長坂の戦い 上
長坂の戦い 上
曹操軍の追ってを振り切るために劉備達は呉を目指す。
呉は南方の一大勢力であり唯一、曹操と戦えるだけの軍事力を持った勢力だった。
諸葛亮「劉備様。かなり遅れてしまいましたが出発の準備が整いました。今から出発すれば十分、曹操からの追撃を振り切れます」
襄陽を脱出した劉備軍は僅かな兵を率い呉を目指す準備が整い出発しようとしていた。
劉備「わかりました。直ぐに出発しましょう!」
キョウ「劉備さん! 大変です! 我々が呉に向かうことが民に知れ渡り物凄い数の民が劉備さんに付いていこうと集まっています!」
劉備「!」
劉備は予想だにしていない状況に驚きを隠せなかった。
諸葛亮「今は火急の時です。曹操軍の狙いは劉備様。ここは我々だけで向かいましょう」
劉備「孔明! 私は……私を信じてくれた民を置いては行けません!! 私を信じてくれた民を……曹操が手を下さずにいる訳がないのですから……」
諸葛亮「分かりました……では、キョウ、張飛殿、趙雲殿に伝えます。民を守りながら進軍します。大幅な遅れが出るでしょう。劉備軍の主力を後方に移し、曹操から民を守ることに重きを置いて下さい」
孔明は淡々とした口調で指示を出した。
キョウ「はい!」
趙雲「分かりました。民を襲う者共には死を以って思いしらせてやりましょう」
張飛「うんうん! また戦うんだね! 頑張るよ!」
キョウは快諾し趙雲と張飛はやる気に満ち溢れている。
劉備「孔明……私の我が儘で……」
諸葛亮「いえ。そんな劉備様ですから、私もお仕えするのです」
本来であれば民など見捨てるべきだ。孔明は分かっていたがここで民を見捨てることは劉備が劉備でなくなる。それは対曹操への劉備の武器である大徳が失われることだと知っていたからだ。
襄陽の南部から南方の大国呉を目指す劉備たちは多くの民を引き連れ長江を目指す。民の多くが曹操の為政に恐怖を感じ劉備を追う。劉備に無いものは領地のみ。それこそが曹操が劉備を警戒する理由だ。長蛇の列は数万の人で織り成す龍となり劉備の大徳が如何に壮大なものかを知らしめることとなる。
そして曹操軍の先陣が劉備軍を目視出来る位置まで到着しようとしていた。
張遼「劉備軍に追いついた……」
張コウ「夏侯淵殿の足止めか……我らの強行が功を奏したのか……」
徐晃「さっさと終わらせましょう。本番は呉との戦いなんだから」
崖の上から曹操軍の張遼、張コウ、徐晃が劉備軍を見下ろす。
徐晃は元から曹操の武将だが張遼と張コウは違う。中華一の強さを誇る者は誰か……以前であれば誰もが口を揃えて言う者がいた。『呂布』である。張遼は呂布の強さに憧れ呂布の一翼を担い曹操と戦ったが呂布が敗れその時に呂布の後を追うつもりであったが曹操から呂布を超える者になれと言われたことにより曹操の配下となった。
張コウは河北の袁紹の元で仕えた武将だ。曹操の好敵手として曹操の何倍もの兵力を持ち袁紹に窮地に追い込まれたが敵の兵糧庫の襲撃に成功し袁紹を打ち破った。袁紹の元で張コウは冷遇されており不憫に思った曹操は張コウを温かく迎え入れた。それは曹操が認める数少ない武将の中の一人だ。
張コウ「何だあれは? 劉備を慕う民のようだが……」
徐晃「そのようね。劉備……まさか民を盾に逃げようとしているの!?」
張遼「いや。それはないだろう。しかし……やりにくい」
この三人は生粋の武将でそれぞれ武の高見を目指す。民に手を掛けることなど恥でしかないと考える。
徐晃「ここは劉備軍のみを叩きましょう」
張コウ「それでは劉備を逃がしてしまうかもしれんぞ?」
張遼「俺の武は強き者を葬る為の武だ。民に手を下すなど出来ん」
張コウ「それは俺も同じだ……幸い劉備軍には殿がいるようだ。まずはあいつらから始末するか」
徐晃「決まりね! 張遼! 張コウ! 私に付いて来なさい!」
徐晃は馬を走らせた。どこか自分が一番と思っており仕切るたがる面があるが……まぁ頭は弱い方なのかもしれない。
張コウ「張り切ってるな」
張遼「少し間を置いて行くか……あいつに付いていくのは癪だ」
張遼と張コウは徐晃の後ろ姿にやる気ではなく違う何かを感じ取った。
劉備軍の行軍は非常に緩やかなものとなり長い列を作っていた。
趙雲「やはり遅い……民を率いることは重々承知していたが……」
張飛「その為に私たちがここにいるんでしょ趙雲」
趙雲「うむ。自分が心配しているのは遅れが出ている民の殆どが足腰の弱い老人ばかりだということだ」
キョウ「老い先短いからこそ残った余生を劉備様の元でと……先ほど話しておりました」
趙雲「そうか……よくぞ自分にそのことを話してくれた……これであの向かってく曹操軍から必ず守ると強く思える」
趙雲が後方を眺める。
「!!」
張飛とキョウは振り返る。そこには砂塵を巻き起こし曹操軍が向かって来る。
民の多くが荷を捨て悲鳴を上げ走って逃げる。趙雲、張飛、キョウの三人はその民が逃げる姿に『無事に逃げて欲しい』と願い背を向け曹操軍を睨む。
趙雲「キョウ。敵将は自分と張飛に任せ、敵兵が抜けないようにするんだ」
キョウ「分かりました! 一兵も抜かせはしません!」
張飛「兄ちゃん。今度ばかりは……守ってあげられないね」
キョウ「ありがとう張飛。大丈夫、僕は負けないよ。張飛と趙雲さんに散々鍛えられたんだから」
張飛「そうだよね! まだまだ鍛えてあげるから!」
何気ないその会話は二人にとっては共に生き残ろうとい誓いに等しかった。
趙雲「さぁ行こうか張飛」
張飛「うん」
張飛と趙雲の部隊は曹操軍に向かう。
キョウは曹操軍を止める為に横陣の構えを兵達に指示した。目の前の敵に趙雲の姿が敵の中に入ったことが分かった。まるで曹操軍は重い刃を打たれた様に趙雲の作った裂け目から陣形を崩す。間も無く曹操軍の先方が吹き飛ぶ光景が入ってきた。張飛があそこにいる……直ぐに分かる光景だ。
僕もあそこに……共に戦いたいと思うがそれはどこまでもいっても願望であってあそこに行っては間違いなく命を落とすことは分かっていた。だが、趙雲と張飛の姿は既に見えない敵陣に飲まれ安否が分からない状態になっていた。ただ分かるのは曹操軍がここに向かってこないことはまだ生きているということだ。
キョウはその光景を見て自分で無力であることの虚しさと趙雲と張飛の死を恐れず大軍に向かっていったことへの尊敬の念が生まれた。キョウは誰かの命を奪うことに慣れている分けでもない。自分が戦わなければ後方で逃げる民が命を落とす。そのことがキョウを初めて一人の兵士として自覚させた。
曹操軍の一部の騎馬兵がキョウに向かって来る。キョウはその兵が民を狙うことよりもキョウがいる部隊を狙っていることに気が付いた。
キョウ「曹操軍が来ます! 正面に立たちぎりぎりの所で一度左右に避けてください!」
兵達に指示をするキョウ。騎馬隊はキョウの部隊の中央に突進するがキョウの指示に従い兵は騎馬隊をぎりぎりの所で避ける。
キョウ「横槍! 突けぇ!」
キョウは叫ぶ。曹操軍の騎馬隊はキョウの部隊を抜ける瞬間に左右からの横槍に
よって倒される。先方の騎馬隊が倒されことで後続の騎馬隊は急に止まれず馬が倒れ多くの曹操軍は落馬した。
キョウ「今だ! 行くぞ!」
キョウの号令により落馬した曹操軍は立ち上がる前に槍で刺され剣で首を刎ねられた。騎馬は直ぐには止まれない。そして騎馬の弱点は左右から挟み撃ち……趙雲から教えてもらったことだ。だが全ては討ち取れない。立ち上がり武器をもって向かってくる曹操軍にキョウは向かっていく。最も近い敵にキョウの剣が型から斜めに敵兵の体に振り下される。初めての感触。山賊頭を討った時とは違う感覚を感じた。
剣が骨を割り肉にめり込む感覚。キョウは直ぐに剣を引き抜き次の敵に向かっていく。一人殺しても次がいる……致命傷を与えれば人は動かない。これは張飛は教えてくれたことだ。新兵が多く命を落とす理由に一人殺してそれで油断することが多いという。
キョウ張飛と趙雲の訓練で敵兵がそれ程恐ろしくは感じていなかった。キョウの活躍に他の将兵も負けずと奮戦する。敵の騎馬隊をほぼ打ち倒すことに成功した。
キョウは趙雲と張飛が戦っている場に目を向けた……そこには張飛と趙雲の姿……いや戦っているかも知れないが二人が連れていた将兵がどんどん討たれていく光景が目に入った。
キョウ「張飛……趙雲さん……」
二人の名を口にするキョウ。キョウは将兵を率い趙雲と張飛の元へ救出に向かう。
「うおぉおおおおお!」
キョウ率いる将兵が曹操軍にぶつかる。乱戦である。どれだけの時間が経っただろうか時間にして数分だがキョウにとってはとてつもなく長い時間に感じた。先ほどまで隣にいた仲間の兵はいなくなり新たな仲間の顔も気が付けば地に倒れている。
キョウの服は敵の血と仲間の血で赤く染まっていた。全滅……誰もがその言葉を頭に過らせた。
劉備軍兵士「キョウ殿! 敵の馬を一頭奪えました! 劉備様の元に行ってください!」
キョウ「そっそんなことできません!」
突然の兵の言葉にキョウは驚く。
劉備軍兵士「あなたはまだ若い。こんな所で死んではなりません」
キョウ「!」
初めて兵に気遣われた……いや、兵からの愛情を感じた。孔明から言われたことが頭を過る。『兵に愛される武将となりなさい。そして兵を愛しなさい軍略を目指す者の基本です。そして兵を見捨てる勇気と兵を生かす力を持ちなさい。』この言葉はまるで今、自分がこの決断を迫れる為に教えてもらったのかとキョウは思った。
劉備軍兵士「さぁ。早く……」
兵はキョウに手綱を渡す。
キョウ「ありがとうございます……僕はあななた達のことを……!」
劉備軍兵士「劉備様をお願いします。そして民を守って下さい」
キョウ「くっ……」
キョウは涙を堪える。その時、馬が急に走りだした。兵が馬の尻を叩いたのだ。キョウは振り返る……キョウを守ろうと曹操軍を抑えようとする兵達を……。
だが残酷にもその兵達は槍で貫かれ首を刎ねられ力尽き倒れていく。キョウはその光景を目に焼き付け馬を走らせた……曹操軍と劉備軍の初戦は曹操軍の圧倒的な数の暴力の前に敢え無く敗れる。
劉備軍の兵を全て倒した曹操軍は一時的に休息をとっていた。
張遼「趙雲と張飛か。中々やりおる」
徐晃「はぁはぁ……そっそうね! 中々やるわね……私達が仕留め損ねるなんて……」
徐晃は息を切らしながらも強気な発言をする。
張コウ「徐晃。息が上がってるぞ。それに中々やるどころじゃない。あいつ等べらぼうに強い」
張遼、張コウ、徐晃の三人は張飛と趙雲に掛かりっきりになっていた。張遼は張飛と何合か打ち合うも押され徐晃や他の将兵が張遼を助けていた。張コウも趙雲を相手にするがその強さにい引き付けることで精一杯だった。
張遼「張コウ。随分弱気だな」
張コウ「お前は確かに強い。しかし張遼と比べても張飛と趙雲は引けを取らない」
徐晃「ふん! 張飛と趙雲なんて!」
徐晃が口を挟む。
張遼「張コウ……お前の言う通りだ。張飛と趙雲は只者ではない。俺の悪い癖だ」
徐晃「えっ?」
張遼の肩を持ったつもりだったが張遼があっさりと認めたことで拍子抜けた。
張コウ「徐晃、お前さんは張遼に張り合おうとしすぎだ。無理しなくていいんだぞ?」
徐晃「だっ誰が張遼となんか張り合うもんですか! それに無理なんてしてない!」
徐晃は張コウに吠える。
張コウ「はぁ。以前見たことがある光景だ……顔良と文醜のやり取りを見てる気分だ」
徐晃「あんた! 元々袁紹の配下ってのは分かってるけど顔良と文醜とべるってどういうことよ!」
顔良と文醜は袁紹の看板武将で、その勇猛さは曹操軍を恐怖に叩き込んだ。その時に曹操は関羽を客将として迎えており関羽は一時の恩から顔良と文醜を討ち曹操にその恩を返したことがある。
張コウ「あいつらも良く無駄に競い合ってたからな」
張遼「しかし随分と劉備と距離が開いてしまったな……」
張コウ「あぁ。張飛と趙雲二人に手間取ったからな……」
趙雲と張飛は曹操軍の激闘の末、退却していた。張遼達も被害の大きさから追うことを止めた。
徐晃「これからどうする?」
張遼「どうしたものか……」
張コウは二人が話し合うことに溜息を付いた……どちらも我が強い。話しをしてもまとまるものかと思った。
賈ク「ふー。やっと追い着いた」
賈クが現れる。
張遼「賈ク……」
徐晃「なんだ。賈クか」
張コウ「賈ク殿! 良い所へ来て下さった!」
張コウは話をまとめる者が現れたことに喜んだ。
賈ク「皆、冷たいですねー。温かく迎えてくれるのは張コウ殿だけですか……」
徐晃「うるさい! 元々曹操様の首を狙い重臣典韋を殺したお前と馴れ合う気などない!」
賈クは曹操暗殺時に典韋の命を奪った経緯がある。
賈ク「やれやれ。器量の小さい方だ……大きいのはその無駄に大きい胸だけですか?」
徐晃「あぁ!? 無駄に大きいとは何だ!」
徐晃は夏候惇に劣らないその身体を馬鹿にされ怒る。
徐晃「張遼! 張コウ! 私の胸は無駄に大きいわけではないって言ってやって!」
張コウ「何で俺たちに同意を求めるんだ。賈ク殿に言えばいいだろう」
張遼「……」
張コウは応えるが張遼は相手にしない。
賈ク「ここにいるということは、あなた達は自分の置かれている状況が分かっていませんね」
張コウ「どういうことですか?」
賈ク「曹仁殿と同じ過ちを犯していると言うことですよ」
徐晃「あの馬鹿と?」
賈ク「あなた達は劉備を討つことが目的ですが己の武人としての誇りを優先し劉備を討ち損じようとしている」
徐晃「我らの誇りを曹仁と一緒にするな!」
賈ク「徐晃殿。曹操様は劉備を逃すことはイタズラに乱世を延ばすことになるとお考えになります」
徐晃「では賈クは民に手を下せと言うのか!」
賈ク「そうです。そして曹操様もそうするでしょうな」
張遼「……」
張遼は賈クを睨む。
賈ク「張遼殿。納得がいきませんか? 己の責務を果たすことは時には非情になることも必要でしょう……よく考えて下さい。戦う目的は一体何なのかを……」
張遼「賈ク……いや賈ク殿、ご指導ありがたく思う」
張遼は賈クに何かを気付かされる。
張コウ「我らはこれよりどうすれば良いのでしょうか?」
賈ク「迂回し劉備軍を追いかけましょう。後続もじきに着きます。我らが先回りに成功すれば劉備に止めを刺せます」
張コウ「分かりました。張遼、徐晃、行こう」
張遼「分かった」
張遼達が馬を走らせる……だが徐晃だけは直ぐに馬を走らせずにその場に留まった。
徐晃「私の胸は無駄じゃないもん……」
徐晃は一人納得していなかった……戦場に一人、心が傷つく徐晃であった。




