。何言ってるんですか、自惚れるのも大概にして下さい、と。


 喉の奥が震える。握り締めた手の平に食い込む爪が痛い。



「――そうですよ」



 まともな判断など、恐らくできていなかった。とにかく彼を土俵から引きずり下ろすことにばかり思考が及んで、それを私が言うことによってどんな弊害が出るのか、全く分かっていなかったのだ。


 思ってもいない気持ちを吐露した刹那、彼が固まる。



「だから先輩のこと、ちゃんと知りたいんです。うやむやのまま終わりたくありません」



 手段を選ばないとは、このことかと。他人事のように考えている自分がいる。


 でももう、分かってしまった。言った瞬間、この選択は絶対にしてはいけなかったのだと。



「お前、それ、本気で言ってんのか」



 彼の顔から感情が抜け落ちる。ただただ呆然と私を見つめていた。


 あまりの態度の高低差に心臓が冷え、言葉に詰まる。

 自分が蒔いた種。嘘をつき通す勇気はなくて、頷くことができない。


 撤回しようと、わななく唇を動かした時だった。



「お――――い! お二人さーん! いつまでそこにいるのー!」



 滑り台の頂上に上ったチョコが、耐えかねたように私たちを呼ぶ。

 先に立ち上がったのは先輩だった。私は慌てて彼に倣い、その背中に弁明すべく、口を開く。



「先輩、あの、今のは……」


「帰る」



 短く発せられた彼の動詞に、今度は私が固まる番だった。

 先輩は顔だけ振り返り、目を合わせることもなく再度告げる。



「俺は先に帰る。……お前は、ゆっくり帰って来い」


「え――ま、待って下さい、さっきのは違くて……!」


「華」



 特別大きいわけでも、とげとげしいわけでもない。むしろ憔悴しきっているようなトーンで、彼は私の名前をなぞる。



「ごめんな」



 それは、彼が初めて私に贈った、心の底からの慈悲だった。


 一人足早に公園を抜けていく彼。最初に声を掛けたのは意外にも、タカナシ先輩で。



「一太?」


「タカナシ。帰り、華を送ってやってくれ。それと、」



 その先は聞こえなかった。何か小声で話した後、タカナシ先輩が珍しく視線をさ迷わせる。



「一太、それは――」


「頼んだ」



 タカナシ先輩の肩を軽く叩き、鈴木先輩が去っていく。


 誰も何も引き留めるようなことを言えずに、暗闇の中、小さくなっていく彼の姿を眺めるだけだ。



『お前はもう、一人じゃない』



 胸騒ぎと共に、彼の言葉を思い出す。


 夏の夜空に溢れんばかりの星が降って、それだけが不相応に輝いていた。



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