知略対決 上
知略対決 上
陳倉の敗北は直ぐに司馬懿の元に届いていた。陳倉は蜀軍を防ぐ為の重要な拠点で司馬懿はこれ以上、領土を奪われてなるものかと言わんばかりの軍勢で成都に向けて動き出していた。
司馬懿「いよいよ諸葛亮との戦いです」
満寵「司馬懿殿。諸葛亮相手に随分落ち着いていますね」
司馬懿「街亭での人選を考えれば諸葛亮の知が噂程ではないことが分かります。今までの相手が間抜けだったと言うことでしょう」
満寵「そんな風に考えていると足元をすくわれるよ」
司馬懿「満寵殿。まずは私の采配をご覧になって下さい」
満寵「そうさせてもらうわ。カク昭の二の前にならないといいですけど」
司馬懿「カク昭……私の指示に背き撤退した愚かな後輩……あの馬鹿の尻ぬぐいをさせられると思うとやり切れませんが後輩の仇討ちも悪くはありません」
満寵「怖い先輩だこと」
司馬懿「ふふふっ。凡戦こそ至高であり凡戦こそ戦の常。完全な物量を前に奇策など飲み干してしまいましょう」
司馬懿は不敵に笑う。
姜維「先生、相手は司馬懿です。どう戦いますか?」
諸葛亮「姜維はどう考えますか?」
蜀軍の陣営にて姜維は孔明に迫る司馬懿とどう戦うのかを問う。
姜維「戦力差を考えると奇策でしかないと考えますが……」
諸葛亮「そうですね、司馬懿は軍師としては良いものを持っている様です。まぁ私から言わせて貰えば馬謖に少し色を付けた程度です」
諸葛亮「恐らくは凡戦に持ち込んで来るでしょう」
姜維「凡戦に?」
諸葛亮「奇策と言うのは圧倒的戦力差の相手の心の隙を突くものです」
諸葛亮「しかし、司馬懿には通じない……」
姜維「では正面からぶつかると?」
諸葛亮「姜維。これまで劉備軍は多くの猛将を失って来ましたが、残った武将はいずれも凡将に非ず。ですが魏から見れば疲弊した軍にしか見えないでしょう。しかし、司馬懿を負かすには十分な戦力です」
姜維「すみません。先生の考えにまだ追い着きません」
諸葛亮「ふふふっ。直ぐに分かりますよ。何でも答えを教えても為になりません。自分で考えることも大事なことですよ姜維」
姜維「僕なりに考えさせて頂きます」
孟獲「うぃー。魏延ちゃんも一杯どうだ?」
魏延「ふふっ。魏延ちゃんって呼んで貰って嬉しいです」
孟獲は酒を飲んでいた。
孟獲「そうかい? 何ならみんなに『ちゃん』付けさせようか?」
魏延「ありがとうございます孟獲さん。お気持ちは嬉しいのですが流石にみなさんにまでは……」
魏延はやんわりと断る。
姜維「はぁ。僕は先生にはまだまだ遠く及ばないのかなー」
姜維はため息をつく。
孟獲「おーい! 姜維! どうしたー! 暗い顔して」
姜維「あっ孟獲さん、魏延さん……」
魏延「どうしたんですか?」
姜維「いや、先生の考えていることが分からなくて……」
孟獲「おいおい姜維。そりゃ無理だって! 女心は誰にも分からんぞー?」
姜維「孟獲さん、ちょっと意味が……」
魏延「孔明軍師は頭が良いからー」
姜維「うん、そうだね」
孟獲「いいかー姜維。分からんものは分からんぞ! そんなことで悩むなら一杯飲んで忘れてしまえー!」
姜維「そうですね。そう出来れば良いのですが……」
魏延「孟獲さんの言う通りですよー。気分転換に一杯どうぞ」
姜維「じゃあ。一杯だけ……んっんっ? ブーーーーー!」
姜維は盛大に口に含んだ酒を吹き出す。
孟獲「あぁあああああ! もったいねーー!」
姜維「何ですか! これは!」
孟獲「はぁあ!? お前、まさか……酒を飲んだことないのか!?」
姜維「初めて飲みました。まさかこんな味だったとは……」
孟獲「かぁあああああ! 姜維! お前は人生損してる! まずは色んなことを試してみないと駄目だー! 良いものは良い! 悪いものは悪い! それでいいじゃーねーか! そうすれば色んなことに対して考えが変わるってもんよ」
魏延「孟獲さん何か凄いですーー!」
孟獲「おうよ!」
姜維「考えが変わる……そうか……そう言うことだったんだ!」
孟獲「どうした?」
姜維「形に捉われるのは自分だけじゃないんです! 敵も然りで思考の変化の先に勝利の鍵があったんですよ! 孟獲さん! ありがとうございます! 僕はこれで失礼します!」
姜維は孔明の元に走る。
孟獲「おっおう……姜維! また一緒に飲もうや! 今度は女の選び方を教えてやるよー!」
魏延「孟獲さん……姜維さんに教える前に、まず私に男の選び方を教えて下さい」
魏延の表情はいつになく真剣だ。
姜維は孔明の元に訪れる。
姜維「先生。よろしいでしょうか」
諸葛亮「その顔を見るところ答えを見出したようですね。では答え合わせです。聞かせて下さい」
姜維「司馬懿は凡戦という形を維持したいはずです。ならばこちらは敢えて奇襲・陽動・計略にて司馬懿の想定するであろう戦いを展開します」
諸葛亮「続けて下さい」
姜維「凡戦は言わば甲羅に閉じ篭る亀のようなものです。こちらの策が尽きたと思わせ司馬懿に思考の変化を与える一手を打ちます」
諸葛亮「ほう。その一手とは何ですか?」
姜維「撤退です」
諸葛亮「ご名答です。よくぞここまで育ってくれましたね姜維。師として大変嬉しく思います。撤退を機に司馬懿は必ず追撃します。凡戦で戦える地形など実はそれほど多くはありません。天候、地形、将兵の能力。戦は生き物です。司馬懿ははたして自分の描く展開を崩した時に望み通りに戦を進めることが出来るでしょうか?」
孔明は姜維に問うも話を続ける。
諸葛亮「不可能です。それは司馬懿に限られたことではありません。私も含め完璧に展開を読むことなど出来ないのですから。蜀軍の武将達はそれぞれ己の意志と考えで戦うことが出来ます。連携がとれた軍は強い。確かにそうでしょう。ですが連携がないからこそ先を読み切ることが困難となる。それこそが私たちの強みです。まぁみんなには一応の方向性だけは伝えておきますが」
姜維「はい。僕たちが魏軍に唯一勝るのは恐らく個性だと思います。僕は普通ですが」
諸葛亮「私も普通です!」
姜維「先生は違うと思いますけど……」
諸葛亮「どういう意味ですか……」
姜維「何と言うか……みんなの襟を正させる空気と言うか……締まりがいいと言うか……」
諸葛亮「師に向かって締りがいいだなんて……何てことを言うのですかあなたは……」
姜維「え?」
諸葛亮「え? ああ!? そっちの意味ですね! もうあなたが変なこと言うから話が逸れました……」
姜維「変なことなんて言ったかな……」
諸葛亮「とっとにかく! みんながどんな風に戦うか楽しみです。ですが決定打は私が用意します。最後は任せて下さい」
姜維「先生がですか!?」
諸葛亮「ええ。司馬懿だけはここで何とか仕留めておきたいので相応の舞台を用意しようと思います。まぁ……上手くいけばの話ですが」
姜維「先生ならきっと大丈夫ですよ!」
諸葛亮「頼みますよ。では主要な武将を呼んで来て下さい。これより軍議を開きます」
姜維「分かりました!」
司馬懿「全軍ここで待機。この場でにて蜀軍を迎え討ちます」
司馬懿は広い草原に布陣した。
満寵「ふーん。こんな所でいいの? なーんにもないけど」
司馬懿「蜀軍は北上しているのですから、私達はその足を止めすればよいだけのこと。わざわざ山岳地帯に入り危険を侵すことはありません」
満寵「少数で回り込まれるんじゃない?」
司馬懿「大いに結構です。長安を少数の部隊で落とせるのならやって見てほしいものです。蜀軍との線引きをし、ここから先へは進ませない。こちらの意志表示を示すことが最も大事なことです」
満寵「なるほどね。諦めさせるのが目的ってわけなのね」
魏軍兵士「司馬懿様! 蜀軍が迫っております! 先鋒は趙雲のようです!」
司馬懿「趙雲ですか……私に対し主力を出し惜しみしないことに関しては良い判断です。槍兵を前面に出し守りに徹してください」
魏軍兵士「はっ!」
蜀軍と魏軍との戦いが始まる。魏軍の大軍の前に蜀軍からの先方が襲い掛かる。
趙雲は騎馬隊を率い堅い魏軍の守りを突破するのではなく削るように馬を駆ける。
司馬懿「趙雲が来たということは次は奇襲でも仕掛けてくるのかしら……となると右翼の指揮が心配ですね」
満寵「私が行こうか? 左翼は徐晃がいるし」
司馬懿「お願いしてもよろしいですか。西から誰かしらの奇襲があるはずです」
満寵は右翼の指揮に向かう。
趙雲の先方部隊から少し後ろで孔明と姜維は戦況を眺める。
諸葛亮「姜維。そろそろ馬岱の奇襲が始まりますね」
姜維「相手に読まれていても奇襲になるんですか?」
諸葛亮「それもそうですね。では何と言いましょうか? 奇襲もどき?」
姜維「もどきですか……どうせなら凡襲、何てどうですか?」
諸葛亮「凡襲ですか。上手いこと表現しましたね姜維」
蜀軍兵士「報告します! 馬岱様の奇襲が魏軍に迎撃され撤退したとのことです!」
魏軍の右翼に凡襲を仕掛けた馬岱が失敗したことが知らさせる。
諸葛亮「あら。もう始まっていたのですか? 引き上げるのが早いですね」
蜀軍兵士「満寵の率いる弓隊に近づくことさえ出来なかったようです」
姜維「なるほど。相性が悪いですね……」
諸葛亮「となると。そろそろ私たちも行きましょうか姜維」
姜維「はい!」
孔明と姜維は少数の兵を率い魏軍に向かう。
魏軍兵士「司馬懿様! 満寵様からの報告です! 敵の奇襲の迎撃に成功、そのまま右翼の指揮を執るとのことです!」
司馬懿「分かりました。満寵殿にはそのまま右翼を任せます。前衛の戦況はどうなっていますか」
魏軍兵士「趙雲を討ち取ることは困難なようですが守りに徹している為、被害も少ない状況です……が」
司馬懿「が? 何かありましたか?」
魏軍兵士「趙雲の後方から諸葛亮らしき人物が少数の部隊を伴って現れたと報告がありましたが定かではありません」
司馬懿「はぁ……どうしてそういうことを一番最初に言わないのですか」
司馬懿は呆れた。
司馬懿「申し訳ありません。不透明な報告は混乱を招くと司馬懿様がいつもおっしゃっておりましたので……」
司馬懿「そっそうです! その通りです! ですが小耳に入れる程度でも欲しい情報もあります。次からは些細なことも一応報告して下さい」
魏軍兵士「分かりました」
司馬懿「諸葛亮らしき人物が少数の部隊で……まさか本人がそんな危険な真似をするとは考え難い……」
魏軍兵士「司馬懿様! 東から火の手が上がっております!」
司馬懿「東から?」
蜀軍は南西を位置し魏軍は北東を掌握していた。司馬懿は東からの火の手に蜀軍の火計が始まったことに驚いた。敵が自分達の背後に回った可能性があるからだ。
司馬懿「なるほど……諸葛亮らしき人物は陽動で火計が本命ですか。どうやら上手く連携が取れていないようです。全くなっていませんね」
魏軍兵士「司馬懿様。いかがなさいましょう」
司馬懿「火計は失敗に終わります。そのままにしておきなさい。それよりまだ諸葛亮らしき人物はまだいますか?」
魏軍兵士「撤退したという報告はまだ来ておりません」
司馬懿「これより全軍でゆっくりと前進します。至高の戦いの始まりです」
魏軍兵士「はっ」
司馬懿は蜀軍の火計が失敗に終わることを分かっていた。それは火計を警戒して少し軍全体を前に出し安全な位置まで移動することで回避できる程、おそまつな場所から発生したからだ。司馬懿は同時に少しでも諸葛亮らしき人物に近づき討ち取りたかった……もしかしたら諸葛亮、本人がそこにいる可能性があるからだ。ゆっくりと前進する魏軍に姜維と孔明の口元は緩む。
孔明と姜維は司馬懿の動向を眺める。
諸葛亮「ふふふ。相手の思考が読めるとは面白いものですね」
姜維「ええ。司馬懿は先生を狙っているのでしょうが悟られないようにゆっくりと進んで来ますね。ばればれなのに」
諸葛亮「きっと退屈なのでしょう。戦闘という戦闘は前衛の趙雲殿だけで奇襲は簡単に破るは、陽動は直ぐに見破れ、火計は全く意味のない所で始まった」
姜維「そして先生が目の前に現れた……先生、そろそろ向かって下さい。後は僕が」
諸葛亮「ではお願いします。ここからが本番です。気を付けて下さいね」
姜維「はい」
姜維は銅鑼を一回鳴らす。趙雲が引き揚げ向かってくる。
趙雲「姜維。孔明軍師はもう始めるのか?」
姜維「はい。趙雲さんが引き揚げたことでみんなそれぞれの考えで戦うでしょうから僕達も行きましょう」
趙雲「自分はこのままでもいいんだが……手加減して戦うのは中々疲れる。まぁ、作戦の為だ仕方あるまい」
姜維「僕は敵の様子を伺いながら撤退しますので」
姜維と趙雲は山中に入る。
魏軍兵士「司馬懿様。蜀軍が撤退して行きます!」
司馬懿「成す術がなくなったのでしょう。逃げる時の判断でけ間違っていませんね。これより右翼と左翼の両軍を散開させ蜀軍の散策と撃破に向かわせ私の率いる中央主軍は漢中に向けて前進します!」
魏軍兵士「はっ!」
魏軍は大軍の半数を蜀軍の残党に充て漢中を目指す。司馬懿に思考の変化が訪れた……当初の目的は蜀軍の進軍を阻むことであったが、それはいつしか漢中攻略に切換えられていた。
姜維「先生の言った通りだ……ここからは広域戦が始まるな……」
蜀軍兵士「姜維様。魏軍の主軍が山岳地帯に入りました」
姜維「うん。手はず通りに要所で狼煙を上げて下さい」
蜀軍兵士「はっ!」
姜維は山岳地帯に多くの場所に狼煙を上げさせた。それは魏軍に蜀軍がそこにいると思わせる為である。山岳地帯に入った魏軍の左翼と右翼はその狼煙に向けて軍を小分けにし進んでいった。至る所で戦いが始まったことを知らせるように咆哮が聞こえる。趙雲、馬岱、孟獲、魏延がそれぞれ魏軍と戦っている。
山岳からこだまする戦いの音は司馬懿の耳にはいる。
山岳地帯の戦いの音は司馬懿の耳にも聞こえていた。
司馬懿「どうやら我が軍が蜀軍残党を捉えたようですね」
魏軍兵士「はい! 各軍、既に戦闘状態で連携が取れる状態ではありません」
司馬懿「連携は必要ありません。主軍が無傷である以上、味方の犠牲など些細なことです。この戦いは勝ち戦……本来なら左翼だけでも蜀軍全数に匹敵する軍容です」
魏軍兵士「はぁ……」
司馬懿「それより随分と進軍が遅いようです。もう少し早めましょう」
魏軍兵士「はっ!」
司馬懿は急ぎ漢中を目指す。それは山の気候は非常に変わりやすい為であった。司馬懿の予感は当たり小雨程度の雨が降ってくる。
司馬懿「雨ですか……天はどうやら私に味方してくれているようですね」
魏軍兵士「雨がですか?」
司馬懿「山岳地帯で最も警戒すべきは火計です。雨が降れば火計を使うことは出来ませんからね」
魏軍兵士「そういうことでしたか」
司馬懿「あなた達は少し勉強する必要があるようですね」
魏軍兵士「申し訳ありません!」
司馬懿「まったく……で? 漢中まではどれくらいで到着しますか?」
魏軍兵士「まだまだ先は長く休息を取らねばならないかと」
司馬懿「ふむ……どこか大軍を休めるに適した場所はありますか?」
魏軍兵士「少し外れますが大安という開けた場所があります」
司馬懿「分かりました。そこで左軍と右軍の到着を待ちましょう」
司馬懿は大安で別れた軍と合流し漢中に向けて進むことにした。大安に到着した司馬懿は軍を休める。大安は絶壁の崖に囲まれた土地で言わば死地であるが雨で火計の恐れがないことと大軍を率いることから安全と判断した。




