綿竹関の戦い 上
綿竹関の戦い 上
劉璋軍の陣営では多くの将兵達がこれからの同行を模索していた。中には劉備を迎え入れることに賛成する者も多くいたが反対派によって粛清されるという事態になり今は劉備を討つことに反対する者はいなかった。本来であれば君主である劉璋が方向性をしっかりと出すことで収まる問題であったが内向的な性格と大事の時は全て配下に任せるという優柔不断な一面が今回の件を引き起こした。
そして劉備誅殺の中心人物に益州の中で中華に名を馳せる者がいた。名は『張任』義理と人情に厚く凡将揃いの劉璋軍に山岳の守り人と呼ばれる女性で勝気な性格はその実力と伴うものであった。
張任「劉備軍め! あそこで止まらなければ完璧に討ち取ることが出来たのに」
天幕の中で作戦会議が行われており張任は机を叩いた。
張任「馬鹿な文官共が! 劉備を益州に迎え入れようとするなどと! あの不届き者共め! 呉から南郡をかすめとった劉備。必ずや劉璋様にとって災いに成るであろう……」
張任の周りの武将達は頷く。
劉璋軍兵士「張任様。劉備軍から使者が参りました」
張任「使者? 和睦の交渉か? 通せ!」
劉璋軍兵士「はっ!」
張任は劉備軍の使者を寛容に迎え入れる気はない。むしろ首を斬り送り返そうとしていた。
黄皓「初めまして。私は劉備軍におります、黄皓と申します」
黄皓は案内された天幕に入るなり頭を下げる。
張任「劉璋軍・筆頭の張任だ。和睦の交渉ならば受けん! 益州から身を引け! 退かねば殺す!」
張任は腰の剣を抜く。
黄皓「おっお待ち下さい! 私は張任様に有益な情報を持って参った次第です」
張任「有益な情報だと? ははは! またも劉璋様を謀ろうとするか! ふざけるな! 舐めるのも大概にしろ!」
黄皓「舐める? それは私の言葉です……私は以前から劉璋様のご高名をお聞きして是非お仕えしたいと考えておりました。そんな時、劉備軍が益州に向かうと聞いて同行していただけです……劉璋様にお仕えしたい想いで私はフ水関から一人やってきたのです」
張任「ふむ。ならば貴様は劉備の使者ではないと……それで有益な情報とは何だ?」
黄皓「劉備はこれより劉璋様を亡き者にし益州を乗っ取るつもりでございます」
張任「やはりそうか! おのれ劉備! 切り刻んでも腹の虫が収まらぬわ!!」
張任の激高に周りの将兵達も賛同し天幕の中では怒号が飛ぶ。
黄皓「劉備軍の軍師はホウ統と申す者ですが……」
張任「聞いておる。鳳雛ことホウ統士元だな。唯一の頭痛の種だ……張飛は私が一騎討ちで破るとしても正直、知恵者との対決は中々骨が折れる」
黄皓「そのホウ統さえいなくなれば劉備軍は烏合の衆となりましょう」
張任「だろうな……どうしたものか……」
黄皓「明日、劉備軍は部隊を二つに分けます。ホウ統率いる部隊は少数で偵察に出る様でございます」
張任「なんだと……しかし、そう簡単に黄皓殿を信用する訳にはいかんな」
黄皓「当然でございます。しかし張任様。この情報を元に動かれても劉璋軍に得るものは有っても失う物はございません」
張任「確かに……嘘だとしても失うものはない。もし本当であれば我々は大きな機会を失うことになる」
黄皓「それで此度の情報でホウ統を討ち取ることが出来たなら劉璋様に私をご推挙頂きたいのです」
張任「いいだろう。劉璋様への推薦状は約束しよう」
黄皓「ありがとうございます。では私はこれで……劉備軍の動向を探るべく一旦戻ります」
張任「分かった。黄皓殿、助かり申した」
黄皓「何か変化があった場合は直ぐに知らせます」
黄皓は劉璋軍の陣営を離れ夜が明ける前にフ水関へ戻って行った。
張任「ふふふ。劉備軍……目にもの見せてくれる!」
張任は直ぐに地図を広げホウ統の通りそうな場所を探し出す。張任の指揮の元、劉璋軍は戦いの準備で一気に慌ただしくなる。夜明けと共に劉璋軍は山中に伏兵が配置され陣営には守備隊のみになった。
夜が明けフ水関では劉備の元にホウ統が訪れていた。
ホウ統「劉備様。一晩考えた結論ですが……」
劉備「はい。荊州に引き返しますか?」
ホウ統「いえ、このまま劉璋軍の拠点の一つ。綿竹関を目指します」
劉備「それでは劉璋殿と戦うと……」
ホウ統「辛い選択になりますが御決断下さい」
劉備「おやっさんの言いたいことは何となく分かりますが……」
ホウ統「ここで退けば劉璋軍に背後を取られます。劉璋軍と戦うというよりも劉備軍の安全を考えて前に進むことが最も安全です」
劉備「そうですか……分かりました」
劉備の顔が曇る。
ホウ統「それでは部隊を二つに分けます。劉備軍の本隊と私の別働隊です。詳しいことは後で姜維に聞いて下さい」
劉備「分かりました。おやっさん気を付けて下さいね」
ホウ統「お心遣いありがとうございます」
劉備に一礼して索敵に向かう。
ホウ統がフ水関を出た頃、姜維は皆にこれからの動向を伝えていた。
馬謖「なるほど……確かにこの山岳の迷路を調べる必要があるな。流石はおやっさんだ……実際、こんな地図はあてに出来そうにない」
益州の簡易地図を見る馬謖と姜維。
姜維「うん。闇雲に進むよりも索敵を兼ねた調査だって言ってたからね」
魏延「私もおやっさんに付いて行きたいなー」
黄忠「魏延はおやっさんに懐いてるわね」
姜維「僕も魏延さんを護衛にって言ったんだけど少数の方がいいんだって」
魏延「そうですか……おやっさんが帰って来たら、もっとお話ししたいんです。劉璋軍の急襲から全然お話出来なくて……」
姜維「ふふふっ。魏延さんは本当におやっさんが大好きなんだね」
魏延「はい! 本当に優しくしてくれるので! あっでも黄ちゃんのことも大好きです。皆さんのことも……」
黄忠「何か取って付けた感じが……まぁ付き合いも長いしいいんだけど」
嬉しそうにする魏延に黄忠も嬉しいようだ。
張飛「兄ちゃんもおやっさん見習った方がいいよー」
姜維「えっ? もちろん軍師として見習いたいことは沢山あるね」
張飛「そこじゃないって!」
姜維「じゃあどこを?」
張飛「優しいところ!」
姜維「えぇーー! 僕はそんなに皆に冷たいかい!?」
張飛「だから、皆にじゃなくて張飛に!」
姜維「十分優しくしてると思うけど……」
張飛「足りない! もっと!」
姜維「はぁ。どこをどう優しくすればいいのか……分からないけど努力するよ……」
張飛「まったくもう!」
張飛は拗ねる。
魏延「でも周りから見てると姜維さんと張飛さん。凄く仲良く見えますよ」
馬謖「確かにそうだな。姜維はいつも張飛に守られている感じはあるな」
姜維「張飛の方が強いからね……はるかに……」
張飛「兄ちゃん。張飛の苦労も分かってよね」
姜維「はぁ……張飛いつもありがとう。僕もいつか張飛を守れる位に強くなるよ」
魏延「そうしたら私のことも守って下さいね、姜維さん!」
「へ?」
魏延の言葉に張飛と姜維が驚く。
馬謖「それはいいですな。私も姜維に守って貰いましょう」
姜維「馬謖君は大丈夫じゃない?」
馬謖「おやおや。共に学ぶ仲間じゃないか。それくらいよいではないか」
馬謖は姜維の肩を叩く。
姜維「そうか……僕が魏延さんと馬謖君を守る……その僕を張飛が守る……」
馬謖「おお! そこに気づくとは! 姜維! 中々やるではないか!」
魏延「えー? どういうことですか?」
馬謖「張飛殿がみんなを守ってくれるってことさ」
張飛「違うの! 兄ちゃんが張飛を守れるようになるんだから!」
姜維「そうか……僕が強くならなくちゃいけない話だったね」
魏延「姜維さん。早く強くなって私達三人を守って下さいね!」
黄忠「あっあの……私が入って……」
「ん?」
黄忠が何か言いかけたことに皆、耳を傾ける。
黄忠「あっいえ……何でもないです……」
四人目に入ることの出来なかった黄忠であった。
馬謖「さてと私はおやっさんの手伝いでもしてくるか」
魏延「私も行きます! 張飛さんも一緒に行きましょう」
張飛「うん! おやっさんの手伝いならいいよ」
姜維「おやっさんならもう行ったよ。これから綿竹関の攻撃だからそっちの準備をしてもらってもいいかな」
馬謖「そういうことは先に言え」
魏延「ほんとです! 一気にやる気が削がれました!」
張飛「あーあ。おやっさんに一杯たかろうと思ったんだけどなぁ」
姜維「……」
何処か理不尽を感じる姜維であった。
馬謖「仕方がない。兵の編成をするか……魏延殿、張飛殿、行きましょう」
馬謖達はその場を離れ姜維と黄忠がその場に残された。
姜維「黄忠さん」
黄忠「姜維殿……何か?」
姜維「先ほど何か言いかけてたようでしたが……」
黄忠「なっ何でもありません!」
姜維「そうですか。僕の勘違いだったようですね。失礼しました」
黄忠「姜維殿。少しお話ししても良いですか?」
姜維「やっぱり何か言いたいことがあったんですね」
黄忠「違います! 全く別の話です!」
姜維「そうなんですか? で話とは?」
黄忠「私には兄がいました……」
姜維「黄忠さんのお兄さん? いましたということは……亡くなられた……のですか?」
黄忠「分かりません……突然いなくなってしまったので……」
姜維「行方不明ですか……どんな方だったんです?」
黄忠「兄はとても優しい人でした。父も兄が跡を継いでくれるものと思い幸せな日々を送っていました……」
姜維「……」
黄忠「突然いなくなった兄を父と一緒に探す日々が始まりましたが……心労から病になり父は他界しました」
黄忠「そんな時に出会ったのが魏延です。いつも笑顔でいてくれる魏延が私を支えてくれました」
姜維「魏延さんにお兄さんのことは?」
黄忠「魏延には話していません」
姜維「再開の言葉に何かあると思ってはいましたがそんなことが……」
黄忠「すみません。いきなり身の上話なんて……」
姜維「そんなことないですよ! 話してくれてありがとうございます。少し黄忠さんと親しくなれたような気がします」
黄忠「親しく!? 姜維殿は張飛殿と仲が良いではありませんか!」
姜維「何故! いきなり怒るのですか!?」
姜維は黄忠に怒られたことが全くわかない。黄忠は馬謖達を追って出発の準備に向かう。
劉備軍はフ水関を出発し綿竹関を目指す。道中、伏兵を警戒しながら索敵を怠らず進む。山岳地帯の街道は落石、伏兵等の危険が潜む為、慎重な行軍が行われた。
姜維達は綿竹関まで突撃出来る距離で陣を敷く。工兵によって木々が倒され木杭が地面に打たれ柵が作られた。
姜維「劉備さん。この先の綿竹関に劉璋軍がいます。このまま進み綿竹関を拠点としましょう」
劉備「姜維君。おやっさんの言う通り……やはり劉璋殿とは……」
姜維「今の劉備軍が置かれている状況を考えますと、いつまでも野営をする訳にはいきません……フ水関では一切の補給が受けられない状況です。綿竹を押さえ一度物資を調達しなければなりません……」
劉備「そうですよね……」
劉備は姜維の言葉に納得するしかなかった。
姜維「辛いご決断だと思いますが、今は……」
劉備「姜維君ごめんなさい。私の我が儘でした」
姜維「いえ! そんなことは! 綿竹を拠点に出来れば当面の補給と防衛が容易になり、また違う展開があるかも知れません」
姜維「そうなればおやっさんのことです。劉璋殿のことも解決してくれる筈です」
劉備「そうですよね。姜維君ありがとう」
姜維「はい! では参りましょう。おやっさんが戻って来るまでに綿竹関を落としましょう!」
姜維と劉備の会話を眺める者がいた。黄皓である。
黄皓「馬鹿な連中だ。おやっさんには世話になったが私の輝かしい未来の為に死んで頂きましょう」
黄皓は不敵な笑う……。
綿竹関は益州の本拠である成都の要所で堅牢な関門である。それは高い城壁に周囲は山で囲まれ伏兵が忍びやすく守りに特化した要塞でその攻略は正攻法以外になかった。姜維にとって初めて指揮する戦いが始まる。
姜維「これより綿竹攻略に移ります。先方を張飛と魏延さんの二部隊で攻撃し城壁にいる敵は黄忠さんの部隊で対処してください。中央に劉備さんの部隊を展開し僕と馬謖君で敵の伏兵に対処します」
皆が姜維の作戦に頷く。
張飛「ねぇ兄ちゃん。もう行っていいんだよね」
姜維「ああ。構わないよ。張飛、正面の敵を撃破した後、速やかに城門を開けて欲しい。危険な役だけど魏延さんも一緒だから何とか頼む」
張飛「危険? 何が危険なの?」
魏延「あのね。黄ちゃんが私たちの頭上の敵を討ち漏らして敵に攻撃されるかもしれないってこと」
黄忠「魏延!」
黄忠は魏延を一喝する。
魏延「だってだって!」
黄忠「見ておきなさい! 矢一本射らせわしないわ!」
張飛「黄忠。よろしくね」
黄忠「えっええ!」
張飛の言葉に黄忠の態度が少しおかしい。張飛達三人の部隊は綿竹に向かっていく。
劉備「では姜維くん。私達も向かいましょう」
劉備は姜維と馬謖を連れ綿竹から少し離れた山中に軍を展開する。伏兵をおびき寄せる為だ。
ホウ統「おう。やってるな」
山中から綿竹の戦いを眺めるホウ統。
ホウ統「しっかり分かっているじゃないか姜維……伏兵を用意していないわけがない。その判断は大正解。城門の破壊を重きに置いた編成も悪くない……なるほど孔明が言っていることが少し分かった気がするぜ」
ホウ統は劉備軍の戦いに勝利を確信した。
ホウ統「当たり前のことを当たり前にする簡単な戦い。だが本当にそれで良いのか……探求考察の姿勢が軍師を迷わせる。思いっきりのいい戦いを始められるってのは一つの才能だからなぁ……へへへ将来が楽しみだぜ姜維」
ホウ統は戦いを少し眺めようと酒を取り出したその時……
張任「今だ! 放て!」
張任の号令で僅かなホウ統の部隊に矢の雨が降り注ぐ。
ホウ統「しまった! 待ち伏せだと! くっ! 俺としたことが……この様な場所に伏兵がいる訳がないのに!」
綿竹関の戦いの最中、絶対にいるはずのない場所に現れた敵にホウ統は驚きを隠せない。歩む道のりは道なき道であって偶然で出くわす理由はない。
張任「はははは! ありったけの矢を浴びせてやれ! ホウ統さえ討ち取れば劉備軍など烏合の衆だ!」
張任の言葉に更に多くの矢が放たれる。劉備軍の兵は逃げ場がなく倒れていく
ホウ統「ぐあ!」
ホウ統の身体に複数の矢が刺さる。倒れた後もまた矢を射られそれは完全に致命傷となった。
ホウ統「こんな所で俺は……考えられるのは……仲間の裏切りか……いかん……このことを姜維に……」
ホウ統は絶命し索敵に同行した兵も命を落とし張任の笑い声が山中にこだまする。
綿竹関では激闘が繰り広げられていた。
姜維「馬謖君! 伏兵の第二波が来るよ!」
馬謖「分かっている! 私の部隊で応戦するから姜維は三波に備えてくれ!」
姜維「お願いします!」
劉備めがけて伏兵が向かってくる。元々待ち構える形で横陣を轢いていた為、姜維達は十分に対処出来ていた……筈だったが現実はそうはいかなかった。
伏兵の数があまりにも多い。姜維と馬謖は劉備を守ろうと必死に戦うが押され始める。その姿に劉備は前線まで出てしまう。姜維と馬謖は劉備の登場に驚くがそれは敵も同じであった。劉備を討たんと伏兵が全て現れたのである。
姜維「こっこんなにいたの!?」
劉備「ちょっと失敗しましたかねぇ……」
姜維と劉備は青ざめる。
馬謖「劉備様! 姜維! 私が法術で一気に薙ぎ倒す! 詠唱する時間を稼いでくれ!」
劉備「馬謖さん! 法術使えるのですか!?」
姜維「何でもっと早く言ってくれなかったの!? そしたらもっと別のやり方があったのに!!」
馬謖「軍師を目指すものなら使えるに決まってるだろ! そもそも姜維が使えない方がおかしいんだ!」
馬謖は詠唱を始める。印を結び馬謖の手に光が集まる。馬謖は片手の人差し指で空中に文字を書き始める。
馬謖が詠唱している間、姜維と劉備は剣を振るった。それも文句を言いながら……。
劉備「一体いつまで防げばいいのですか!? 孔明ならとっくに撃ってますよ!」
姜維「これで弱い威力だったら割に合わない! 馬謖君! 早く!」
二人の愚痴は馬謖には届かない。詠唱による精神集中は馬謖の耳を塞いだ。
馬謖は目を見開く。
馬謖「全てを飲み込め炎蛇……」
詠唱の終わった馬謖の手から炎が蛇が地を這い劉璋軍に向かう。劉璋軍は炎に巻き込まれ叫ぶ逃げ惑うが……劉備と姜維も逃げ惑う。そう木々に引火したのだ……。
劉備「こんな所で炎の法術を使うなんてどういうことですか!」
姜維「ありえないありえない! ありえないぃいいいい!」
劉備と姜維は全力で走った。後方でその敵味方の阿鼻叫喚の光景に馬謖は満足していた。
馬謖「何とかなるもんだな……成功したのは初めてだ……」
激戦地に一人、馬謖は胸を撫で下ろした。




