魏編 内なる想い
魏編 内なる想い
曹操軍は中華の三分の一を掌握しており、最早、敵なしの状態であった。信賞必罰を重んじる曹操の罰は即死罪に繋がることから治安は良好で厳しい制度にかかわらず民の笑顔は絶えない。
その要因はただ一つ。過去の為政が如何に悲惨なものかを知れば理解出来るものであった。重い重税に暴虐を繰り返す役人……中華の民は長い期間、虐げられていたのである。
許昌の一室で賈クは深刻な表情で目の前に広げられた地図を見る。
賈ク「とんでもないことになった……」
楽進「賈ク。一体どうしたんだ? そんな眉間に皺をつくってよ」
賈ク「楽進殿……」
楽進が賈クに声をかけた。
賈ク「実は荷が何者かに奪われましてな……」
楽進「荷が? 曹操様の治める領土でか?」
賈ク「ええ……相応の護衛を付けていたのですが……」
楽進「信じられんな……盗賊の類が曹操様の荷を奪うとは考えられない。後で必ず報復されると分かっているだろうからな」
賈ク「その通りです。ですが奪われた事実は変わりません。何がなんでも取り返さないと……」
楽進「荷は何だ。金か?」
賈ク「金など霞んでしまう程のものです」
楽進「!」
賈クの言葉に楽進は驚く。
賈ク「できれば曹操様のお耳に入る前に……」
楽進「取り戻したいってことか」
賈ク「はい。ですが……」
楽進「賈クに協力する武将がいるかどうかってことか?」
賈ク「……」
賈クは黙る。
楽進「曹操様の命を狙い重臣『典韋』を殺したことを気にしているのなら。気にしなくてもいいんじゃないか? 現に曹操様は賈クを許し、そして今は軍師として曹操様に仕えているじゃないか」
賈ク「確かにそうかもしれませんが……実際のところは……」
楽進「なるほどね……一つ聞かせてくれないか? 曹操様を殺し損ねたことどう思っているんだ?」
賈ク「殺さなくて本当に良かったと思っています。あの時の私は己の自己満足と名声の為に曹操様を亡き者にしようとした。だがこの乱世を治めることが出来ることは曹操様だけだと知った。もし曹操様を殺してしまっていたら乱世は数百年続き私は大罪人として歴史に名を残すことになったでしょう」
楽進「ははっ!」
楽進は笑う。
楽進「いいぜ。俺がその奪われた荷を取り返してやろうじゃないか……満点の回答をしたご褒美だ」
賈ク「楽進殿……」
賈クは楽進に歩み寄る。
楽進「おいおい。そんな真っ直ぐ目で見ないでくれよ。俺にそんな趣味はないぜ?」
賈ク「いやいや! 純粋に感謝したくて!」
楽進「ちょっくら行ってくるから荷が奪われた場所を教えてくれよ」
賈ク「ありがとうございます!」
賈クは楽進に荷が奪われた場所を教えると楽進は兵を率いその場に向かった。
許昌の宮殿では各所の報告書に目を通す曹操と助手として夏候惇が曹操の補佐をしていた。
夏候惇「ねぇ孟徳。どうして荊州攻略の先駆けに曹仁を選んだの?」
曹操「領土が大きくなる度に各武将達に統治させねばならんだろう」
曹操は竹簡から目を逸らさず夏候惇に応えた。
この頃、曹操は荊州攻略の先陣をとして曹仁に十万の兵を与え新野に向かわせていた。
夏候惇「ふふっ。本当に曹仁が可愛くて仕方がないのね」
曹操「幼き頃からいつも俺の背中を追いかけてきたんだ可愛くもなる」
夏候惇「懐かしいわね……悪ガキの孟徳と私。そして曹仁……」
曹操「そして後に淵が加わって……色々なことがあった」
夏候惇「おかげで何度も死にかけたわ」
曹操「それに見合った結果が今ここにあるんだ。無駄ではないなだろう?」
夏候惇「おかげで山の様な仕事に追われる日々だけど」
曹操「戦で剣を振るう時代も直に終わる。そうなれば嫌でも筆を取らねばならん」
夏候惇「はぁ……どこまで人をこき使うつもりなのよ」
夏候惇はため息をつく。
曹操「惇。荊州攻略が終われば一気に南下し呉の攻略に移る」
夏候惇「船はどうするつもり?」
曹操「劉表の持つ水軍をそのまま使うつもりだ」
夏候惇「足りるのかしら?」
曹操「現地調達になるだろうな。近くの都市からも調達するしかあるまい」
夏候惇「そうするしかないでしょうね。ところで……許チョはどう?」
曹操「典韋が死んでからまだ完全には立ち直っていないようだ。まだ休息が必要かもしれん」
夏候惇「典韋が死んでか……本当にそれだけ? 典韋を殺した賈クを登用したことに問題があったんじゃないの?」
曹操「俺はそうは思わん。仮にそれが許チョの心が病む原因だとしても俺は賈クを登用しただろう。あの男は唯一、俺に死を感じさせた男だ」
夏候惇「随分と勝っているのね」
曹操「典韋の分まで働いてもらわねばな。現に賈クからの提案は実に面白い」
夏候惇「提案?」
曹操「有り余る財をこれ程に無駄に……そして有効な使い方は知らん」
夏候惇「何それ? そんなに余ってるなら私も欲しいものがあるんだけど?」
曹操「惇が欲しいもの? それなりの禄を渡しているだろうそれでも買えないのか」
夏候惇「七星剣」
曹操「何処にあるのか知ってるのか?」
夏候惇「知らないから何とか探して欲しいのよ」
曹操「董卓にくれてやってから所在が分からん。俺ももう一度手に入れたいとは思っているのだがな」
夏候惇「もし見つけたら頂戴」
曹操「それは約束出来んな」
夏候惇「あんたには倚天剣があるでしょう!」
曹操「そういう問題ではない。それよりも男でも探したらどうだ?」
夏候惇「男? 引く手数多の私に向かってなに言ってるの?」
曹操「引く手数多か……本人がそう思っているのならそれはそれで幸せなのか」
夏候惇「昔っからその自己解決する癖は治らないわね孟徳」
七星剣と倚天剣は中華の宝剣である。
倚天剣がどうやって作られたのかは不明であるが岩をも切り裂く剣を曹操は愛剣として腰に据える。
七星剣は剣の刀身に北斗七星が刻まれた伝説の剣である。死神が所有していたと言われるその剣は、過去に曹操が董卓の暗殺を試みたが事前に魂胆が知られるが機転を利かし董卓に献上し難を逃れた。
数日後、曹操の元に曹仁の敗北の報が届くことになる。
楽進が許昌を出発してから七日が経過した。
賈ク「遅い……いくらなんでも楽進殿の戻りが遅すぎる」
荷を取り返しに向かった楽進の戻りが遅いことに賈クは動揺する。
賈ク「何かしらの報告があってもおかしくないのに……止むをえないか……」
賈クは兵舎に向かった。
賈ク「鄧艾いるか」
賈クは弟子達の暮らす一室を訪れる。
鄧艾「お師匠様。顔色が優れませんがどうかなさいましたか?」
賈ク「頼みがある。荷を取り返しに向かった楽進殿が戻って来ない。何かあったのかもしれん。すまないが行ってくれるか」
鄧艾「分かりました。兵はどれほどお貸ししてくれますか?」
賈ク「いや兵を率いるのにはまだ早い」
鄧艾「お師匠様。楽進殿程の方の行方が分からないのです。相応の用意が必要です」
賈ク「ここで楽進殿に何かあっては遅いか……仕方があるまい。兵を率いても構わない」
鄧艾「ありがとうございます。では早速ですが俺だけで……」
鍾会「お師匠様。楽しそうな任務を鄧艾だけに任せるなんて酷くありません?」
カク昭「ほんとだよ! それに鄧艾! 今、俺だけって言ったよね!」
鍾会とカク昭が部屋の扉に寄りかかり賈クと鄧艾に文句を言う。
賈ク「これは鄧艾が適任だからであってお前達二人をのけ者にしたわけではない。それに鍾会。緊急事態の任務を楽しそうだとか言うものではない」
鍾会「それは失礼しました。しかし聞いてしまった以上は参加させていただきます」
鍾会は賈クに強い口調で言った。
鄧艾「お師匠様。鍾会とカク昭に聞かれてしまっては連れて行かないと後々面倒です」
カク昭「僕。面倒って言い方されるの嫌いだなー」
賈ク「やれやれ……仕方あるまい」
鄧艾「それとお願いがございます。今回の任務を成功させたあかつきには曹操様へのお目通りを約束して下さい」
賈ク「何だと……それは……」
鄧艾「曹操様が天下を治めるのは時間の問題です。今までお師匠様の下で学んだ全てを持って一役買いたい。それは俺達三人の望みです」
賈ク「いいだろう。ただし楽進殿を無事に連れて帰り荷を全て取り返すことを条件とする」
鄧艾「ありがとうございます」
カク昭「やったね! これで地味な勉強も終わりだ!」
鍾会「まったく。鄧艾ったら上手く話を持っていったわね」
賈クの弟子である三人は手を叩き喜ぶ。
鄧艾達は兵を率い楽進の捜索に向かった。鄧艾達の波乱の幕開けが始まる。




