「褒めたつもりはないんですけど」
「どうもー、こんにちは」
インターホンが鳴って十数秒。玄関のドアを開けた先にいたのは、チョコとタカナシ先輩だった。
土曜日の昼下がりである。
鈴木先輩は自室にこもっており、恐らく勉強中だろう。
陽気に手を挙げ挨拶してみせるチョコに、私はその場で固まった。
「いや――何でチョコがいるの?」
呼んだというか、来る予定だったのはタカナシ先輩だけのはず。さも当然の如く佇む彼女は、「だってえ」と大袈裟に口を尖らせる。
「タカナシ先輩だけずるいじゃない。私だって二人の愛の巣にお邪魔してみたかったんですよぅ」
ねっ、タカナシ先輩! と隣に同意を求める彼女。
突っ込んだところで訂正をしてもらえないのは目に見えていたので、ため息をつくだけにとどめた。
『……一つだけ、お願いしてもいいですか?』
そもそもどうしてタカナシ先輩を招くことになったのかというと、先週の私の発言に遡る。
鈴木先輩は相変わらず毎日勉強漬けだ。先月は映画鑑賞に付き合ってくれたものの、彼にはやはり息抜きというか、何か他に気分転換となるものが必要だと思う。
とはいえ家の中には娯楽となるものがないし、私はふと思いついてタカナシ先輩に委託したのだ。
「はい、これ」
二人をリビングに通しお茶を出したところで、タカナシ先輩が荷物から大きな箱を取り出す。
私はそれをまじまじと見つめて、「ありがとうございます」と軽く頭を下げた。
「頼んだ手前申し訳ないんですけど、私あんまり機械は詳しくなくて……接続とか、どうすればいいんですかね」
タカナシ先輩に頼んだもの、それはゲーム機だ。
中高生なら一台は持っていそうなそれも、この家には見当たらない。というわけで、彼に少しだけ貸して欲しいとお願いしたのである。
「コード繋げるだけだからすぐだよ。ちょっと待って」
どうやら先輩は起動まで面倒をみてくれるらしい。
何だかんだ十五分ほどで諸々の設定が終わり、コントローラーの動作性を確認している時だった。
「……なんだ、来てたのか」
背後でドアが開き、ようやく家の主がお出ましだ。
呼ぶ手間が省けてこれ幸い。私は手招きしつつ彼を促した。
「先輩、こっち座って下さい。はい、これ持って」
「何だ?」
「ゲームです」
問答無用でその手にコントローラーを握らせ、自分は立ち上がる。
鈴木先輩はといえば、怪訝な顔をして渋々ソファに腰を下ろした。隣では既にタカナシ先輩が臨戦態勢である。
「一太、マルオカートでいい?」
一応質問の体裁は保っているが、きっと鈴木先輩に選択権はない。
赤い服と帽子を身に着けたおじさんの高い笑い声が響いて、ゲームが始まった。
「待て、どうして俺は休日にゲームをしなければいけないんだ。タカナシ、しかもお前と」
「俺じゃ不満?」
「当たり前だ。やるなら華と――、華?」
突然名前を呼ばれて振り返る。しまった、せっかくこっそり抜け出せるかと思ったのに。
「おい、華。どこ行くんだ。砂糖も」
「うーん、惜しいです! 佐藤、なんですよねえ」
律義に返答するチョコの背中をぐいぐい押しながら、私は廊下へ向かった。
「私たちちょっと買い物行ってくるので! 先輩方はゆっくりしてて下さい」
「それなら砂糖じゃなくて俺が……」
「こっちはこっちで積もる話があるので! それでは!」
やや強引に話をまとめ、リビングを後にする。
食材の買い出しに行くのは本当だったけれど、一番の目的は鈴木先輩が気兼ねなく息抜きができるように、だった。
毎日私と一緒では、流石に息が詰まるだろう。休みの日だってろくに遊びに行かないし、気を遣われているのだとしたら申し訳ない。
マンションのエレベーターを待っている最中、チョコが「で?」と顔を向けてくる。
「積もる話というのは何かな? 山田くん」
完全に彼女の都合というものを忘れていた。いや、勝手に押しかけてきたのだから、都合も何もないけれど。
まあ正直、あんなのは口からでまかせだ。今更彼女と改まって話すことなどなかった。
「あー、うん。ごめん。特になくて」
素直に申告すると、チョコは「だよねえ」と伸びをして、到着したエレベーターに乗り込む。
「タカナシ先輩がわざわざゲーム機のためだけに訪問するなんて、変な話だなあと思ったのよ」
「……どういうこと」
「華、鈴木先輩のためにタカナシ先輩を呼んだんでしょう」
彼女には隠し事ができないらしい。別に知られなくともいいことまで言い当てられ、途端に羞恥が襲ってきた。
黙り込んだ私に、チョコは少しだけ肩を竦めて正面を見据える。
「鈴木先輩は、華のこと迷惑だなんて思ってないと思うけどねえ」
「さあ……どうかな。口うるさいし、にんじん入れるし、あんまり好かれてないと思うよ」
邪魔だ、とはっきり言われたわけじゃない。露骨に態度で示されたわけでもない。
それでも、連日自分の部屋に引きこもっている彼の様子を見ていると、他でもない私が彼の行動を制限してしまっているように感じた。
「そう? さっきだって華とゲームする、華と買い物行くって言ってたし、むしろ好かれてそうだよ」
彼が悪い人ではないのは、勿論分かっている。
そういう風に言われるのも一種の冗談というか、「恋人」だのと言われた時のネタを絡めて少しふざけているのだと思う。
でも多分、もう一つ。
「それは、……私に同情してるだけ、だと思うよ」
「同情?」
未だに母と彼がどんな会話をしたのか、どこまで情報共有したのかは謎だけれど。でも「知り合い」ということは、母の仕事の都合やそれに伴う私の事情も、知っているんだろう。
知った上できっと親と離れることに同情して、頓珍漢なことを言って雰囲気を和らげたり、常に外出はついてきたりしてくれているんじゃないだろうか。
どうしたって私には、いつまでも彼の本質を掴めないでいた。
うやむやにするのも憚られて、私はチョコに鈴木先輩と同居している理由をかいつまんで説明した。
話が終わるなり、彼女は意外そうに声を上げる。
「へえ! お母さん、すごい人ねえ」
「……うん」
「女の人でアメリカに派遣だなんて、相当優秀よ。あーあ、私もそんなステキウーマンになりたぁい」
なんというか、想定していた反応と違った。
重たく湿った空気になってしまうことをある程度覚悟して話したけれど、彼女はそんなのどこ吹く風。非常にあっさりしている。
「私も同情した方が良かった?」
目を伏せていると、チョコが私の顔を覗き込んでにんまり笑う。その表情になんとなく気が晴れて、すぐさま首を振った。
「……ううん。お母さんのこと、褒めてくれてありがとう」
「どういたしまして~」
それからチョコと駅前の喫茶店に入り、小一時間ほどくだらない話で盛り上がった。帰りにスーパーへ寄って食材を買い込み、アパートへ戻る。
「ただいま、……戻りました」
帰ったら「ただいま」と言うこと。鈴木先輩との暮らしを始める時、ルールになった事項の一つだ。
気恥ずかしさに小声になった私と比べ、チョコは「ただいま~」と我が物顔である。
返事はなくて、僅かに首を傾げた。
廊下を進んでリビングに近づくにつれ、話し声が大きくなっていく。
「タカナシィッ! 貴様だけは許さんッ!」
「あ、ごめん。赤甲羅当てた」
「はっ、そんなのバナナでガード――ああッ」
テレビを前に隣同士でコントローラーを握る二人。……何だ、しっかり楽しんでるじゃないの。
外出前の先輩の様子からして、ゲームはあまり好きじゃないのかと思っていたけれど、そんなことはなかったようだ。
「私たちが帰ってるの気付かないくらい、のめり込んでるわねえ」
しみじみと述べるチョコに頷いて、私は買ってきたものを冷蔵庫にしまっていく。
「あ、そうそう。私も華に貸そうと思って漫画持ってきたのよ」
「だから、こないだいいって言ったじゃん」
「もーっ、今回のは全年齢に優しい少女漫画だから! これとかどう? 今度映画化するんだけど」
粗方しまい終えて振り返ると、チョコが一冊の漫画本を掲げていた。
ソファを占領している先輩たちの後ろ、ダイニングテーブルに移動して、チョコに勧められるがままページを捲る。
「……え、何、これ」
「何って何?」
思わず顔を引きつらせた私に、チョコが聞き返してきた。
「いや、このヒーローおかしくない? ヒロインに出会って、初っ端キスって」
「やだぁ! それがいいんじゃーん! 俺様っていうの? ちょっと強引な感じ!」
「ええ……」
強引って、つまりそれ同意なしじゃん。イケメンだから許されるってことだろうか。とんだ自惚れヒーローだ。
特に感情移入もできないまま適当に流し読みしていると、チョコが「ここ!」と唐突に叫び声をあげる。
「このシーンが胸キュンすぎるって話題になったの! ね、かっこいいと思わない?」
校内で一番のイケメンと言われているヒーローが、ヒロインに啖呵を切られるシーンだ。まあ出会って早々キスするわ、ナルシスト発言を連発するわで、私としては全面的にヒーローが悪いと思う。
そんな自信だけはエベレスト級の残念イケメンがヒロインに対して言ったセリフがこれだ。
『ふっ、おもしれー女』
……いやもうシンプルに、どうしてこれが胸キュンなのか教えていただきたい。
「お、何だ。漫画か?」
「うわっ」
背後から手元を覗き込まれ、思わず飛び上がる。
いつの間にやらゲームを中断した鈴木先輩が、私の手から漫画を掻っ攫っていった。
真顔で少女漫画をまじまじと読み込む図がかなりシュールだ。
「そうだ。鈴木先輩、そのヒーローのセリフちょっと読んでくれません?」
名案だ、とばかりに手を叩いたチョコに、面食らってしまう。
彼女は私へ視線を移すと、にっこり微笑んで宣った。
「華がどうしても共感してくれないので。鈴木先輩が読んで下さったら、ヒーローのかっこよさが倍増すると思うんです」
「は!?」
一体、何を言い出すのかと思えば。
堪らず椅子から腰を浮かせた私とは対照的に、鈴木先輩は「いいぞ」と二つ返事で了承してしまう。
「いや、先輩もまともに取り合わなくていいですから! 何でそんな抵抗なく……」
「『もう黙れよ』」
あ、まずい。
ついさっき目で追った文字列が、先輩の声を通して再度繰り返された。
私を見下ろした彼の瞳は、いつもと違う色を含んでいる気がする。そして形のいい唇が弧を描き――
「ふっ、おもしれー女」
「むかついたので蹴りますね」
考えるより先に体が動いた。宣言通り振り回した足を、彼が器用に避ける。
「ちょっと華、雰囲気ぶち壊し! せっかく鈴木先輩が再現してくれたのに~!」
「頼んでないって」
雰囲気もくそもない。というか、気持ち悪くて鳥肌が立ったくらいだ。
自身の腕を撫でさすっていると、チョコが不服そうに眉根を寄せる。
「じゃあ華はどんなシーンがいいの? 今なら役者四人いるから割と対応できると思うけど」
「勝手に私を含めないでくれるかな」
しかも当然の如くタカナシ先輩まで巻き添えだ。いや、彼なら意外とノリノリでやりかねない。
「そもそも、こんな自惚れヒーロー好きじゃないし」
俺様だか何だか知らないけど、ただの自己中じゃない?
そんな文句は内心にとどめておくことにした。大勢の女子を敵に回すかもしれない。
「えー、俺様キライ?」
「嫌い。無理。自意識過剰な人は論外」
結局心の中で思っていたことよりもはっきりと述べてしまった。
チョコは「ふうん」と間延びした声で返してくる。特に気を悪くしたわけではないようだった。
それにしても、この漫画のヒーローになんとなく既視感というか、デジャヴというか。
「……あ。鈴木先輩か」
どこから湧いてくるのだ、と問いただしたい自信。最初に私を連れ戻そうとした時の強引さと、好き嫌い故の我儘。考えれば考えるほど、鈴木先輩にそっくりだ。
「何だ。俺がどうした」
「いえ、やっぱり最悪だなと思っただけです」
「照れるな」
「褒めたつもりはないんですけど」
彼の脳内辞典には、ポジティブな言葉しか掲載されていないんだろうか。まあそれならそれで人生楽しそうでいいと思う。
「華ってツンデレですよね。鈴木先輩、ツンデレ好きですか?」
なんてことを聞いてくれるんだ。今度こそ遠慮なく顔をしかめる。
「ああ。ツンデレが一番だ」
「お願いですからもう喋らないで下さい」
なんだこの休日。なんだこの同居人。
私はこめかみを沈痛に押さえ、大きなため息を一つ、リビングに響かせた。




