呉編 暗転の始まり
呉編 暗転の始まり
合肥の激戦は曹操軍本体の登場により形上、引き分けになった。だが、圧倒的に有利な戦況から呉軍の敗北だと孫権は考えていた。
陸遜は合肥の半数の兵を建業に戻し残りの半分を江陵に向かわせた。江陵を取らねば赤壁の戦いの戦果は大勝に見合わないものとなる。それだけは避けなければならないと考えていた。
江陵では越族討伐から呂蒙が着任していたが色々と困ったことになっていた。
韓当「ふぉるふぉるーー!」
黄蓋「ふぉるふぉるーー!」
韓当と黄蓋は陣中で人目をはばからず大泣きしていた。
呂蒙「黄蓋殿、韓当殿、周瑜様が亡くなっことは悲劇ですが、そろそろ泣き止んで頂かないと……」
呂蒙が老臣にお伺いを立てる。
黄蓋「ふぉるーー!」
呂蒙「ああーっ! 分かりました! 分かりましたよ!」
半裸の老将は吠え、呂蒙は引き下がる。
呂蒙「はぁー。気持ちは分かるんだけど……このままだと江陵を落とせないよ……」
呂蒙は軽く泣きたくなった。
陸遜「お姉様!」
呂蒙「伯言! よく来てくれた!」
江陵に到着した陸遜を見て呂蒙は一気に疲れが吹き飛ぶような感覚を覚えた。
陸遜「あっ黄蓋殿と韓当殿が……何となく察しがつきます。お姉様、大変でしたね」
呂蒙「大きな子どもをあやすのは想像以上に疲れる……」
陸遜「凌統さんと周泰さんと朱桓さんの四人で参りました。あちらで作戦を練りましょう」
呂蒙「そうだな。黄蓋殿達は少し放って置こうか……後、合肥の件を聞かせてくれ」
呂蒙は凌統達の元へ向かった。
朱桓「呂蒙さーん!」
呂蒙「朱桓。合肥は大変だったね」
朱桓「そーなんですよ! 張遼が怖くて! 軍内でも『泣く子も黙る張遼』なんて噂が広まって」
呂蒙「ははっ! こちらの大きな子どもも黙らせて欲しいな」
凌統「呂蒙。久しいね」
呂蒙「うん、凌統も元気そうで」
周泰「呂蒙、知ってるか? 凌統が呂蒙がいなくて寂しいって露骨に言うもんだから甘寧と蒋欽の二人相手に揉めたんだぞ」
凌統「周泰。誤解を生じる言い方はよせよ」
周泰「本当のことだからいいじゃん」
呂蒙「そうなのか? 凌統?」
凌統「俺はまとめ役がいないことに不安を感じただけだ。別に呂蒙じゃなくても周瑜様か陸遜でも良かったんだ」
呂蒙「そう言う言い方されると寂しいなー」
凌統「言い方を変えるよ。呂蒙の魅力的なお尻が見れなくて寂しかったんだ」
呂蒙「はははっ! 凌統ありがとさん!」
凌統は呂蒙の性格を理解して敢えておちゃらける。
朱桓「そういえば……男性陣は凌統さんだけですね……」
凌統「ん? 黄蓋殿と韓当殿もいるだろう?」
朱桓「あのお二方は数に入りません」
凌統「お前……さらっと凄いこと言うな……」
朱桓の言葉に凌統は冷ややかに言った。
周泰「ああー。これは起きるね」
陸遜「起きるって何がですか?」
周泰「事件さ」
陸遜「事件……ですか?」
周泰「今の凌統には酒池肉林の環境が整っているからね」
凌統「周泰。俺がお前たちを襲って何の得があるんだ。俺はもっと可愛い子がいい」
周泰「何だよ! 私達だって可愛いじゃないか!」
凌統「自分で言うなよ! 俺は守ってあげたい派なの! お前ら十分強いだろ!」
呂蒙「強い女だって悪くないと思うよ。凌統、何なら試してみる?」
凌統「ふっふざけるなよ呂蒙!」
陸遜「お姉様……試すって一体何をですか? ん? 朱桓さん顔が赤いですが、どうしたんですか?」
朱桓「えっ? いや、その……何でもありません……陸遜さん……天然ですか……それとも本当に分からないんですか?」
周泰「そっかそっか。陸遜には、まだこの手の会話は早すぎたかー」
凌統「俺はそういうこと言わない子がいい。陸遜、お前はまっすぐ育ってくれよ」
陸遜「?」
陸遜は首をかしげた。
呂蒙「さて。凌統をからかうのはここまでだ」
凌統「からかうって……」
周泰「ここに甘寧がいないのが運の尽きだね」
凌統「はぁ。甘寧の気持ちが少し分かった気がするよ」
陸遜「お姉様。江陵は落とせそうですか?」
呂蒙「ああっ。江陵には援軍が来ていない。もう物資も底をつくだろう。本来なら伯言が到着する前に落としている予定だったんだが」
陸遜「黄蓋殿と韓当殿があれでは……」
呂蒙「うん。大変だったよ。しかし今は違う! 皆が来てくれたのであれば、江陵も落とせる」
朱桓「私、頑張ります!」
呂蒙「期待してるよ朱桓」
周泰「具体的にどうするんだ?」
呂蒙「中央に私と黄蓋殿と韓当殿の主力部隊、左翼を凌統と朱桓、右翼に周泰と陸遜の三方向から攻めよう」
朱桓「そうすると曹操軍に逃げられませんか?」
陸遜「敢えて退路を残すのですね。目的は曹操軍殲滅ではなく江陵陥落ですから」
呂蒙「そうだ。気になることと言えば江陵に優秀な軍師がいるようだ」
陸遜「優秀な軍師?」
呂蒙「敵将・曹仁だけでは江陵は守り切れない。誰か分からないが、必ずいる筈だ……だから……」
凌統「だから?」
陸遜「ただでは撤退しない筈……」
呂蒙「その通り。勝てる戦いだが油断は出来ない。気を引き締めて行こう」
江陵戦は呉軍の三方向から攻める形になった。周瑜のおかげで江陵はかなり傷んでおり曹操軍は守りに徹することは出来ない状況だった。攻城戦において包囲は絶対条件だが呂蒙は敵の退路を断たないことに固執した。周瑜の手を煩わせた曹操軍との戦いは陽が傾く頃、曹操軍は一斉に撤退を始めた。
曹操軍の撤退を眺める呂蒙達は呆気に取られていた。
呂蒙「曹操軍が撤退していく……どうして……徹底抗戦の姿勢だった割には拍子抜けだ……」
凌統「的が外れたな。敵の軍師は何もして来なかった」
朱桓「呂蒙さんの考え過ぎだったんですかね」
呂蒙「何だろう。この気持ち悪い感覚は……」
周泰「おーい、呂蒙! 敵の軍師の名前が分かったぞ!」
周泰が叫び向かって来る。
呂蒙「誰なんだい?」
周泰「司馬懿って奴みたいだね。後は分かんね」
呂蒙「司馬懿? 聞いたことない名前だな……無名とは言え恐ろしい軍師かもしれないな……」
周瑜を相手に江陵を守りきった司馬懿の存在を呂蒙は警戒した。
陸遜「お姉様……大丈夫ですか?」
呂蒙「あっああ。無事に江陵を落としたし、孫権様に報告をしないとね」
呉軍兵士「報告します! 定軍山にて劉備軍と曹操軍との戦い! 曹操軍の夏侯淵が討ち死にし劉備軍は漢中を手に入れた模様!」
劉備軍の動向の報が届く。
「!」
兵の報告に呂蒙と陸遜は驚く。
周泰「へー、やるじゃん。劉備軍」
朱桓「周泰さん……軽いですね」
周泰「だって、他の国のことなんて興味無いし」
凌統「呂蒙、陸遜? 顔が青いぞ? 大丈夫か?」
青ざめた呂蒙と陸遜に凌統は声をかける。
呂蒙「曹操軍が何もしないで撤退した理由はこれか……何もしなかったんじゃない! 何かをしている暇がなくなったんだ!」
陸遜「南荊州、益州、漢中……劉備軍はもう完全な国……曹操軍は劉備軍に喉元に刃を突き付けられた……撤退するわけです」
凌統「おいおい、どうしたんだ?」
呂蒙「呉を上回る国が現れた……こんな短期間で……」
陸遜「均衡した力関係が崩れます」
呂蒙「今は江陵の修復を急ごう。ここはもう前線基地になる」
呂蒙は江陵の復旧工事を急がせた。
江陵陥落からひと月が経過した頃。建業の孫権の元で事件は起きる。
呉軍兵士「孫権様。曹操軍より同盟の使者が参っております」
孫権「曹操軍から同盟の使者だと? いいだろう会ってやろう」
孫権は曹操軍の使者に会うことをとても喜んだ。退屈しのぎになると思ったからだ。
司馬懿「初めてお目にかかります。曹操軍の軍師を務めております。司馬懿と申します」
孫権「遠路はるばる同盟の申し出はありがたいが、曹操軍と呉軍の溝は深い……どう同盟を成すつもりだ?」
司馬懿「はい。今の中華は大きく分けて曹操軍と呉軍、そして劉備軍の三国です。特に劉備軍の勢いは目を見張るものがあります。それは曹操軍と呉軍にとっても脅威の存在になっております。ここで曹操軍と呉軍が同盟を成し、劉備軍を抑えることは互いの利に適っております」
孫権「ふむ。司馬懿殿、話を続けてくれ」
劉備軍は周瑜の仇と考える孫権にはとても魅力的な話に聞こえていた。
司馬懿「はい。劉備軍は赤壁の戦いの後。呉軍にとって不義理な行為を致しました。南荊州は我らにとっても憎い存在であります」
孫権「そうだ! 劉備軍は確かに憎い! しかし、劉備軍と呉軍が戦えば……笑うのは曹操軍のみとなる! それはそれで許せぬ!」
司馬懿「劉備軍と呉軍が戦うのではありません。曹操軍も劉備軍と戦います」
孫権「荊州には、あの関羽がいる。あの軍神関羽が……」
司馬懿「孫権様のおっしゃる通り、守りに入った関羽を打ち破るのは不可能に近いでしょう。しかし関羽のいない南荊州を奪うのは簡単な筈です」
孫権「どういう意味だ」
司馬懿「そのままの意味でございます。関羽は呉軍が曹操軍と同盟を結ぶことなど考えてもいないでしょう」
司馬懿「我らの前線、樊城の防備を薄くし関羽を誘き出します。その隙に南荊州を呉軍に攻めて頂きたいのです」
孫権「それでは曹操軍は、領土を得ることが出来ないのではないか?」
司馬懿「そこで関羽を討ち、呉軍が南荊州を獲った暁に江陵を返して頂きたいのです」
孫権「南荊州四郡と江陵一つ。条件としては悪くはない」
孫権は頭の中で計算する。
孫権「司馬懿殿。ずるいことをお聞きするが呉軍が南荊州を獲っても江陵を返さないことは危惧しないのか?」
司馬懿「勿論考えました。しかし今日、孫権様とお会いし約束を守って頂ける方だと確信致しました」
司馬懿は笑顔を孫権に向ける。
孫権「ほっほう! 司馬懿殿いいだろう! 曹操軍との同盟を受け入れようではないか!」
孫権は自分の器を褒められたと思い気分をよくする。
司馬懿「ありがとうございます。では、私はこれで失礼いたします」
孫権「帰るのはまだ早い。せっかくの同盟が成ったのだ一席設けよう」
司馬懿「分かりました。ありがたく」
孫権「誰か司馬懿殿の為に酒宴の準備を」
孫権の指示で兵が司馬懿を酒宴の場まで案内する。
孫権「于吉。聞いていたであろう」
孫権の後ろから于吉が現れる。
于吉「孫権様。曹操軍との同盟。ご英断と思います」
孫権「おおっ! やはり于吉もそう思うか? 劉備軍だけに美味しい思いをさせてたまるかと思ってな」
于吉「はい。流石でございます」
孫権「ははは! 于吉の様な賢者にそう言われるとなると、朕も中々捨てたものではないな」
于吉「孫権様は仁君にて誠に素晴らしいお方です。この于吉、孫権様の元で呉の民が平和に暮らせれば本望でございます」
孫権「よし。関羽が曹操軍の誘いに乗った後、江陵の前線部隊に南荊州の奪還をさせようではないか」
于吉「はい。それがようございます。此度の作戦にもしものことがあってはなりません。ここ建業の部隊も向かわせると良いでしょう」
孫権「なるほど。そうしよう」
于吉「まずは司馬懿殿をもてなすのがよろしいでしょう。呉の武将達も同席させ呉が屈強な者の集まりであることを知らしめるのです」
孫権「甘寧を同席させるかな! 司馬懿殿を怖がらせてしまうかも知れんな! ははははは!」
孫権は笑う。
こうして司馬懿は孫権からもてなしを受け本拠地に戻って行った。




