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雷子  作者: 三幸
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暗雲 下

暗雲 下


深い山岳地帯に足を踏み入れたことが分かる。日の出が遅く日が暮れるのが早い。すれ違う人々も徐々に少なくなり山に響く劉備軍の足音だけが聞こえる日が何日か続いた。


張飛「あー。あっちに砦があるよー! 劉璋軍のかなー? 早く行こう! お腹空いてるんだ!」


 張飛が先の砦を発見する。


姜維「食いしん坊だな! 張飛は」


張飛「もう! うるさいなあ! 兄ちゃんは!」


馬謖「歩いて来た距離から考えてフ水関でしょう。劉璋殿から出迎えがあるかもしれません」



ホウ統「待て。嫌な予感がする」

 ホウ統の声がただならいことを予感させる。


馬謖「どうしたのですか? 早く行きましょう」

 ホウ統の声に馬謖は先に進むことを促す。


姜維「今まで何度となく味わったこの張りつめた感じは……」


張飛「うん……黄忠も感じてるね」


黄忠「そうねこの感じ……戦で感じるものと一緒です……」


魏延「私も嫌いな匂いがします……」


 武将達は自分達に向けられた敵意を感じ取る。


ホウ統「劉備様。お下がり下さい」


劉備「ええ。そうさせて頂きます」


 ホウ統の言葉に劉備は少し下がる。


姜維「皆さんの言う通りこの感覚は戦で感じるものです。全軍停止します」


 姜維は全軍に停止の合図を送る。戦の感覚……何故それを感じたか。山道と言えど商人など多少の人通りが必ずある。劉備軍の進む道は限られた道だ。


 そしてフ水関の城壁に警護が見えないことや自分達の進む場所が既に前と後ろしかない状況が危険を本能的に知らせた。


姜維「魏延さん、黄忠さん。念の為に退路の確保をお願いします。この山道で襲われると危険です」


「分かりました!」

 黄忠と魏延が後方に向かう。


馬謖「待て姜維! 劉璋殿に無礼であろう!」


ホウ統「馬謖! 今は姜維の言う通りにしろ! お前は何も感じないのか!」


姜維「馬謖君落ち着いて。外交よりも劉備さんの命に重きを置きます。それが僕の采配です」


劉備「姜維君ありがとう。ですが私は自分の身は自分で守るつもりです」


黄忠「『僕の采配です』か……その言い回し少し素敵ね」


馬謖「くっ……」


  前方の砦の城門が開き劉璋軍が向かってくる。後方からは劉璋軍の伏兵が迫る。


劉備「これは……!」


姜維「敵襲です! 停止したことでこちらが気付いたと思ったようです!」


馬謖「馬鹿な! 何故、劉璋軍が襲ってくる!」


姜維「馬謖君まずはこの状況を打破しよう! 魏延さん、黄忠さん、後方の敵を抑えて下さい!」


黄忠「分かりました! お任せ下さい!」


魏延「はい! 頑張ります!」

 姜維の指示に黄忠と魏延は張り切る。


ホウ統「嬢ちゃんは砦からの部隊を迎撃!」

 

張飛「うん!」


ホウ統「姜維! 前線で嬢ちゃんを支えるんだ! 劉備様は中央に展開し援護をお願いします!」


「分かりました!」

 姜維と劉備はホウ統に応える。


馬謖「前代未聞だ!! 前線で戦う軍師など聞いたことが無い!」


ホウ統「馬謖! 机上だけの知識で戦を測ると身を滅ぼすぞ!」

 ホウ統が馬謖を一括する。


黄皓「どうなっているのだ! この軍は! 話が違うぞ」

 黄皓は突然の戦い慌てる。


 張飛と姜維は兵を率いフ水関からの劉璋軍の迎撃に向かう。


姜維「張飛! 前に出すぎないように! 劉備さんを守ることを最優先にしてくれ!」

 

張飛「分かったよ兄ちゃん!」


姜維「ここは張飛と僕で抑えれるけど後ろが心配だ」


張飛「ん? 魏延がいるじゃんか? 兄ちゃん魏延なら大丈夫だよ張飛が保証するから」


姜維「そうか……張飛がそう言うなら大丈夫だね!」


 姜維は張飛が認める魏延の強さを信じることにした。砦から向かって来る軍は正面から劉備軍を襲う。本来、敵を攻撃する場合横を突くことが不利な相手には有効だ。今の場合、強さだけで言えば劉璋軍は劉備軍の……いや張飛の敵ではない。張飛の前に立つものは草を刈るが如く身体を切り裂かれ死体が積みあがる。


 張飛の脇を抜けていく者も姜維の剣の前に命を落とした。兵達も二人の活躍に続いた。


ホウ統「流石は譲ちゃんだ。姜維もしっかり援護しているな。ふふふお似合いの二人じゃないか」


劉備「おやっさん。魏延さんと黄忠さんが!」


ホウ統「え!?」

 劉備の一言にホウ統は驚いた。


劉備「しっかり戦っています!」


ホウ統「……」

 少し焦って損した気分になったホウ統であった。


 後方では魏延と黄忠が敵の伏兵を迎え討つが……少し揉めていた。


魏延「黄忠ちゃん! 倒し過ぎです! 私のところまで敵が近寄れません!」


黄忠「仕方がないじゃない、弱いんだから。強ければ魏延のところまで来るでしょ?」



 黄忠の率いる部隊は後方の伏兵を完全に足止めしていた。戦の中で最も効率よく安全に命を奪えるのは弓であるが伏兵達は劉備軍と距離を取り過ぎてしまったことが命取りになった。襲いかかるは走ることそれは簡単には止まれないのである。

黄忠は間を読み弓兵は一斉に矢を放つ。黄忠が先に放ち間髪入れずに兵が黄忠の放った矢の角度を参考に放つのである。その絶妙な攻撃は劉璋軍を劉備軍に達する前に躯に変えた。


魏延「もう! もう! 黄ちゃんばっかりずるい!」

 魏延が牛のようにむくれる。


黄忠「分かったわよ……」

 黄忠は攻撃停止の合図の指示を部隊に出す。


魏延「来ました! おやっさん! 見てて下さいね!」


 魏延の戟が振り払われる。伏兵は急襲する為に軽装であった。盾の一つでもあれば良かったのだが……まぁあっても無駄だが魏延の一撃に複数の命が奪われた。


 魏延の部隊が敵を戦い兵達が疲れてくるころ黄忠の矢が放たれる。その度に魏延が牛のような声で拗ねるが黄忠は魏延よりも魏延の率いる兵達を気遣っているだけのことだ。


 劉備は黄忠と魏延の戦いを頼もしく思い。おやっさんは馬謖と共に前方と後方に予備兵を送り出し負傷兵と交代させることで前線を支えていた。


ホウ統「馬謖。そろそろ敵さんはお帰りなるだろう」


馬謖「え? いくら何でも早すぎませんか!?」


ホウ統「本来の作戦はフ水関に入ったところを襲う予定だったんだろうよ。それが見破られたんだ引き際も分かっているさ」


馬謖「それならそれでもっと上手くやればいいものを……頭の足りない連中だ」


ホウ統「そうでもないさ。きっかけを作ったのさ。劉備様に対し明確な威嚇。劉備様がこれで帰ってくれればと思ったんだろう」


馬謖「なるほど。お優しい劉備様の性格を考慮してか……」


ホウ統「だが俺がそんな真似はさせねぇ……」


馬謖「おやっさん……」


 ホウ統の言うとおり劉璋軍は撤退を始めた。劉備軍にほとんど被害はなく一方的に劉璋軍が叩きのめされた。


 劉璋軍の撤退に追撃はせず劉備軍はフ水関に足を進める。『フ水関』益州の都である成都の入り口に当たる重要拠点の一つである。そのフ水関を拠点とし劉備軍は進軍を止めることとなった。






 その夜は皆、劉璋軍の裏切りの話題しか出ることはなかった。


黄忠「何故劉璋軍は私たちに刃を向けたのでしょう」


張飛「劉璋軍から助けて~って言って来たのに何で襲ってくるのかなー。酷いよね!」

 張飛は頬を膨らませる。


姜維「まさか……最初から騙し討ちをする為に援軍の要請を……」


ホウ統「それは考え難い。今は安易に答えを出すべきではない」


馬謖「おやっさん。ここは劉璋軍の誤解を解く為に一度使者を出すべきかと!」


劉備「馬謖さんの言う通りにしてはいかがでしょうか」


 誤解があるなら解きたい劉備は馬謖の意見に賛同した。


ホウ統「それはなりません」


馬謖「一体どうしてですか! 必要の無い戦いかも知れません!」


姜維「おやっさん。使者を出しても和睦のふりをされて襲われる可能性があると言うことですか?」


ホウ統「察しが良いな。その通りだ。援軍要請からの今回の襲撃……あちらさんはもうやる気満々だ。劉備様の姿だけは絶対に避けなければならん。その為なら嘘なんざ屁とも思わないだろうよ」


劉備「そんな……一体、何故こんなことに……」


ホウ統「……」

 劉備の問いにホウ統は敢えて口を閉じる。


馬謖「いくら鳳雛と言われたおやっさんでも流石に今の劉璋軍のことは分からないか……」


姜維(おやっさんには理由が分かっている。しかし、劉備さんに話せないことなんだ……)

 姜維はホウ統の心中を察した。


ホウ統「劉備様……今後の進退ですが一晩時間を下さい」


劉備「分かりました。ではその様にして下さい」


姜維「念の為、奇襲に備えますか?」


ホウ統「いや。奇襲は無い。それより軍を休めてくれ……それと後で話がある」


姜維「分かりました」


 ホウ統による休息の指示により軍はそれぞれの夜を過ごすこととなる。


 山の気温は一気に低くなる。フ水関は寒さを凌ぐ為の焚火が至る所で起こされた。同時に炊事も行われ一時の休息に息をつく。


 フ水関の片隅で一人、焚火で暖を取る黄忠。火に槇をくべ、明りで矢じりを研ぐ、黄忠は胸元にはいつも糸と矢じりを研ぐ為の指一本分の金砥ぎが収められていた。

 

 弓を扱う者として矢は消耗品である。一人で黙々と進められるその作業は黄忠の日課とも言えるものであった。


張飛「黄忠ー!」

 一人でいる黄忠に張飛が駆け寄る。


黄忠「いきなり何ですか?」


張飛「何か寂しそうだよー」


黄忠「寂しそう? 私が? そんなことありえません」


張飛「えー。そんなことあるよー。一人で地味なことしてるしさ」


黄忠「じっ地味って……明日から始まる戦いの為の準備です! 弓を扱う者は何かと忙しいんです! 勝手な解釈で寂しそうなんて言わないで下さい!」


張飛「ふーん。それって一人でしなきゃ出来ないものなの?」


黄忠「そんなことありませんよ……別に……」


張飛「じゃあ張飛がここに居てあげる」


黄忠「お好きにどうぞ。邪魔だけはしないで下さいね」


 張飛は黄忠が矢じりを作るのを眺める。黄忠はそんな張飛の視線を受けながらも黙々と作業を進める。


張飛「うまいもんだね。そんな細かい作業、張飛は苦手だな」


黄忠「ちょっとしたコツがあるだけです。慣れれば誰にでも出来ます」


張飛「じゃあ。一個作ってみようかな……」


黄忠「矢じりを結ぶのは難しいから研ぐのをお願いします」


 張飛は矢じりを金砥で研ぎ始める。ギコギコ音が張飛によって奏でられる。


 それからどれ程の時間が経っただろう。黄忠は自分で研いだ矢じりを矢の先に結びつけることが終わった。黄忠は張飛を見る。渡した一個の矢じりを一生懸命研いでいる。初めはギコギコとした音が今はシャッシャッっと滑らかな音に変わっていた。


黄忠「張飛殿。そろそろいいのでは?」


張飛「うん? そうなの? どこまで研げばいいのか分からないからずっと続けちゃったや。これ結構、黙々とやっちゃうね」


黄忠「そうなんです。だから一人の方がいいんです」


張飛「ちょっと納得」


黄忠「さっきの話ですが……張飛殿は寂しいと思うことはないのですか?」


張飛「うん。兄ちゃんも皆いるしも」


黄忠「兄ちゃん? ああ姜維殿のことですね」


黄忠「劉備様と関羽さんは分かりますが姜維殿まで入っているなんて意外です」


張飛「うん。兄ちゃんは張飛の物だからね」


黄忠「張飛の物って! どういうことですか!」

 黄忠は張飛に食ってかかる。


張飛「だって張飛が拾ったんだもん。だから張飛の物なんだー」


黄忠「何となくですが……お二人の間に特別な関係は無さそうですね」


張飛「あれれー? 黄忠ってもしかして張飛と兄ちゃんに妬いてるのー?」


黄忠「違います! 私はただ! ただ……そういう関係に免疫が無いだけです!」


張飛「そういう関係って? 兄ちゃんが張飛の飼い犬ってこと?」


黄忠「かっ飼い犬!? とにかく私は寂しくなんかありませんし妬いてもいません!!」

 黄忠は全力で何かを否定する。


張飛「黄忠、これ研いだやつ渡しとくね。さてと張飛疲れちゃったからもう寝よう」


黄忠「あ……ありがと……」


 張飛は研いだ矢じりを黄忠に渡し寝所に向かった。


黄忠「あれだけ時間をかけて一個かしか研げないなんて不器用もいいとこね」


 黄忠は矢じりに目を向ける。


黄忠「え!? 何これ!? 付け根しか残ってないじゃない!? 鉄ってこんな短時間でここまで磨り減るものなの!? ふふふ……おかしい……いいわ、これはこれで記念に取っておきましょう」


 張飛の研いだ矢じりは矢じりの形ではなくなっていた。黄忠は矢じりの付け根の部分だけになった物に紐で結び首から下げた。








 フ水関の城壁の上でホウ統は月を肴に一人酒を飲んでいた。普段、何げない月も山奥では真っ暗な視界を照らす貴重な光となる。ホウ統はそんな月の恩恵を受け何とか零さずに酒を杯に注ぐ。


ホウ統「姜維。来たか」


 ホウ統は姜維が近づいてきたことに気付く。


姜維「随分と探しましたよ……今回の急襲の理由ですね」


ホウ統「そうだ。劉備様には言い難いことだ」


姜維「だと思いました」


ホウ統「うむ、呉のことだ。呉から南荊州を横取りした形になってしまった。それが劉璋軍裏切りの理由だろう」


姜維「やはりそうでしたか。益州が劉備軍に奪われると考えた者がいたということですね」


ホウ統「そういうことだ。たく……変な方向に深読みされちまったよ」


姜維「今後どうしますか? 斥候の報告によれば劉璋軍はフ水関関と成都を結ぶ綿竹関に閉じこもっているようです」


ホウ統「通行止めね……益州は山岳の迷路だ。このまま進んでもどこでどう背後を取られるか分からん。部隊を二つに分ける」


姜維「部隊を二つに……ですか?」


ホウ統「劉備様の本隊にはこのまま成都を目指して貰う。俺は少数で索敵を兼ねて、益州の地理を調べねばならん」


姜維「おやっさん。少数で大丈夫ですか?」


ホウ統「索敵は少数の方が効率がいい。大軍で移動しても見つかるだけだ」


姜維「分かりました。ですが一応、最低限の護衛を……」


ホウ統「大丈夫だ。待ち伏せさえされなけば逃げ切れるさ。それに劉璋軍にそこまで頭の回る奴はおらんよ……さぁ。明日に備えて寝よう」


姜維「はい」


 ホウ統と姜維は城壁を降り明日の為に休息をとる。



 二人が去った後、城壁の上の物見小屋の戸が開く。


黄皓「成る程、部隊を二つに分けるのか……良いことを聞いた……」


 ホウ統と姜維の話を影で聞いた黄皓。偶然にその場に出くわした。


黄皓「このことを劉璋軍に伝え劉璋に仕えさせて貰いましょう。田舎者の劉備よりは余程ましでしょうに……街道を進んだ所にいるようですし……難なく到着出来そうですね」


 黄皓はフ水関を出て暗い道のりを月明かりを頼りに綿竹関へ走る。


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