涙の対価 下
涙の対価 下
張飛「ねぇ魏延さ」
魏延「張飛さん。何か……」
成都近郊の野営地で張飛は魏延に話しかける。
張飛「おやっさんが亡くなって寂しいと思うから時々だけど貸してあげる」
魏延「貸してあげるって何をですか? 蛇矛を使いこなせる自信はありませんよ」
張飛「ううん。違う邪矛じゃなくて兄ちゃんを」
魏延「姜維さんのことをですか?」
張飛「そう。張飛が飼ってるからさ」
魏延「いっ一体どういう関係なんですか!?」
魏延が困惑する。
張飛「張飛が拾ったの」
魏延「張飛さん……凄い……」
張飛「そうなの張飛は凄いの」
魏延「飼うってどんな感じですか?」
張飛「うーん。ご飯あげたり……分かち合ったり……かな?」
魏延「分かち合うのだけ分かりませんが……そうですか……ご飯か……」
張飛「なに? 魏延は料理上手いの?」
魏延「割と好きな方ではあります。折角なので姜維さんをお借りしてご飯あげてもいいですか?」
張飛「食材集めるの手伝う?」
魏延「お願いします。出来れば羹にしたいので肉を……」
張飛「いいよ。ちょっと探してくるね」
張飛は肉の調達に向かう。
魏延「さてと……私も準備しなきゃね」
魏延は食事の支度を始める。後数時間で日が暮れ劉備軍は夕食の支度を始めていた。
姜維と馬謖は天幕の中で今までの経緯を話していた。
馬謖「では結局の所、張任が何故おやっさんの行動が分かったかは謎のままか」
姜維「うん。埋伏の種かと思ったけどそうでもないみたいなんだ」
馬謖「その言いようだと兵士達への聞き取り調査はしたということだな」
姜維「もちろん。だけどこれ以上居るか分からない犯人探しは不振感を募らせるからやめることにする」
馬謖「先生も私も居るんだ。これ以上、姜維が心配することはない」
姜維「とても心強いよ馬謖君」
馬謖「こんな時だ。一人で考え過ぎることは毒だ。私も兄達がいたからこそ今の私がいる……」
姜維「僕は一人っ子だから分からないけど。やっぱり兄弟はいいもの?」
馬謖「離れて初めて有難みが分かる。全く……厄介な関係だよ……」
姜維「羨ましいな……」
姜維は馬謖の話を聞き兄弟がいればと思った。
魏延「あっ姜維さん!」
姜維「ん? 魏延さん何か?」
魏延「ご飯の用意が出来ました」
姜維「へ? あっ……ありがとう……ございます……」
馬謖「何だ何だ? 二人はいつの間にそんな関係に?」
姜維「馬謖君! ちょっと誤解しないで! 僕にも何だか分からない!」
魏延「姜維さんは私が張飛さんに貸して貰ったんです。飼い主としてご飯を食べさせるのは義務ですから」
「……」
姜維と馬謖が黙る。
馬謖「姜維……大変だな」
姜維「ありがとう馬謖君。僕はいつだってそうさ……知らない所で何をされてるか分からないんだ」
魏延「馬謖さんもご一緒にいかがですか?」
馬謖「気持ちは……ありがたいが……遠慮……」
姜維「馬謖君!」
立ち上がり去ろうとする馬謖を力強い声と共に姜維は馬謖の腕を掴む。
馬謖「やれやれ……分かったよ。付き合うよ姜維」
姜維「そう言ってくれると信じていたよ」
魏延「馬謖さんもご一緒ということで」
魏延は二人を食事の用意がしてある場に案内する。魏延の案内した先に兵がたかっている。姜維と馬謖はその様子に軽く恐怖を感じた。
張飛「兄ちゃんやっと来た! あっ馬謖も一緒だね!」
張飛は笑顔で二人を出迎えた。
「!」
姜維と馬謖は驚く。可愛い張飛の笑顔の後ろに大きな熊が皮を剥ぎ取られ無残な姿で横たわっている。
魏延「じゃあ。そこに座ってください」
魏延は姜維と馬謖を座らせる。
馬謖「姜維……すまない……今すぐ帰りたい」
姜維「そしたら僕は全力で捕まえるから……絶対に逃がさないからね」
馬謖「ここは犠牲者を一人でも少なく務めるのが軍師だろう」
姜維「何を言っているんだい馬謖君。仲間を死線に送るのは軍師の本質だよ」
姜維と馬謖はそれぞれの思惑を口にする。
魏延「最初は鳥の羹にしようと思ったんですけど。張飛さんが大きな熊を獲ってきてくれたので焼肉に変更しました」
「なんて余計なことを……」
姜維と馬謖は気が合うようだ。
張飛「なんかね! 山の中歩いてたら張飛の方に向かってくるの!」
張飛が嬉しそうに話す。
姜維「ははっ……張飛を食べようとしたのか……その熊は……」
張飛「それでね! 嬉しくなってね! 頭を撫でてあげたの!」
馬謖「頭を……ね。そうか……首の骨をそこで折られたのか……」
張飛「張飛の腕の中で気持ちよさそうに寝ちゃったからそのまま担いで来たの!」
姜維「ふふふ。山の中を? 凄いね……張飛……」
馬謖「姜維。凄いのはそこじゃない。殺したことに気付いていないことの方が凄い」
嬉しそうに話す張飛に姜維と馬謖は何かを悟った表情だ。
魏延「張飛さんが綺麗に絞めてくれたのでお肉の状態がとてもいいんです!」
魏延は鉄の棒に巻き付けられた焼かれた熊肉を姜維と馬謖に差し出す。
魏延「一口食べてみて下さい」
姜維と馬謖は顔を見合わせ勢いよく腹を括り熊肉をかじる。
「!」
独特の獣の匂いが口に広がる。食べれなくはないが進んで食べたいとは思わない味だった。姜維と馬謖は『やっちまった』と言わんばかりに顔を見合わせた。
魏延「次はこれを付けてどうぞ」
魏延は皿を差し出す。皿には何やら調味料らしき液体があった。
姜維と馬謖は謎の調味料に肉を付け再びかじる。
「!!」
二人は驚いた。臭みがなく肉の脂が甘く感じ、とても上品な味に感じた。
姜維「信じられない……一体、何がどうなったんだ……」
馬謖「ああ! これならいくらでも食べられる……」
魏延「そう言ってくれると嬉しいです!」
中華でも五本の指に数えられる料理の才能を持つ魏延の料理が人の目にさらされることになった。周りの兵士達も魏延の料理に興味を持ち魏延はみんなに料理を振る舞う。張飛は熊を解体するが刃物は使わない。関節を折って肉は引き千切る。異様な光景だがそこには魏延を囲む劉備軍があった。
張飛「ねぇ魏延。内臓はどうするの?」
魏延「内臓は煮込みますね。下処理するのでちょっと待ってて下さい」
張飛「うん」
魏延は張飛に樽一杯に入った熊の内臓を受け取り水場に向かう。
姜維「この調味料どうやって作ったんだろう」
馬謖「まったくだ。あの熊肉をこれほどの美味に変えてしまうんだからな」
張飛「兄ちゃん。張飛も一口ちょうだい」
姜維「ああ。いいよ」
姜維は張飛に食べさせる。
張飛「うん! 美味しいね!」
姜維「張飛が獲ってきた熊も美味しい熊だね」
張飛「もっと獲ってくる!?」
姜維「うん。それはやめておこうか」
姜維は笑顔で答える。姜維は熊という種が益州から消えることを恐れた。
馬謖「姜維。馳走になったし私は行くよ」
姜維「え? 魏延さんがまだ料理を出してくれるみたいだよ?」
馬謖「多くの兵が魏延殿の料理を楽しんでくれればいいさ」
姜維「そっか。それもそうだね」
姜維は馬謖なりに魏延のことを考えていることに気付く。魏延の料理に兵士達は大変満足いているようだ。
その頃、黄忠は助けを求められていた。
馬岱「そこのあんた! 助けてくれ!」
黄忠「どうかしましたか?」
黄忠は見守りの為、陣営の周囲の警備をしていたが一人の男が黄忠に助を求めてきた。
馬岱「兄貴が! 兄貴が倒れてしまって!」
黄忠「あなたのお兄さんが? その兄貴さんはどちらに?」
馬岱「助けてくれるのか! 俺は馬岱っていうんだ!」
黄忠「私は黄忠。まずは兄貴さんを軍医の所まで連れて行きましょう」
馬岱「黄忠さん、ありがとう! 恩に着るよ!」
馬岱と名乗る男はスラリとして爽やかな好青年だ。だが体中傷だらけで馬岱自身も手当が必要だと黄忠は感じた。
黄忠「この人があなたのお兄さん……」
馬岱「ああ……」
馬岱が兄貴と呼ぶ男は意識が無く横たわっている。日が暮れる薄暗い森の中でもその兄貴と呼ばれる男がかなりの美形だということは分かった黄忠であった。
黄忠は二人を軍医の元に預けその旨を劉備に報告した。
魏延「みなさん。料理が出来ました」
魏延が持って来た料理は熊の内臓をぶつ切りにしたものであって見た目は野蛮さを感じる豪快な料理であったが本能を刺激する食欲がそそられる料理だ。
ゴクリ……誰もが唾を飲み込む。魏延は兵士達に料理を振る舞い姜維と張飛も魏延の料理を堪能した。
姜維「おいしいな……内臓の料理って見た目はアレだけどこんなにおいしいのか」
張飛「凄いね! 何か力が湧いてくる感じがする!」
魏延「ふふふ。この熊はとても良い熊ですね。きっと木の実を主食としていたんだと思います」
姜維「そんなことまで分かるんですか?」
魏延「はい。腸の中を洗うの何を食べているかは大体」
張飛「え? じゃあ熊のうんちを触ったの!?」
張飛の言葉に周囲が凍り付く。
魏延「触るというかひねり出すというか……」
姜維「結構手間暇かかってるんですね。美味しいわけだ」
姜維は張飛のうんちという言葉を打ち消す為、話を進める。
魏延「幾つかの香辛料で臭みを取り味を調えてあります」
張飛「魏延! 張飛も料理覚えたい!」
魏延「はい! 喜んでお教えしますね」
頼られたことが魏延はとても嬉しいようだ。こうして劉備軍は成都攻略に向けて英気を養うことが出来た。




