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雷子  作者: 三幸
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涙の対価 上

涙の対価 上


 


黄皓「あーあ。良く寝た……良いことをした後は気持ちが良いですねー」


 ホウ統が亡くなった翌朝、大きなあくびから始まる黄皓の目覚めはすがすがしい。


黄皓「ん? 何だか慌ただしいですね……おやっさんが死んで帰り支度を?」


 兵が既に起き慌ただしく荷をまとめている。


黄皓「あっ姜維殿!」


姜維「黄皓さん。どうかなさいましたか?」


 通り過ぎる姜維に黄皓は声を掛けた。


黄皓「何やら慌ただしいので……」


姜維「おやっさんが居なくてはこれ以上長く益州に滞在出来ません。その為、撤収の準備です」


黄皓「そっそうでしたか! それならば私も荷造りを急がねば」


姜維「はい。僕も急ぎの用があるのでこれで失礼します」


黄皓「あっ引き留めてしまって申し訳ない」


 その場を去る姜維に黄皓は謝る。


黄皓「ふふふ……思惑通りですね……楽しいですね。全てが私の掌で踊る感覚は何とも言えない気持ちです。さてと……準備なんて他の者に任せてもう一眠りしますか」


 黄皓は安心し二度寝に戻った。





 夜が明け劉璋軍の陣営では張任が黄皓からの連絡を待っていた。


張任「その後、黄皓殿から連絡は?」


劉璋軍兵士「はっ! 特にありませんが劉備軍が撤退する模様です」


張任「なんだと! ホウ統が死んで怖気づいたか劉備軍。敵に背後を見せる恐ろしさを分かっておらん様だ。黄皓からの連絡がないということは罠でもなさそうだ。直ぐに追撃の準備をしろ!」


劉璋軍兵士「はっ!」


 張任は劉備軍の背後を襲う為に急ぎ出撃の準備をし諜報兵の情報を頼りに劉備軍を追いかけた。







黄皓「さて私の荷造りも終わった……しかし一体いつ出発するのでしょうか? 早く行ってくれないと私は張任の元へ向かえません」


 二度寝を終えた黄皓は自分の荷だけをまとめ終え外の片付けの進みを確認しようと外にでる。


黄皓「おや。もうほとんど終わっているようですね……ですが兵がまだうろうろしているなんて……」


 黄皓は事態が掴めない。


黄皓「そこの者」


劉備軍兵士「はっ」


黄皓「撤退はいつになるのです?」


劉備軍兵士「それが……姜維軍師が戻られるまで待機と言うことでして……」


黄皓「姜維殿が戻るまで? 撤退するのに何故いない……? はっ! 劉備軍の武将達はどうしているのです?!」


劉備軍兵士「姜維軍師と共に兵の半分を率い出掛けられました」


黄皓「なんですって!!」


 黄皓は焦りを感じた。これは撤退などではなく張任を倒す為の策だと気づく。


 黄皓は急ぎ張任に知らせようと綿竹関を出ようとする。


黄皓「くっ……陽が高い! 今から張任に報告に行っても間に合わん……張任が策に引っ掛からないことを祈るしかないが……待ってても良いのだろうか……いやっ……最悪の事態にならない為にも向かうしかあるまい!」


 黄皓は姜維達の向かった場所に走った。






姜維「劉備さん。ご無理を聞いて頂いてありがとうございます」


劉備「いいんです。これでおやっさんの仇が取れると思えば安いものです」


姜維「ありがとうございます」


 益州から南荊州の道は限られている。その途中、金雁橋という橋がある。その橋の上に姜維と劉備。そして黄忠、魏延、張飛がいた。


張飛「兄ちゃん。本当に張任は来るのー?」


姜維「必ず来る。劉備軍の撤退は劉璋軍にとって絶好の機会だ。見逃す筈はない」


黄忠「しかし、どうして本隊を綿竹に残し我らだけなのです?」


魏延「確かにそうですね」


姜維「おやっさんの行動は事前に相手に伝わっていた可能性があります。情報封鎖と偽報撤退で張任を誘き出すのが本作戦の要です」


魏延「相手に伝わっていた……裏切り者がいるのですか!」


 魏延の言葉から怒りが伝わる。


姜維「それは分かりません。しかし間者がいた可能性があり、その為の情報封鎖です」


黄忠「では、私達を張任撃退に選んでくれたのは……」


姜維「もちろん、皆さんのおやっさんの為に流した涙が本物だと信じているからです」


劉備「姜維君。ありがとう」


黄忠「わっ私は泣いてなんかいません!」


張飛「泣いてたじゃん」


黄忠「あれは張飛に締められて死ぬかと思ったんです!」


姜維「そうか……黄忠さんは張飛の死の抱擁を知らなかったんだ……」


 姜維は黄忠が気の毒だと思った。


劉備「いいではありませんか。おやっさんの為に流した涙は恥でも何でもないのですよ」


黄忠「……」


張飛「黄忠って強がりだよねー」


魏延「そこが黄ちゃんの可愛いところなんです!」


黄忠「魏延!」


姜維「まぁまぁ。落ち着いて」


 騎馬が近付く音が聞こえてくる。


姜維「ん? 張任が来た様ですね。劉備軍の女性陣を泣かせた罪深いおやっさんの仇討ちです! 皆さん、行きましょう!」


 「はい!」


 劉備達は姜維に呼応する。


 張任が金雁橋にさしかかる頃、橋の真ん中に戟を構えた魏延が立つ。


張任「あれは……劉備軍の……何故……。ふふふ、私の猛追にしんがりを買って出た愚か者か! 直ぐに討ち取ってやるわ! かかれ!」


 張任の号令で魏延に襲いかかる劉璋軍。魏延は動かない。敵の刃が魏延に向かって振り下ろされた瞬間に魏延によって劉璋軍の数人の胴体が離れた。その光景に劉璋軍の兵は立ち止まる。


 張任は兵を叱咤し攻撃することを促すがその度に切り落とされた兵の身体が橋の下に落ちる。


魏延「あなたが張任ですか……私のおやっさんを……返して下さい!」


 魏延は張任に向かっていく。張任を守る兵が魏延襲う。


張任「ふん。一人で何が出来る」


 張任は弓を構える。張任の構えに弓兵達が同時に魏延にまとを絞る。その時、橋に矢が降り注ぐ。黄忠とその弓兵が矢を放ったのだ。逃げ場もなく正確無比な攻撃に劉璋軍は混乱する。


張任「しまった! 狙いは私か!」


 気付いた時には既に遅く。後詰の部隊は張飛、劉備に抑えられ張任は橋の上で孤立することになっていた。


姜維「張任。投降するなら劉璋軍の兵はこのまま見過ごしても構わない」

 姜維は張任に呼びかけた。


張任「ふざけたことを……私に投降だと! 仁なる臣は決して二君に仕えるものではない!」


姜維「そうですか。残念です……」


 姜維が手を挙げる。劉備軍の伏兵が現れ完全に橋を包囲した。


魏延「姜維さん! このまま張任を!」


姜維「魏延さん。抜け駆けはいけませんよ。おやっさんを失った悲しみは魏延さんだけじゃないです」


魏延「そうですよね……」


 先走る魏延を姜維は止める。


 退路を断たれた張任に黄忠から執拗な矢にほとんどの兵を失った。劉璋軍は完全に戦意を喪失し武器を捨て投降した。張任は必至に兵を励ますものの一度失われた士気は戻ることはなかった。

 

 結果は張任の勝気な性格が災いし劉璋軍は投降の道を歩めず劉備軍の攻撃によって命を落とした。


劉備「姜維君のおかげで張任を撃破することが出来ました!」


張飛「兄ちゃん。やるじゃん!」


姜維「いえ。みんなの力があってからこそです」



黄皓「はぁはぁっ……やっと追い着いた!」


 黄皓は汗だくになって姜維達の前に現れた。


姜維「黄皓殿」


黄皓「姜維殿も人が悪い。私に言って頂ければ助太刀致しましたものを」


姜維「すみません。悪気は無いんです。どうしても情報封鎖をする必要があったので」


黄皓「……」


 黄皓は焦りを感じた。自分が疑われているわけではないが信用されていないことに。黄皓はある決断をする……おそらく一度しかない機を待つ。


黄忠「姜維。敵将・張任を捕えました」


張任「くっ! まさか劉備軍の罠だったとは! なんたる不覚!」


黄皓「死んでくれれば良かったものを……」


 張任が捕えられたことによって生じた不都合な事態に黄皓は呟く。


黄忠「生け捕りにするのは骨が折れました。敵ながら見事です」


張任「おのれ! こんな小娘に私が後れを取るとは!」


黄忠「そうよ。あなたはこんな小娘に後れを取るくらい弱いのよ」


 黄忠は張任に応える。張任は手を後ろで縛られ黄忠を睨むしか出来ない。


張任「一騎打ちであれば負けはしない! お前達は卑怯者だ!」


姜維「卑怯? 戦いに一体何を求めているのですか、あなたは……」


張任「知れたことよ! 私の正義を貫く為だ! 主の為には如何なる……!」


 『パン!』


突如、劉備が張任の頬を叩く。張任は突然の驚きで沈黙した。


劉備「どうしてもっと早く投降しなかったのですか。あなたに付いて来た兵達はあなたに助けを求めていたのですよ」


張任「……」


劉備「勝敗は早い段階で付いていました。兵を無駄死にさせたことをとやかく言うつもりはありません。それも任務ですから……だがあなたは違う! 己の正義を貫くという私情を兵を統率する立場でありながら最後まで貫いた! それは怠慢でしかありません! 正義などと言う耳障りの良い言葉を持ち出し自分を正当化するな!」


 いつも温厚な劉備が激怒した。その光景に張飛を含めその迫力に飲まれる。


張任「ぐっ……」


 張任は劉備の反論することが出来ず睨み付けることしか出来なかった。


魏延「張任殿! 覚悟!」


 沈黙を破り魏延が張任に振りかかる。


姜維「魏延さん! いけない! 張任を殺しては駄目だ!」


魏延「何故ですか! おやっさんの仇を討たせて下さい!」


 姜維は魏延を羽交い絞めにする。魏延は暴れ姜維は必死に魏延にしがみつく。


黄皓「おのれー! 張任おやっさんの仇ーー!」


張任「ぐぁ!」


 黄皓は張任の胸を剣で貫く。血が剣を伝い地面に落ちる。


黄皓「このまま死んで下さい。あなたに生きていられると何かと不都合でして」


 黄皓は張任にだけ聞こえるように用無しだと言わんばかりに伝える。


張任「こっ……さ……ま!」


 張任は激痛で声を発することが出来ずそのまま絶命した。


姜維「何てことだ……張任には何故待ち伏せ出来たのか確認する必要があったのに……」


黄皓「姜維殿ーー! 申し訳ない! 私はおやっさんに助けられ、救われ、恩があり、今の私がいます! おやっさんの仇である張任を見て自分を抑えられなかった……許して下され……」


劉備「…………」


 劉備が何とも言えない表情になった。


姜維「張任を殺めてしまったことは今から言ってもどうにもなりません……」


 姜維は誰かの失態をどう処理していいか分からない。


黄皓「ううっ。うわーーーー」


 黄皓全力の嘘泣きである。そう……とにかく大きな声で泣いてみる!


劉備「姜維君。黄皓さんも反省していることですし」


姜維「……」


 劉備が見事に黄皓の嘘泣きに騙される。姜維は劉備が言うのであればと割り切るしか出来なかった。


劉備「黄皓さん。おやっさんへ想いの果ての行動だと思いますが、今後は勝手な行動を控えて下さい」


黄皓「申し訳ございませぬーー! この黄皓! 二度とこの様な真似は致しませぬーー!」


 黄皓は劉備に土下座するも額を地に付けた表情は緩い。


魏延「姜維さん。私も黄皓さんと同じです……申し訳ありません」


 魏延は自分のしようとしたことが誤りであることを知る。


姜維「いえ。僕も事前に張任の処遇に付いて話をして置くべきでした」


張飛「兄ちゃん。これからどうするの?」


姜維「これからかい? これからは……」


諸葛亮「成都攻めを決行致します」


劉備「孔明!」


姜維「先生! いつこちらに!」


 劉備と姜維は孔明が現れたことに驚く。


諸葛亮「先ほど到着しました。馬謖から報告は受けています。ホウ統……惜しい人を亡くしました……」


姜維「はい……」


諸葛亮「姜維。張任を破ったようですね。見事です。きっとホウ統もあの世で喜んでいることでしょう」


姜維「ありがとうございます。ところで先程、成都を攻めるとおっしゃっていましたが」


諸葛亮「劉璋軍の度重なる不義理。これ以上、和を用いるは下策です。今、益州を押さえなければ劉璋軍は曹操軍に降る可能性が高く急を要します」


姜維「曹操軍が益州を……! 赤壁での大敗からこんな僅かな時間で体制を立て直したのですか!」


馬謖「姜維。そこからは私が説明しよう。曹操軍は赤壁の大敗の後、防衛線を張り呉軍と一進一退の攻防を続けている」


馬謖「しかし曹操軍は主力の本隊の立て直しをしている時に事件が起きた」


姜維「事件?」


馬謖「涼州の馬超殿が曹操に反旗を翻した。曹操を後一歩の所まで追い詰めるも、曹操軍の計略の前に敗れた様だ」


姜維「そんなことが……」


諸葛亮「姜維。涼州軍が敗れた今、曹操軍は目と鼻の先まで来ています」


姜維「分かりました。僕が思っているよりもずっと深刻な状況のようです」


劉備「孔明。あなたが来てくれてほっとしました」


諸葛亮「劉備様。私が来たからにはもう大丈夫です。それと趙雲殿も一緒に来ておりますので」


劉備「趙雲さんが? 孔明……雲ちゃんは大丈夫でしょうか?」


諸葛亮「守りに徹するように伝えてあります。関羽殿であれば曹操軍も安易に攻撃出来ないでしょう」


劉備「それなら良かった」


 劉備は南群に残された関羽と周倉が心配になったが孔明の言葉でほっとした。


 こうして劉備軍は益州の首都『成都』を目指す。


 孔明と趙雲が加わった事で軍に厚みが増し要所に数百の守りと斥候を配置し伏兵に備えることが出来たが劉璋軍は要である張任を失くし成都に閉じ籠る。


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