「ジーザスッ!」
絶対に許さない。
そんな強い意志を持って、私はいま食卓に座っていた。
「華」
無視だ。無視。
目の前で私を呼ぶ諸悪の根源に、返事なんてしてやるものかと気を引き締める。
「華、もう三分経ったぞ」
「え」
思わず顔を上げれば、鈴木先輩は我先にとカップ麺の蓋を剥がしていた。私も慌てて彼に倣う。
今日の夕飯は、お湯を注いで三分。何故にそこまで手抜きな事態になったのかというと。
「華、悪かった」
端的に謝罪した彼の頬を、湯気が撫でていく。
「そんなに大事なものとは知らずに――お、うまいな納豆味」
反省する気ゼロだ、こいつ。言葉の途中で麺を啜り始めた彼に、深々とため息をついた。
大体、納豆味ってなんだ。スーパーでかごに入れてきた時から思ってはいたけれど。
今日は絶対、ご飯なんて作ってやるものか。そう固く決意したのは、つい先程のことだった。
『あれ?』
キッチンカウンターを隅から隅まで見渡して、首を捻る。昨日ひっそり飾っておいたはずのフィギュアがない。
コンビニと吉木興業のコラボイベント。五百円買い物するごとにくじを引けて、私は運がいいことに景品が当たったのだ。
『おめでとうございまーす!』
芸人のフィギュアセット、それも私が大好きな「15時のヒロイン」の。
目に見えるところに飾って、家事の合間に癒されようと思っていた。
『先輩、ここにあったフィギュア知りません?』
忽然と姿を消したそれの居場所を聞いたところ、彼から返ってきたのは耳を疑う回答だった。
『ああ……タカナシにあげた』
『はあ!?』
どうやら、タカナシ先輩も「15時のヒロイン」の大ファンらしい。
だからって、許可もなく無断で持ち出すだなんて。言語道断だ。
彼曰く、私が自分の部屋に持って行かず放っておいているように見えたから、どうでもいいのだと思った、とのこと。
とんでもない。私は丁寧に飾っておいたつもりだった。
「タカナシには明日返すよう言ってくる」
「別にいいです」
「どうしてだ。大事なんだろ」
そりゃあそうだ。M-1オタクの私としては、宝物と言っても過言ではない。
「いいです。一度あげたものなのに返せとか、失礼なので」
タカナシ先輩もファンだということは、きっと貰った時すごく嬉しかったんだろう。全く興味のない人に渡されたなら返して欲しいところだけども、そうじゃないのなら。
「それに、恋人からのプレゼントですし」
「……は?」
頓狂な声だった。
先輩の目が見開かれたと同時、彼の箸から麺がつるりと滑り落ちる。
「好きな人から『あげたもの返せ』とか、ちょっと酷すぎるかなって……やっぱり、正妻はタカナシ先輩ですし」
「ちょ、待、華」
「いいんです。私よりタカナシ先輩を尊重するのは、なんらおかしいことではないですよ」
教え諭すように頷き、二人の恋路を見守る決意を表明した。
ショックから取り乱してしまったけれど、よくよく考えたら分かることだ。鈴木先輩がタカナシ先輩に尽くしたいと思うのも、当然の流れだろう。
「だから、俺は女が好きだって言ったろ。お前、こないだからおかしいぞ。グラニュー糖に何を教え込まれた」
「紛らわしいのでその呼び方やめません?」
佐藤の方が文字数少なくて、絶対に覚えやすいと思うのだけど。
鈴木先輩とタカナシ先輩が校内で静かに人気を博しているカップルだというのは、チョコから聞いた。付き合っているわけではなくて、でもそういう想定、だそう。
一部の女子たちに潤いを与え、生活を豊かにするには必要なことらしい。
「みんなの平和のために、頑張って下さい」
「これほどまでにお前の脳内を見てみたいと切に願ったことはないな」
納得し切っていない表情で眉間に皺を寄せる彼を横目に、麺を啜る。すっかり伸びてしまって、柔らかい食感にげんなりした。
***
「まだ仲直りしてないの~? 意地っ張りねぇ」
いつもの如く私のクラスにやって来たチョコが、言いつつ大袈裟に眉をひそめる。
別に、と呟いて、私はお弁当の蓋を開けた。
「喧嘩ってわけじゃないし。先輩が? 勝手に? 私のフィギュア持ち出したのが悪いんだし?」
「おー、これはかなり怒ってますなあ」
呑気な口調で相槌を打つ彼女は、すっかり他人事だ。
あげてしまったものは仕方ない。確かに鈴木先輩にはそう言ったけれど、だからといって許したわけではなかった。
だって、限定だったんだもん。レアだったんだもん。一言声を掛けてくれれば良かったのに、無断で持ち出すって。
「登下校は別々で、お弁当も作ってあげてない……可哀想だなあ鈴木先輩」
私の手元にあるお弁当箱をしげしげと見つめながら、チョコがぼやく。
何だ、チョコも先輩の肩を持つのか。どう考えたって悪いのは向こうなのに。
負けじと不満を隠さず、私は唇を尖らせた。
「二、三日放っておいたって死なないでしょ。ていうか、先輩全然気にしてないし」
あからさまに私が不機嫌そうな態度を取っても、無視しても。三日連続で夕飯がインスタントでも。
彼は全く堪えていなさそうだった。というか、通常運転だ。
「全然気にしてない、か……山田くん、この世は目に見えるものが全てではないのだよ」
眼鏡を押し上げる動作が毎度胡散臭い。
真面目くさった顔で諭してくるチョコに、私は首を傾げた。そんな私の様子を視界に入れると、彼女は勢い込んで口を開く。
「すっかりフィギュアを気に入っちゃったタカナシ先輩に、ずっと『返して欲しい』って頼み込んでるみたいで……って、あ――――! 言っちゃった! 私としたことが! 口軽いんだから!」
ぽか、と自身の頭を叩いて、大根役者もびっくりの演技を披露してくれた。声の大きさだけは満点をあげたい。
「……ふーん」
「あ、ちょっと嬉しそう。ねっ、鈴木先輩ってば健気でしょ~! そろそろ許してあげたら?」
なぜか私より嬉々とした瞳で身を乗り出してくるチョコに、「まあ、考えとく」と返す。
何となく、すぐに「はいそうですか」と試合終了するのは癪に障った。
「そんなことより山田くん。おすすめの漫画があるんだが、今度貸そうか」
「リビングで読めないような内容なのはやめて」
こないだ彼女が押し付けてきた漫画を家で開くと、男子高校生二人がキャッキャウフフしていた。
偏見はない。ないけれど、先輩に丸一日気遣わし気な目を向けられたので遠慮したいところだ。
ざーんねん、というチョコの嘆きを聞き流して、私はミートボールを口に放り込んだ。
***
連日雨だった。
お天気キャスターが梅雨入りを告げて、水の匂いがしつこく鼻孔を付き纏う。
放課後、家路につこうとしていたところ、後ろから肩を叩かれた。振り返った視線の先には、タカナシ先輩だ。
「こんにちは。……どうしたんですか?」
今日は部活がないはずだ。
それに、彼と一対一で話すこともさほどない。細長い一重にじっと見つめられて、少し気まずかった。
私たちの横を、帰宅を急ぐ生徒が通り抜けていく。
タカナシ先輩は固く結んでいた口を僅かに開いたかと思えば、その瞬間、ゆっくり頭を下げた。
「ごめん」
あまりにも突然の謝罪だったので、反応が遅れた。
顔を上げた彼は相変わらず無表情だ。呆ける私から視線を逸らすと、左手に提げていた紙袋を差し出してくる。
訝しみながらもそれを受け取って、中身を確認し――
「あ、」
カラフルな小さい服から伸びる手足。フィギュアだ。
まさか、わざわざ返しに来てくれたんだろうか。それに、「ごめん」って。
「山田さんのだって知らなくて、しばらく持ってた。ごめん」
平坦に告げる彼曰く、鈴木先輩から「返して欲しい」と何度か頼まれたのだけれど、その理由までは知らなかったとか。私が当てた景品、しかも私がその芸人を好きであることを聞かされたのが昨日だったそうだ。
「ああ、いえ……鈴木先輩が勝手にしたことなので。むしろ、何だかすみません」
タカナシ先輩は全く、微塵も悪くない。
本当に、鈴木先輩には振り回さっれぱなしだ。せめて恋人にくらいはもう少し気遣いがあっても良いのではないだろうか。
「というか、タカナシ先輩も15時のヒロイン好きなんですね。意外でした」
いま大ブレイク中の女性お笑いトリオ。最近テレビで見ない日はない。
うち一人が元アイドルだったそうで、その可愛らしさも魅力の一つだ。
「うん。基本的に芸人は好きかな」
「私もです。M-1見てますか? 私毎年チェックしてるんです」
「もちろん」
周りに熱烈なお笑いファンはなかなかいなかったため、これは貴重な話し相手になりそうだ。
内心浮足立ちながら、拳を握って意気込む。
「私、いつか生で見たいなと思ってるんですよ。倍率凄いですし、本当に夢の夢って感じですけど……」
それに、十九歳以上でないと観覧できない。
でもやはり生粋のお笑いファンとしては、叶えたい夢ではあった。
「あれって、一組二名までだったよね」
一人盛り上がる私に、タカナシ先輩の表情は涼しい。
「そう、ですね。確か」
「じゃあ、もし応募して当たったら、一緒に見に行く?」
青天の霹靂とは、まさにこのことじゃなかろうか。
冗談かもしれないし、そもそも仮の話で。それでも、動揺しなかったと言えば嘘になる。
我に返って、慌てて口を開いた。
「タカナシ先輩、それは――」
「デートか?」
「んぎゃっ!?」
突如横から顔を出した存在に、勢いよく飛び跳ねる。ほう、と一息ついて、それから声の主を睨みつけた。
当の本人は私の視線に臆することなく、のうのうと佇んでいる。
「俺という存在がありながら他の奴とデートだなんて、それはいただけないな」
「誤解を招く言い方やめてもらえませんかね」
「俺のタカナシにちょっかいを出されては困る」
「あー……そっちですか。了解です」
もはや何が了解なんだか。というか、どこまでが冗談でどこまでが本当なのかの見極めが段々難しくなっている気がする。
「華、今日こそ納豆味を食べないか。うまいぞ」
「嫌ですよ」
頼まれても絶対に食べたくない。いや、そもそも。
「……今日の夕飯はカップ麺じゃなくて、ハンバーグです」
もういい加減インスタントは飽きたし、先輩は先輩で反省していたみたいだし。
仕方ないから、先輩の好きなメニューを作ってあげようと思う。にんじんは控えめで。
「華。一つ聞くが」
「はい」
「付け合わせにブロッコリーを添える予定は」
「ありますね」
「ジーザスッ!」
「黙って下さい」
廊下にうずくまった鈴木先輩を一瞥して、深々とため息をつく。……本当に悪いと思っているんだろうか、この人。
頭を抱えて唸る彼を黙って見下ろしていると、タカナシ先輩がおもむろに言った。
「何か、して欲しいことある?」
「えっ?」
一体なんだ、藪から棒に。
彼の発言は飛躍しがちで、都度チャンネルの合わせ方に苦労する。
「お詫びに、何でも一つ言うこと聞く」
「ええ……」
いや、困る。そんなにいきなり言われたって、さっぱりだ。
それに、タカナシ先輩にそこまでしてもらうほどのことではない。
「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ、気にしないで下さい」
真面目なのか、はたまた変わっているのか。恐らく後者だろうけれど。
軽く手を振って遠慮しておいたものの、珍しくタカナシ先輩は不服そうだった。よほど思うところがあったのだろうか。
私は数秒思案を巡らせ、タカナシ先輩に近づく。
「……一つだけ、お願いしてもいいですか?」
彼の耳に唇を寄せ、小声で頼み込む。
鈴木先輩には聞こえないように、ぽそぽそと話す私の声を最後まで聞いたタカナシ先輩は、「なんだ」と首を傾げた。
「そんなんでいいの?」
「はい。お願いします」
私が頷くと同時、鈴木先輩が弾かれたように立ち上がる。
「なんだ! 華、いまタカナシに何を言ったんだ!」
「秘密です」
「二人だけのヒ・ミ・ツ、か! いやらしいぞ!」
「もうほんとにやめて下さい」
全くそんなつもりはなかったのに、変な空気になってしまいそうではないか。
タカナシ先輩からもどうにか言ってやって下さいよ、と投げやりに目を向けた時だった。
「秘密がバレて、ひっ、見つかった! ……なんてね」
…………ああこれ、カオスだ。
一気に体感氷点下まで下がった温度。タカナシ先輩も鈴木先輩に負けず劣らずとんでもない爆弾兵器であると学習した今日この頃であった。




