第十二話
「それで、結局殴らなかったのですか?」
街中の変哲のない雑居ビルにあるエレベーター内。地下に向かうその空間に、日向とマスクが並ぶ。
彼の問いに、日向はため息混じりに答えた。
「奴を殴って損をするのはオレだ……。縁は切ったけどな」
「いや、さすが。私が見込んだだけはありますね」
エレベーター内にマスクの拍手が響き渡る。不思議そうな顔で彼を見上げると、肩をすくめられた。
「何驚いた表情をしてるんです?」
「いや、てっきり残念がられると思ってた」
「……勘違いしてるようですが、私は世界を守りたいのであって、無差別に一般人を潰せとは思ってないですよ」
違うのかと首を傾げると、彼は続ける。
「偽善者は私も嫌いですが、彼らは潰すべき対象ではありません。潰すべきは偽善者として世界を壊すものです」
「……判断基準が分からん」
「あなたは分からなくていいんですよ。分かってしまったらその時点で私はあなたを殺す。どんな手を使っても」
いつもの飄々とした面影は消えていた。背筋が凍るようなそのセリフに、思わずツバを飲み込む。
目的の階にエレベーターが着いた。短い電信音がしたとあと、ゆっくりと開いていく。
視界に広がるのは、赤い絨毯が敷かれた廊下。等間隔に並ぶ部屋群は、どこかのホテルをほうふつとさせるものだった。
「ここは将来、私たちの組織が使う予定の宿舎です。防犯対策はバッチリでヒーロー協会に追われることもありません」
「私たちの組織って……オレはまだ入った覚えはないんですが」
「ははは、ご冗談を」
「ははは、冗談じゃねぇよ」
日向の言葉にマスクが「えぇ?」って声を漏らす。彼の中ではもう決定事項だったらしい。
これは一度自分の立場を明確にしたほうがいいなと思うのだが、舌戦で彼に勝てる気はしなかった。
「……で、組織って言うけど花梨の他に誰がいるの?」
「雑用をやってくれる人が数名だけですね」
「……つまり?」
「組織と名乗ってはいますが、今はまだ未完成です。言うなれば、学校の同好会みたいなものです」
その言葉に大きなため息を漏らした。そんなんで良くも講釈を今まで垂れていたものだ。
半眼で見上げると、彼は後ろ手を組んだまま背筋を伸ばす。
「逆に問いますが、この活動を理解できる人間や怪人が他にいると思いますか?」
問われ、考え、静かにいないなと答えた。
「そういうことなのですよ」
どこかのらりくらりと躱されただけなのに、妙に納得してしまった自分がとても悔しい。やはりマスクには舌戦で勝てそうにはない。
「それではどれでも好きな部屋を使ってください。鍵はかかっていませんので」
それだけ言うと、彼は奥へと歩いていってしまった。
残された日向は仕方ないなとため息をつく。
少なくともここはアパートよりは安全なのは確かだ。マスクが日向のことを売ることも一瞬考えたが、それはないだろうとすぐに切り捨てた。
彼は怪人だ。日向を売るリスクのほうが高すぎる。
そう考えて、安堵している自分に気がついた。これは気の迷いだと勝手に言い訳して、頭を掻きむしる。
今日はもう休もうと、適当なドアを開けた。
「ようこそ……」
そこには花梨の姿があった。間違えましたと、すぐにドアを閉じる。
すぐに別のドアの前まで行って開ける。
「ようこそ……」
そこには花梨の姿があった。
デジャヴだと、判断しようとして、思考が止まった。
「あの、オレちゃんと部屋移動したよね?」
「日向の今の【正義】は私がここにいるはずがない……だから」
その言葉を聞いて、理解した。つまり、花梨は条件提示を自分自身に当てはめたのだ。他人の花梨に抱いた常識は、必ず裏切られるということだ。
改めてとんでもない能力だなと思う。見える欠点は、複数に当てはめられないことくらいだろうか。
「それで、何か用なのか?」
「……分かるの?」
「能力使ってまで会いに来てるんだから、用がない方がおかしいだろ」
「それも……そう」
ぴょこぴょこと彼女が近づいてくる。突き出すようにして、写真を見せてきた。
「次の標的」
そこに映っているのは一人の少女。
「放っておくと、Z級が生まれる」
「ちょ、ちょっと待って?」
「うん……待つ」
映っている少女をもう一度しっかりと確認する。そして見間違いではないことを見てから、花梨に目を合わせた。
「……これ、本当に合ってるの?」
「うん……合ってる」
そこに映っているのは見知った少女──玲香の姿だった。
写真の中の彼女は、そんなことを起こすようには見えない。
これは何かの嘘だと口を開く前に、花梨は言う。
「……結果論は人格と結びつかない」
その言葉は、とても重く感じられた。




