長坂の戦い 下
長坂の戦い 下
劉備の元へと猛追する曹操軍は長坂、唯一の崖にかかる長坂橋に差し掛かろうとしていた。
満寵「惇姉。あれは……」
夏候惇「張飛ね。橋の前に一人でいるなんて……この大軍相手にそんなことを思いつくなんて、あの子らしいわ」
民を蹴散らし夏候惇達は橋の前で一人立つ張飛を見つける。
満寵「惇姉どうします? 弓で射殺しましょうか」
夏候惇「それで討てれば苦労はしないわ。力押しの一点で疲れたところで討たせてもらう」
満寵「ではそのように……」
満寵は攻撃の合図を出す。曹操軍が張飛に襲い掛かる。
張飛「えへへー曹操軍来ちゃったねー。久し振りに本気出そうかなー弱いもの苛めは良くないけど曹操軍にはいいよねー」
長坂橋で曹操軍を待ち受ける張飛は周りに味方がいないことで遠慮せず戦えることに喜びを感じていた。
張飛「民に手をかけたこと……そんでもって、張飛を本気にさせたこと……死んで詫びてね」
可愛く笑う張飛は蛇矛を一振りし曹操軍が近づくのを待った。
大きく迂回した張遼達は劉備の目指す港まで後、少しの場所に到達していた。
張遼「賈ク殿! この先の森を通過すれば劉備の元に辿り着けるのか!?」
賈ク「間違いありません! 劉備は漢津口に向かっているはずです!」
張コウ「なら劉備に逃げ場はない! ここで仕留める!」
張遼達は張飛のいる長坂橋を迂回する道のりで劉備を追い詰めていた。軍師である賈クがいたからこその判断で、それは劉備にとって致命傷となる動きであった。
徐晃「あと少し! お願い頑張って!」
徐晃の馬だけが完全にへばり一生懸命に馬を励ます。徐晃の愛斧が余り大きく、負担が大きい為だ。その光景に男達は足手まといだなと感じる。
森の入り口に差し掛かろうとしたその時、一斉に矢の雨が降り注ぐ。騎馬を中心に編成された曹操軍は急停止せざるを得なかった。
張コウ「待ち伏せか!」
賈ク「ここから来ることを読まれた……まぁ当然ですか」
張遼「どうする。このまま騎乗したまま森を抜けるのは危険だ」
賈ク「もし討ち取るつもりなら森の中で討ってでるはずです。だが森に入る前に射るということは私たちから馬を降りさせる為でしょうな」
張遼「なるほど……俺はどちらでも構わない」
賈ク「ここは騎乗したまま抜けたいですね……どうにか早く漢津港まで抜けたいのですが……」
張コウ「敵の思うつぼになっては元もこうもない。騎乗したまま進むのは危険だが俺も賈ク殿の意見に賛成だ」
張遼「だが罠が仕掛けられていれば騎馬は終わるぞ」
賈ク「そこなんですよね……悩ましいですな」
張コウ「このまま行こう……多少の犠牲はやむをえない」
騎乗したまま漢津口に向かおうとした時、徐晃が追いつく。
徐晃「ねぇ! 待って!」
張遼「やっと追いついたか」
徐晃「あのね! この子にお水を飲ませてあげたいの!」
徐晃は自分の乗っている馬を気づかった。
「……」
本気で言っているのかと男たちは心を一つにした。
賈ク「ここは馬を降りて行きましょう」
張コウ「いいのか?」
賈ク「ここで徐晃殿を放っていけば後で何かと面倒だと思います」
張遼「ちっ」
張遼は舌打ちする。
賈ク「進みましょう。安全策なら下馬した方がよいので」
張コウ「それはそうなんだがな……」
張遼「先に行く……」
張遼は騎兵を馬から降ろし森に向かう。
キョウ「先生。本当に良かったんですか? 森の中では騎兵を倒すことは容易なのに」
曹操軍に矢を放ったことにキョウは疑問を持つ。
諸葛亮「仕方がありません。もし森を抜け漢津口に曹操軍がいれば関羽殿が『間に合わなかった』と判断し船を着岸しないかも知れませんからね」
キョウ「そういうことか……劉備さんはもう港に到着してるのですよね?」
諸葛亮「ええ。ここが踏ん張りどころです」
劉備軍は向かって来る曹操軍を迎撃せんと待ち構えた。
長坂橋の張飛に既に小隊を幾つか投入した曹操軍は未だに動くことが出来ていなかった。
夏候惇「被害はどれくらいかしらねぇ……」
夏候惇は満寵に聞く。
満寵「化け物……」
張飛の戦いにガタガタと震える。夏候惇の声も今の満寵には届かない。
夏候惇「聞こえてない? 仕方がないか。あんなもん見せられたらね……」
夏候惇は張飛に目を向ける。そこには数百あるであろうか骸が転がっていた。
辺りは死臭で充満し曹操軍の兵の中には吐しゃする者もいた。ほとんどの骸が五体満足ではない。胴から内臓が垂れ手足が転がり顔を潰され脳が漏れる。
張飛「はぁあああ……」
赤く染まる張飛に疲れは見えない目は白目を向き向かってくる敵を容赦なく切り裂いた。
張飛「夏候惇……やろうよ」
夏候惇「……」
夏候惇は応えない。
張飛「夏候惇が相手なら……私……もっと面白くしてあげるから……」
夏候惇「……」
張飛の言葉に夏候惇はまだ何かあるのかと背筋を冷たくした。
曹操「たった一人でこの惨状か……なるほどな先に進めない分けだ」
後続の本体が到着し曹操が状況を察する。
夏候惇「孟徳……」
曹仁「うっひゃぁあああ……すっげ……マジかよ……」
曹仁から驚嘆の声が漏れる。
曹操「橋の前では囲むこともままならん。許チョを連れてくるべきだったな」
夏候惇「そうね。許チョなら何とか出来たかもしれないわね」
張飛「曹操……久しぶりだね」
曹操「ああ。息災であったか張飛」
張飛「ねぇねぇ……私ね。もっと戦いたいの……そこの連中に早く命令してよ。私のところに沢山呼んで……」
曹操「そう思うのなら張飛から来ればよかろう」
囲めば討てる曹操はそう思った。実際、張飛がいかに強かろうが囲まれてしまえば死は免れない。
張飛「うーん。そうしてもいいけどまだ死ねないから……今日はここまでかなぁ……残念」
張飛は曹操軍に背を向け橋を渡る。
満寵「今なら……」
満寵は張飛の背を狙い構える。
曹操「満寵。張飛は油断しておらん。仕留めることは出来んぞ」
曹操は満寵を止め満寵は弓を降ろす。
『ドシャア』
橋が落ちる。張飛が橋を落とした。そのまま張飛は悠然と劉備の元に向かう。その後ろ姿は男気を感じさせた。
曹操「やれやれ……随分とかっこいいことをしてくれるではないか」
夏候惇「孟徳。今はそんなこと……」
曹操「そうか? なら叱咤した方が俺らしいか?」
夏候惇「そうね。でも張飛が男ならあの去り方は痺れるわね」
曹仁「そうか……橋落とすとかっこいいんか……」
「……」
曹仁の周りの者は口を閉ざした。そこじゃねーよ……心の声が曹仁以外に聞こえる。
キョウ「くっ! 駄目だ! これ以上防ぎきれない!」
張遼、張コウ、徐晃がと白兵戦が森の中で繰り広げられていた。
劉備「キョウ君! 諦めては駄目です!」
キョウ「劉備さん! 何故ここに!」
後方にいるかと思った劉備が現れキョウは驚いた。敵の数に押され徐々に下がる危険な状況に劉備はジッとしていられなかったのだ。
徐晃「やっと出てきたわね劉備!」
劉備を誰よりも早く見つけた徐晃の言葉に曹操軍が反応する。
張遼「そこかに居たか!」
張コウ「張遼! 最後においしいところを一人で持っていこうとするな!」
張遼と張コウが劉備に襲い掛かる。
徐晃「私が先に見つけたんだからぁあああああ!」
手柄を横取りされると思った徐晃の悲痛な叫び響き渡る。
キョウ「くっ!」
キョウは劉備の前に立ち張遼と張コウを迎え討とうとする。
張遼「その勇気! 認めてやろう!」
先に張遼がキョウに襲い掛かる。
何者かが森の中を疾走する。
張遼「ぐぁ!」
張遼の肩に槍が刺さる。突然のことに張遼は事態を把握出来ない。
趙雲「張遼。先ほどの礼だ」
騎乗した趙雲が現れる。
「趙雲さん!」
劉備とキョウは叫ぶ。
趙雲「劉備様。参上遅れ申し訳ありません。キョウ、よく劉備様を守ってくれた」
張コウ「くそっ……こんな時に現れるなんて……」
張コウから無念の言葉が出た。それは自分達が下馬し趙雲は馬に乗ったまま。
これがどれ程の不利をもたらすか分かっていた。
張遼「はははは! そうだ! 忘れていたぞこの痛み!」
張遼は趙雲に切り掛かるが趙雲は簡単にその攻撃をあしらう。
趙雲「ふん。馬上の趙雲は無敵だ!」
徐晃「私の前で無敵を語るなんていい度胸ね!」
徐晃は自称『不敗将軍』異名を持つ。そのことに趙雲の同じような意味を持つ無敵の言葉に反応する。
キョウ「趙雲さんが来てくれて何とかなりそうだけど……まだいけるか……!」
張飛「張飛はまだ戦うよー」
張飛が現れる。
劉備「飛ちゃん! その姿……そんなになるまで……」
返り血で真っ赤に染まる張飛に劉備は驚く。
趙雲「劉備様! ここは危険です! 早くお逃げ下さい!」
劉備「趙雲さん! あなたまでそんな傷をおっているのに……私は決めました! あなた達がここまで身を挺して戦っているのに私だけ逃げるわけにはいきません!」
趙雲「それはなりません! 自分達は劉備様の築こうとする世を実現するべくして戦っているのです! お気持ちは嬉しいのですが自分達の気持ちも汲んで頂きたいのです!」
劉備「趙雲さん……」
趙雲の言葉が劉備の思考を正常にする。
張コウ「張遼。傷は大丈夫か?」
張遼「なんともない。気づかいは無用だ」
徐晃「当たり前じゃない! 私は無敵なんだから!」
張コウ「お前には聞いていない」
徐晃「細かいこと気にする男ね」
趙雲、張飛の登場に張遼の負傷は曹操軍の士気を一気に下げる。圧倒的な戦力差に兵士達は命を落とさない安全な戦いと甘い考えがあり、命を出し惜しみし動けなくなっていた。
賈ク「何をしているのですか! 敵大将は目の前です! ここで劉備を討てば三代に渡り生活の保証を約束します!」
賈クが士気を高めんと叫ぶ。
張遼達は賈クの言っていることは分かってはいるが趙雲と張飛が現れたことで簡単に倒せる状況ではないを理解していた。兵士達も賈クの鼓舞に動く気になれなかった……死んでは元も子もない。
諸葛亮「劉備様! こんな所に! 関羽殿が港に到着しました。急ぎ撤退を!」
孔明が関羽の到着を知らせる。
劉備「雲ちゃんが! では!」
諸葛亮「はい。間に合いました。これで呉に亡命できます」
キョウ「たっ助かったのか……」
趙雲「張飛。我らの奮迅が実を結んだな」
張飛「へへへ。そうだねー」
劉備「では行きましょう!」
曹操軍が動けない状況に劉備達は港へ向かう。
賈ク「劉備が逃げます! 早く全軍でっ……つっ!」
突如、賈クは風を感じる。頬から血が流れ鈍痛とも言える僅かな痛みを感じる。
張飛「お前うるさい」
張飛が槍を投げたのだ。賈クは僅かにズレていたら即死していたかも知れないことに肝を冷やし腰を落とす。結果、曹操軍は劉備が逃げることを見送ることしか出来なかった。
諸葛亮「キョウ。大丈夫ですか?」
キョウ「大丈夫と言えば大丈夫ですが」
諸葛亮「が?」
キョウ「僕は曹操が許せなくなりました。同時に劉備さんの作る世が見たいと強く思います」
諸葛亮「私達が何故劉備様の元に居て、曹操軍と戦うのか……そのことを解って貰えたのは私にとっても嬉しいことです。そして呉に向かうのは単に亡命する為ではありません。同盟を結び共に曹操と戦う為に向かうのです」
キョウ「共に曹操と戦う……呉は曹操と戦えるほど大きい国なのですか?」
諸葛亮「いえ、呉だけでは曹操に抗う術はありませんが劉備軍と共に戦えば勝算は全くないという訳ではありません。私は呉の使者として建業に向かいます。キョウも一緒に来て下さい」
キョウ「はい先生!」
走る孔明とキョウは関羽が手を振る船に向かい走った。疲労困憊の将兵もまた最後の力を振り絞り船に乗り込む。趙雲と張飛は生き残った味方が全て乗り込むまで船に乗ろうとせず最後までしんがりを務め船に乗り込んだ。
劉備を目前にし指を咥えて見ることしか出来なかった曹操軍は帰り支度を初めていた。
張遼「賈ク。立てるか?」
張遼は賈クの腕を持ち上げようとする。
張コウ「分かっただろ。そう簡単にはいかないんだよ……」
賈ク「まさか……あの距離から狙ってくるとは……」
徐晃「私だって出来るわよ」
張コウ「ならやってみろよ」
徐晃「見てなさい!」
徐晃が槍を投げるが手を放すのが遅れ数歩先に槍が刺さるのではなく転がった。
「……」
男たちはまたも心を一つにした『さぁ帰ろう』と……。
徐晃「ちょっと! 今のはなし! 槍じゃなくて斧だったら大丈夫だから!」
男たちは徐晃の言うことに耳をかさず歩を進める。
徐晃「でぃや!」
徐晃が斧を投げる。だが誰も見ていない。
徐晃「ねぇねぇ! ちゃんと飛んだわよ! ねぇったらねぇ!」
徐晃は追いかける。徐晃の投げた斧は大木に深く切り込んでいた。その大木は徐晃が去った後メキメキと音を立て倒れることなる。
劉備が逃亡に成功したことは曹操の耳に届けられた。
曹操軍兵士「報告します。劉備が船にて逃亡致しました」
曹操「劉備を逃がしたか……」
満寵「曹操様。追撃なさいますか?」
曹操「いや。亡命先は呉だろう。荊州を手中に収めた。今はそれで十分だ」
満寵「分かりました」
曹操「惇! 水軍の用意だ。圧倒的な戦力で呉を攻める」
夏侯惇「分かったわ」
曹操は劉備に止めを刺せなかったことに多少の悔みこそあれど荊州を獲得したことに上機嫌であった。そして今は南の大国『呉』との決戦に備えることを一番と考えた。




