定軍山の戦い 下
定軍山の戦い 下
診療所に魏延が訪れる。
魏延「姜維さん」
姜維「魏延さん。先ほどの戦いでは無理をさせてしまいましたね」
魏延「いいえ。みなさんと一緒に戦えただけでも嬉しいので……」
魏延は下を向き姜維に答える。何か言いたそうな魏延に姜維は気づく。
魏延「あのー。黄ちゃんのことなんですけど……」
姜維「黄忠さんがどうかしましたか?」
魏延「夏侯淵を討った時から様子がおかしくて……」
姜維「ふむ……どうしたんだろう。少し様子を見て来ますね」
魏延「お願いします」
姜維は黄忠を探しに向かう。
姜維「黄忠さん。こんなところにいたんですか……」
黄忠「姜維殿……」
黄忠は丘の上に一人で座っていた。皆が勝利を喜び分かち合っている時にどうしてこんな場所に一人でいるんだと姜維は思った。
姜維「魏延さんが黄忠さんの様子がおかしいと心配していました」
黄忠「魏延が……そうですか」
姜維「何か……あったんですね?」
姜維は黄忠に率直に聞く。
黄忠「以前……兄の話をしたことがありましたよね……」
姜維「はい。消息を絶ったと聞いていますが」
黄忠「生きていたんです……」
姜維「本当ですか!」
黄忠「はい……敵将・夏侯淵として……」
姜維「なっ……!」
姜維は黄忠の話に驚く。
黄忠「こんな形で再会しこんな形で兄上を失うなんて……!」
黄忠は下を向き両手で顔を覆う。
姜維「黄忠さん……」
黄忠「おやっさんが亡くなった時に落ち着いていられたのは私は父を亡くしたことによって親しい人の死に免疫があったのだと思います」
黄忠の口調は穏やかだ。
黄忠「でも! こんなことってあるんですか! どうして! どうして……!」
黄忠の中で何かが噴き出す。姜維の胸を叩きやり切れない思いをぶつける。
姜維「黄忠さん……劉備軍は黄忠さんの新しい家族の様なものです。早く戦争を終わらせ平穏な世を築くことが僕たちの役割だと思います」
黄忠「…………」
黄忠は姜維のまるで定型文のような言葉に黙る。
黄忠「姜維殿。そうですよね……それが役割ですよね……羨ましい……役割という便利な言葉で何でも納得出来るあなたが」
姜維「!」
姜維は黄忠の言葉に自分があまりにも心無い答えを出したか悟る。
黄忠「姜維殿ありがとう。少し落ち着きました。戻ります」
黄忠は姜維に言い城へ戻る。
姜維「何て言えば良かったんだ……まただ……僕は……」
姜維は自分には何かが足りないのではと考える。
姜維「分からない……おやっさんが生きてくれていれば人としてもっと何か大事なことを僕に教えてくれたんじゃないだろうか……」
この時、姜維は軍師を務める者として『割り切る』癖が付いていた。それは孔明を師とした時から徹底的に仕込まれたことでもあった。
黄皓達は益州の山奥まで足を運んでいた。街道から大きく外れており人がほとんど踏み入る場所ではない。
黄皓「では華佗殿は曹操軍の軍医なのですか?」
華佗「いえ、曹操軍の軍医と言う訳ではありません。医者として、人助けをするのに相手を選ぶつもりはありません」
黄皓「御立派でございますなー」
華佗「いえいえ、それ程でもありませんよ」
黄皓「ところでこの土地には何かあるのですか?」
華佗「どうしても欲しい薬草が生えておりますので」
黄皓「薬草?」
華佗「そうです。『ジャガナ』と言う薬草です」
黄皓「『ジャガナ』? 聞いたことありませんね」
華佗「その昔、殷の時代に太公望が精を付ける為に良く食したとされる薬草です」
黄皓「ほー。あの太公望が……」
華佗「伝説によれば邪悪な存在は人の精気を喰らう為、太公望は精を付ける必要があったとされています」
黄皓「いやー面白い話ですなー。ありがとうございます」
華佗「只のおとぎ話です。しかし、貴重な薬草には違いありません」
黄皓「『ジャガナ』はここでしか採れないのですか?」
華佗「そんなこともありません。他の場所でも採れるのですが時期が限られています。何故か益州の山奥では常に生えているのです」
黄皓「そうですか。このことは皆知っているのですか?」
華佗「いえ。私だけです。まぁ場所場所だけに頻繁に採りに来る訳ではありませんが」
黄皓(何ということだ……薬草を一人占めにすれば財が築ける。今は乱世だ。薬草は飛ぶように売れるだろう)
黄皓は頭の中で銭勘定をする。
華佗「あそこの崖の淵です」
黄皓「おお! これが『ジャガナ』ですか」
華佗が指さす崖の淵に場所に深い緑の薬草がある。
華佗「気を付けて下さいね。崖から落ちたら助かりません」
華佗と黄皓は崖の淵にあるジャガナを採る。
華佗「あまり多く採りすぎないようにして下さい。生えなくなってしまっては意味がありません」
黄皓「そうですな。あれ? 華佗殿。崖の向こうにあるのは何でしょうか?」
華佗「崖の向こう?」
華佗は崖の奥に目えを向ける。
黄皓「今だ!」
黄皓は華佗を崖に向けて突き飛ばす。
華佗「うわぁああああ」
華佗は崖の底に落ちる。ドスンと小さく聞こえた音は華佗が息絶えたことを黄皓に知らせた。
黄皓「華佗殿、この黄皓。あなたに教えて頂いたこの御恩は忘れませんぞ……さて、これで一儲けするか。金さえあればいくらでも人は付いてくる」
黄皓はジャガナを集め成都に向かう。
その頃、漢中ではそれぞれが自由な行動をしていた。
漢中の兵舎では馬謖と魏延が何や言い合っていた。
馬謖「魏延何度言ったら分かるんだ。敵がこう動いたら魏延はこういう風に動いてくれないと困るんだ」
魏延「そうなんですか? でも私は近い敵と戦った方がいいです」
馬謖「少しは言うことをちゃんと聞いてくれよ。魏延の行動が読めないとせっかくの私の美しい戦略が……」
馬謖は魏延に戦いの指南をするが理解してもらえず頭を抱える。
魏延「えー。でもこんなに色々言ってくるの馬謖さんだけですよ。姜維さんは私にいつも自由に戦っていいって言ってくれます」
馬謖「そうなのか? 姜維がそんなことを言っているのか……まったく……」
魏延「そうですよ。馬謖さんは頭が固いんじゃないですか?」
馬謖「あのな魏延。先に言っておくが姜維は軍略と言うものを分かっていない。だから指示が出せないだけなんだ」
魏延「えー? そうなんですかー?」
魏延は馬謖の言葉を適当に流しながらお腹が空いて今日の献立を考える。
張飛「ねーねー馬超って強いんだってね! 私も強いよー! どっちが強いか勝負しよーよー」
城門で張飛が馬超に喧嘩を売る。
馬超「いやそれほどでも。それより子龍……趙雲の武勇は素晴らしいものだな」
張飛「何でいきなり趙雲の話? そんなこと言ってると本気でやっつけちゃうよー?」
馬超「俺と張飛殿が戦っては互いに無事ではすまないでしょう。それよりも子龍の強さについて教えて欲しいですな」
執拗に趙雲の話に戻す馬超。
張飛「何かむかつくーー! 本人に聞けばいーじゃん! あっでも張飛、張飛しかない趙雲の秘密を知ってるんだー」
馬超「何だ!? それは!?」
馬超は張飛に食いつく。
張飛「うふふー知ーらない! 張飛と戦っちゃ駄目なんでしょー? そんな馬超には教えてあげなーい!」
馬超「おっおい!」
張飛「べーっだ! 勝負したら、教えてあげるよーー」
馬超「張飛殿! やろう! 今直ぐ勝負しよう!」
張飛「うふふー。やっぱやーめた! じゃーね! 馬超!」
馬超「頼む! 待ってくれ! 俺と戦ってくれ!」
逃げる張飛に追いかける馬超。
馬岱「あっ兄貴が……そっか……やっとまともに……」
遠目で張飛と馬超を見ていた馬岱はその何でもない光景に涙ぐむ。
劉備「趙雲さん」
内政の仕事に飽きた劉備が趙雲に話しかける。
趙雲「はっ! 劉備様。何か御用でしょうか?」
劉備「御用……って訳じゃないんだけれど……」
劉備「趙雲さん。私にこんなに長く仕えてくれている殿方は趙雲さんお一人ですね」
趙雲「劉備様。確かにこれまではそうでしたが今は違います。自分は男手が増えて嬉しく思います」
劉備「それは良かったです……趙雲さんは好きな人……いないの……?」
趙雲「むはっ! 劉備様! なっなっなっ何を突然!?」
劉備「趙雲さん。好きな女の子いないのと聞いているのです。ただの興味本位ですが」
趙雲「いっいる訳ないじゃないですか! 自分はそんなふしだらなこと……!」
劉備「ふぅーん。趙雲さんは女の子に興味ないの」
趙雲「自分は……そんな。興味なくないことはなくもないですが……ないこともないです。はい」
劉備「ふーん……そうですか。うん。そうですよね。あっ全く意味はないので気にしないで下さいね」
劉備は趙雲に手を振り去っていく。
趙雲「劉備様まさか自分のこと……いやっそんな馬鹿な! 趙雲……静まれ! ふーっ! 帰ってアレをしたため気を落ち着かせよう」
趙雲は急ぎ自分の部屋に戻っていく。
諸葛亮「黄忠殿が劉備軍に入隊してくれてとても感謝しています。これまで劉備軍には弓に長けている者がおりませんでした故」
黄忠「そんな風に言って貰えて私も嬉しいです。ご期待通り、私はどの様な敵も必ずや射止めて見せます」
孔明と黄忠が珍しく二人で話をしている。
諸葛亮「では、いずれ黄忠殿から意中の殿方の射止め方でもお教え頂きましょうか」
黄忠「いいでしょう。それでは孔明軍師からはどのような殿方でも必ず落とせる策を授けて頂きたいです」
諸葛亮「分かりました。必ず」
そんなもん分かる訳ないでしょうが! 孔明は心の中で強く思った。
黄忠「楽しみにしております」
そんな策があるの! 冗談で言ったのに! 言ってみるもんだなと黄忠は思った。
それぞれの仕事? が終わり日が暮れ始める。
張飛「兄ちゃん!」
姜維「どうしたんだい張飛」
張飛「この間の戦い無事に生き残ったね!」
姜維「うん。張飛が頑張ってくれたおかげかな?」
張飛「まだだったよね」
姜維「何が? 何かやり残したことなんてあったけ?」
張飛「分かち合い……」
姜維「!」
姜維の顔が恐怖に染まる。
張飛「へへへへへ……」
じりじりと張飛が詰め寄る。
姜維「張飛……いっいいんだけど……三つ数えるだけね!」
張飛「うん! 三つだね!」
張飛が姜維に抱き着く。
姜維「ぐぅ……」
姜維は全力で身体に力を入れ張飛に潰されないようにする。本の少しだけ耐えればいいんだ……そう思っていた。だが終わらない……。
姜維「張飛……とっくに過ぎ……て……」
死の抱擁は終わらない。
張飛「張飛ね。数を数えるの苦手なの……何言ってるか分からないや」
姜維「そっ……そんな……!」
ミシミシと身体が締め付けられる姜維の意識が遠のいていく。
馬謖「おいおい。白昼堂々と何をやっているんだ」
馬謖が声をかける。
黄忠「何! 如何わしいことをしているんですか!」
黄忠が怒鳴る。
馬超「気持悪……」
馬超がぼやく。
馬謖、黄忠、馬超が張飛と姜維にそれぞれの感想を述べる。
張飛「今ね! 分かち合いしてたんだよ!」
姜維「はぁっはぁっ……これはいつになっても慣れないな……」
張飛が力を緩め姜維は生還した。
馬謖「分かち合い? 何だそれは?」
姜維「ああ……これはね……」
姜維は分かち合いのことを皆に話す。
黄忠「ふっ不潔です! 男女がそんなことで抱き合うなんて!」
姜維「でもこれは劉備さんと先生から始めたことだから……」
黄忠「ぐっ!」
君主と軍師の名を出され何も言えなくなる黄忠だった。
馬超「まぁ。何となく分かったがこれは劉備軍特有の風習と言ったところか」
姜維「そうかも知れませんね」
馬謖「ふむ。連帯感を持たせるという意味では、まぁ……ありなのか」
姜維「決して悪いものではありませんよ? 一部例外を除いて」
馬超「男女に限定されているんだろ? あり得ないな」
姜維「そんなこともないと思います。周倉君は趙雲さんと分かち合ったと言ってましたし」
馬超「何だと! 先にそれを早く言ってくれ!」
馬超の態度が変わる。
黄忠「でも……同性ならともかく異性で……そういうのって……」
張飛「別に普通だよ」
黄忠「どういう神経をしているんですか……」
即答する張飛に黄忠は呆れる。
馬謖「ふむ。試してみるか……姜維、どうだ私と分かち合おうではないか」
姜維「ええ。構いませんよ」
馬謖と姜維が分かち合う。互いにがっちりと抱き合う。
姜維「どうですか?」
馬謖「悪い気はしないな」
姜維「でしょ?」
黄忠「……」
何故か黙る黄忠。
張飛「馬超……どうかした?」
馬超「だっ大丈夫……直ぐに収めて見せる……」
その場に埋まる馬超。何故か悶絶しているように見えるがそんなことはないはずだ。
黄忠「なっなら! 私も分かち合いあましょう! えっと……」
その場に同性は張飛しかいない。
黄忠「……」
黄忠は張飛と抱き合い気絶したことを思い出した。
黄忠「ばっ馬超殿! わっ私と分かち合いましょう!」
分かち合いを知らないのは馬超と自分だけだからと理由からとっさに言ってしまった。
馬超「ちょっと無理かな……」
黄忠の一言で一気に冷め、そして馬超は黄忠からの分かち合いを断る。
黄忠「なっ!」
まさか自分が拒否されるとは思いもしなかった黄忠。
姜維「分かち合いを断るのは始めて見た」
馬謖「先ほどの黄忠殿の言葉を裏返せば当然か」
姜維「どういうこと?」
馬謖「さっきから色々と如何わしいやら不潔だとか言ってだろ? 要するに一番、性を意識しているからだよ」
黄忠「馬謖! 張り倒しわよ!」
馬謖の言葉に黄忠は激高する。
張飛「性を意識ってどういうこと?」
張飛は馬謖に問う。
馬謖「分かり易く言うと黄忠殿は欲求不満何だよ」
バチン!
黄忠の張り手が馬謖の頬に叩く。
馬謖「あっ……たぁ……」
馬謖が叩かれた頬を抑える。
黄忠「誰が欲求不満のあばずれ女ですって!」
黄忠は馬謖に怒りの感情をあらわにした。
姜維「まぁまぁ……馬謖君も言葉を間違えただけですから」
なだめる姜維。
黄忠「馬超! 私と分かち合いなさい!」
黄忠の誘いを断ったことにより怒りの矛先が馬超に向く。
馬超「いや。断る」
黄忠「どうしてですか! 長沙で一番の美少女である私の誘いを断るなんて!」
自分で言うか……その場にいる誰もが思った。
馬超「先に言っておくが黄忠殿だからと言うことではない」
黄忠「じゃあ! 誰ならいいんですか!」
馬超「え? しっ子龍なら……いいかな……」
「!!」
一同、馬超のその返事に誰もが察した……。
定軍山の戦いは馬超と言う男の片鱗を知ることによって幕を閉じた。
その晩、馬超は涙を流しながら一人、宿舎で星を眺める。
黄忠「馬超殿、何かあったのですか?」
馬超「温もりを感じられなかった……」
黄忠「温もり? もしかして分かち合いのことですか?」
馬超「子龍に分かち合いをお願いしたんだ……だけど子龍は鎧を……鎧を着たまま分かち合いを……」
黄忠「何て言えばいいか分からないけど……でも誰かの温もりに身を預けたい時ってあるわよね」
馬超「俺がハッキリと言えば良かったんだ……鎧は脱いでくれって……」
黄忠「もう……今回だけだからね! みんなには内緒だから!」
黄忠は背中から馬超の首に手を回し身体を密着させた。
馬超「ふぉぇええええええ!!」
馬超は突如、夕飯を宿舎の窓から嘔吐する。
黄忠の全力の張り手が馬超の頬に炸裂した。




