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「うるせえ! 俺はゲームするんだよ!」

 


 夕飯も一緒にどうか、と提案したものの、チョコとタカナシ先輩はそれぞれ自分の家で済ませるとのことだった。そういうところは真面目なんだか、謙虚なんだかよく分からない。


 今日の献立は野菜の豚肉巻き、オクラ納豆、ご飯、わかめと卵のスープ。

 にんじんの千切りを肉巻きに紛れ込ませたのがバレて、例の如く先輩は喚いていた。


 夕飯の片付けを終え、お風呂掃除を済ませてからリビングへ顔を出す。すると、先輩は珍しくソファに座ってテレビを鑑賞していた。


 こっそり背後から近寄る。

 どうやら先輩はテレビを見ているのではなくて、ゲームをしているようだ。タカナシ先輩の厚意で、しばらくここに置いておくことになったのだ。



「先輩、すっかりハマってますね」



 別段大きな声を出したつもりはなかったけれど、驚かせるには十分だったらしい。

 私の声に肩を僅かにびくつかせた先輩が、振り返って顔を上げる。



「華もやるか?」


「私はいいです。得意じゃないので」



 小学生の時に、友達の家で少しゲームを触らせてもらったことがある。でもすぐにゲームオーバーになってしまうし、多分向いていないんだと思う。


 彼は私の返事を聞いて、逡巡するようにコントローラーを手放した。



「それより、お風呂もう入りますか? 入るならお湯溜めますけど」



 そう問いかけると、先輩は再びコントローラーを握る。



「ゲームするんですか?」


「ああ」


「珍しいですね。まあいいですけど……あんまり遅くまでしちゃだめですよ」



 本当に珍しい。いつも勉強しかしていない先輩が、こんなにゲームにのめり込むとは。

 まあでも、たまにはいいだろう。今日一日遊び倒したって問題ないくらい、彼は普段至って真面目なのだから。


 昼間と同様、ソファに座る先輩の後ろで、私はダイニングテーブルに落ち着いた。

 チョコが押し付けて帰った漫画――ではなく、以前アパートから持ってきた母の洋書を開くことにする。


 母が一等大切にしていた、一冊の本。

「lonely lovers」――直訳すると、ひとりぼっちの恋人たち、だろうか。恋人たちなのにひとりぼっちというのが、いまいちピンとこないけれど。


 最初のページを開いて、少しずつ、ゆっくり英文を目で追っていく。

 英文自体は物凄く難しいというわけでもなくて、知らない単語に苦戦する程度だった。一回目で全てを理解できるとも思っていなかったので、適度に読み流す。


 三十分くらい経っただろうか。数ページ捲って英語に集中していたところで、突然呼びかけられた。



「華、風呂入らないのか?」



 彼の質問に、私は首を傾げる。



「え、先輩はまだ入らないんですよね?」


「そうだな」


「私は先輩が入った後に入るので」


「どうしてだ」



 どうして、と言われても。そんなの今更だ。



「いや……家主より先に入るわけにはいかないです」



 というか、彼と暮らし始めてからずっとそうしてきたし、今になって理由を聞かれてもそれ以外に見当たらない。


 先輩は目を見開き、それから「確かに今まで一度も……」と一人でぶつぶつ呟く。



「華、早く風呂入ってこい」


「だから私は……」


「一人で集中したい気分なんだ。長めに湯舟浸かってこい」



 さっきまで散々集中してたのに? 私、別に物音とか立ててなかったよね?

 いきなり神経質になった先輩に、戸惑いを隠せない。



「いやでも、」


「うるせえ! 俺はゲームするんだよ!」


「馬鹿の一つ覚えですか」



 今日に至るまで、ゲームなんて微塵もしてなかったくせに。

 違和感が胸中を占めたものの、とりあえずは有難く従うことにした。


 一体何時までやるつもりなんだろう、あの人。なるべくゆっくりしてからあがった方がいいのかもしれない。

 そんなことを考えながら肩までお湯に浸かる。久しぶりにしっかりと体を癒せた気がした。







「あれ、ゲームもう終わったんですか?」



 普段の二倍時間をかけて、お風呂から帰還した。努めてそうしたつもりだったけれど、先輩を待たせてしまったようだ。



「ああ。もう飽きた」


「ブーム過ぎ去るの早すぎません?」



 時計を確認すれば、自分が入浴していたのは三十分ほど。入る前はあんなに夢中だったのに、いくら何でも気分屋すぎる。


 今日の彼は一体何なんだ、と訝しみながらタオルで髪の水気を拭き取っていると、先輩が口を開いた。



「……これ、何だ?」



 彼が指しているのは、ダイニングテーブルに置きっぱなしだった洋書だ。

 ああ、すみません、と軽く謝罪して、私は説明を付け足す。



「母の持っていた本です。英語の勉強がしたくて、この間ちょっと借りてきました」


「英語の勉強?」



 眉をひそめる先輩に頷く。



「先輩、洋画好きじゃないですか。だから私も、字幕なしで洋画観られるようになれればと思ったんです」



 包み隠さず話してから、数秒遅れて恥ずかしさがやって来た。何だか、これじゃあ先輩と一緒に映画を観たいと言っているみたいだ。

 しかしそんな私の様子は気にも留めず、彼はやや険しい顔つきだった。



「……別に好きなわけじゃない」


「え?」



 低い声。絞り出すかのように紡がれた言葉に、思わず固まる。



「好きじゃないって……だって、洋画じゃなきゃ嫌だって、先輩が言ったんですよ」


「洋画の方が英語の勉強になるってだけだ。映画自体、特に興味はない」



 また、勉強。


 私が映画鑑賞に誘った時、頷いてくれて少し嬉しかった。正直私も映画なんてそこまで重要じゃなくて、先輩と娯楽を共有できていることが大事だったのだ。

 それなのに、先輩にとっては、あの時も所詮「勉強」でしかなかったということ。



「勉強勉強って……そんなに頑張ってどうするんですか。毎日根詰めてやる必要、あるんですか?」



 将来のためって、前に聞いたけれど。それが的を得た答えじゃないことくらい、彼が私に何か隠していることくらい分かる。



「毎日部屋に引きこもって、何時間も机に座りっぱなしで……体壊したらどうするんですか。今は私がご飯も作ってますしいいですけど、私がいなくなったら先輩、また倒れちゃいますよ」



 自分で言いながら、本当にそうだなと思った。

 この人は、私がいなくなった後どうするんだろう。また一人で暮らすんだろうか。いつまで? この先ずっと?



「……先輩、」



 私と母と、一緒に暮らしませんか。


 そう、言おうとした矢先だった。

 リビングに突如、電子音が鳴り響く。先輩は自身の服のポケットからスマホを取り出すと、私に視線を投げた。



「悪い」



 端的に告げて、彼が横をすり抜けていく。背後でドアの開閉音がした。


 ぽつぽつと漏れ聞こえる声から察するに、電話だろう。

 気まずい空気から逃れられてほっとしたのも束の間、たった今閉まったはずの彼の部屋のドアが、勢いよく開いた。



「華!」



 剣呑な目つきで私を睨む彼。

 一体どうしたのか。語気を荒らげた彼が次の瞬間、言い放つ。



「お前の母さんが倒れた」


「え、」


「原因はまだ分からない。とにかく、すぐに荷物まとめろ。――万が一のために」



 頭が真っ白になるとは、このことだ。

 その時感じたのは焦りでも不安でもなく、ただひたすらに「怖い」という感情だけだった。


 待って。ちょっと待ってよ。

 倒れたって、病気? なんの? 万が一って何? まさか、死――



「華っ!!」



 肩を掴まれ、がくがくと揺さぶられた。容赦なく食い込んだ彼の指が痛い。



「急げ! いつでも出られるように、」


「嫌です!」



 首を全力で振って、震える喉で叫ぶ。



「嫌です……だってそんなの、お母さんが死んじゃうみたいじゃないですか!」


「華、」


「縁起でもないこと言わないで下さい! 冗談じゃありません!」



 怖い。叫んでいないと、誰かに当たり散らしていないと、気が狂ってしまいそうだった。

 もし――その先なんて考えたくないけれど、思考はどんどん悪い方へ流れてしまう。


 お母さんがいなくなったらどうするの。こんなに離れた状態で、顔を見られず声も聞けず、そのまま会えなくなったら私は。


 これからずっと、一人なの?



「華」



 存外落ち着いたトーンだった。


 顔を上げるより先に、彼の片腕が私の背中に回る。とんとん、と宥めるように軽くたたかれ、その拍子に生温かいものが頬を伝った。



「俺の言い方が悪かったな。……大丈夫だ。死なない」



 ただの気休めと言ってしまえば、そうかもしれない。何の確証もないし断言だってできないけれど、彼にそう言われると少し気持ちが落ち着いた。


 ようやく泣く余裕が生まれて、それを自覚すると涙が次から次へと零れ落ちる。


 背中を撫でる手がぎこちないのに気が付き、それと同時に、自分は一人じゃないんだなと、ぼんやり思った。





 ***





「いやぁ~、心配かけてごめんねえ。ほんとにただの貧血だから」



 母と直接話すことができたのは、翌朝のことだった。


 昨晩は一睡もできず、先輩とリビングで黙って時間の経過を待った。朝方、私の方に電話が来て、母の容態を知ることができたのだ。



「もう、本当に心配したんだから! 昨日だって朝からずっと連絡とれてなかったし……」



 電話は週に一回だけれど、メールでやり取りは毎日している。しかし昨日は全く返信がこないし、おかしいなと感じてはいた。

 午後からの来客でばたばたしていたから、その時はそこまで気に留めていなかったのだ。



「お母さん、ちゃんとご飯食べてる? 何か痩せたんじゃない?」



 ビデオ通話だったため、久しぶりに母の顔をきちんと見ることができた。

 私の指摘に、母は「そうね」と眉尻を下げる。



「確かに痩せたかも。華のご飯が恋しくて」


「……仕事、結構忙しいの?」


「うーん。そうねえ……やっぱり、なかなか大変かしら」



 いくら以前アメリカへ渡ったことがあるといっても、慣れない部分は少なからずあるだろう。それに加えて仕事もこなすとなると、精神的負担もあったのかもしれない。



「華は元気?」


「自分が倒れてるのに私の心配? 大丈夫だよ。風邪引いたこともないし」



 そう、と安心したように笑った母に、私は半ば怒りにも似た感情をぶつけざるを得なかった。



「お願いだから、無茶しないでよ。今回みたいに、倒れたってすぐに会いに行けるわけじゃないんだから」


「分かってるわよ。休みに関してはむしろ、そっちにいた時より寛容だから。しっかり休ませてもらうわ」


「なら良いけど……」



 とにかく、何事もなくて良かった。

 一息ついて、体から力が抜ける。そうだ、と一つ、昨日考えたことを思い出した。



「ねえお母さん。私、考えたんだけど」



 とそこで、今まで隣で黙って静観していた先輩に目配せする。彼は私の意図が分からず、首を捻っただけだった。



「お母さんがアメリカから帰ってきたら、先輩も一緒に三人で暮らせばいいんじゃない?」



 割と名案だと思う。先輩は誰かが監視していないとすぐに堕落した生活に逆戻りだし、お金のことを鑑みても、絶対に一緒に暮らした方がお得だ。


 しかし、部屋には静寂が広がった。


 母は純粋に驚いたのか、目を真ん丸にして画面越しに私を見つめている。先輩は一言も発すことなく、通話画面に視線を落とすだけだった。



「あー……」



 途端に歯切れ悪くなった母が、先輩の顔色を窺うように私から目を逸らす。



「一太くんの都合もあるだろうし……ね? 一太くん、どう思う?」



 矛先が彼に変わった。私も母と同様、彼に視線を向ける。



「ちょっと、すぐには決められないです。……確認したいことがあるので」



 そう結んだ先輩は、再び目を伏せた。

 母は「そっか」と頷いて、戸惑ったように微笑む。



「ええと……ごめんね、ちょっと電話入ったみたい。一回切るわね」


「お母さん――」


「じゃあね、華。一太くんも。体調気を付けて」



 通話が切れて、スマホの画面が切り替わる。


 嘘だ。電話が来たなんて嘘。だって、今お母さん、耳たぶ触った。嘘つくときの癖だ。

 どうして? 私は何か、間違えたんだろうか? お母さんも先輩も、私に何を隠してるの?



「華」



 先輩が私を呼ぶ。



「さっきの話は、どういうことだ」



 彼の言う「さっきの話」がどれに当たるのか、勿論すぐに察しがついた。

 真剣で、少し怖いくらいの眼差し。先程よりもよっぽど空気が重い。



「どういうって……そのままですよ。先輩がまた倒れたら、困りますし」



 二ヶ月以上も一緒に生活していると、流石に情がわくというか。

 慄きつつも答えると、先輩は重ねて問うてくる。



「一緒に暮らすのがどれだけ大変か分かってるのか」


「はあ? 何言ってんですか。そんなの今だって大変ですよ。先輩は好き嫌いばっかだし、うるさいし、」


「ああ、そうだ。お前だって最初は俺と暮らすの嫌がってただろ。この先、ずっと俺の我儘に付き合うつもりか?」



 何が言いたいのだろう。というか、自覚があるのなら少しくらい改善して欲しいものだ。



「ちゃんとよく考えろ。簡単に決めるんじゃない」



 それが最後だったのか、言い終えるなり彼が立ち上がる。


 ちゃんと考えろ? 簡単に決めるな?

 よく言う。一番最初、強引に私を引っ張っていったくせに。誰のせいでこの共同生活が始まったと思っているのだろう。



「そのつもりだって言ったらどうするんですか」



 自室のドアを開けようとした彼の背中に、声だけで追い縋った。



「先輩の我儘なんて今更ですよ。これからも私が聞いてあげるって言ったら、先輩は一緒に暮らしてくれるんですか?」



 僅かに向こうの空気が怯んだ気がした。しかしそれは一瞬で、彼はすぐさま切り返してくる。



「……お前が本当に望むなら、俺はいくらだってそうする」



 だったら、お母さんに聞かれた時も頷けば良かったじゃない。

 皮肉は喉の奥で詰まって、ドアの向こうに消えた背中に届くことはなかった。



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