第十一話
日向はビル屋上から見下ろしていた。眼下にいるのは、ドラマ撮影の現場である。
撮影スタッフとともに研究者の服を着ているものが何人か見える。彼らはホーミングを囲み何やら相談している。
撮影現場を囲むように一般人たちが人垣を作っていた。風に飲まれないほどの声援が聞こえてくる。
──何してんだ?
何故ただの撮影に研究者が必要なのか。日向は首をかしげる。
どうにも、マスクの言う通りになっていそうで、良い気はしなかった。
右手に警棒を握る。深呼吸をする。
相手は日本でアイドル的人気のヒーローだ。あの動画配信者の二人とはわけが違う。手を出せば、今度こそ本格的にヒーロー協会が目をつけるだろう。
しかし、放っておけばそれ以上の被害が訪れる。そんな気がしてならない。
これはマスクに言われたからではない。そう心の中で言い訳をして、フードを深く被った。
風の中に身を投じるように、一歩前へと進む。
落下する。重力に従って。
体全体で風を受け止めながら、狙いを済ませる。
──殺す気はない。ただ、少し痛い目を見てもらうだけ。
その内心の呟きは、日向の免罪符になりえたのだろうか? 答えを出すことはできない。
落下中、呼吸は震えていた。警棒を握る手が、自分の意識とは関係なく力がこもった。
しかしもう、一歩を踏み出してしまったところだ。後戻りはできない。
体を空中で回転させて、地面を叩き割るように振り下ろす。ひび割れが起こり、砂煙が高く立ち上る。
周囲の人間がぶっ飛ばされた。一般人たちの悲鳴が聞こえた。それを雑音として斬り捨てる。……斬り捨てなければ、立っていられなかった。
「な、なんだ?」
黒いコードを身体に貼り付けたホーミングがこちらを見やる。
うねるコードは不気味に光、不快感を与えてくる。
「公開実験中止!」
その言葉を聞いて、日向は顔を上げる。横断幕には、ヒーローの力を底上げできるかという企画説明のような文字が書かれていた。
あーなるほどと、日向は理解する。同時にバカ野郎と怒りが湧き上がる。
何回も言う通り、ヒーローの力は異界由来のものだ。それは人知を越えた力と言っても過言ではない。
ただのエンタメのために使用して、成功すると思っているのか?
握りしめた警棒を振り上げた。ホーミングが反応する前に、彼の脚を砕く。
※※※※※※※※※※
『至急至急、警棒を持った覚醒者がヒーローを襲撃。付近のヒーローは見かけ次第始末せよ。見た目は──』
街中に流れる大きな通信に、路地裏にいた日向は苦笑いをする。
もう、これで完全に戻れない。そう思うとおかしくて仕方なかった。
自分は正義を貫いただけだ。結果はどうだ? マスクの言いなりになって、世間の悪役を一手に引き受けることになった。
これが自分の望んだヒーロー像かと問われれば、違うと即答する。しかし、これが望んだ道かと問われれば、答えることはできないだろう。
フードを取って、壁にもたれかかる。空を見上げて、息をついた。
手に残る脚を砕いた感触は、いつまでも取れそうにない。
緊急車両のサイレンが、日向の意識を引き戻した。心臓を整えてから、着ている服を戦闘用の衣装に変える。何食わぬ顔をして、表通りへと戻った。
内心の震えを隠すように、至って冷静になるように努めた。周りから見られているような気がして、心臓の音がはねる。こんな気持ちになったのは、見た目が少女に変わって以来だった。
堂々としていれば、怪しまれない。そんな聞きかじりの犯罪心理学を信じ、呼吸の浅さを隠すように拳を握る。
「よう、日向」
聞き覚えのある声で名前を呼ばれて、体を跳ねさせた。
喜一だ。
「な、なんだよ」
平静を装うとするが、笑顔が作れない。こんなに心から笑うのは難しかったと思うほどだ。
「どうした顔色が悪いぞ? 大丈夫か?」
「なんともねぇよ? で、見限ったオレになんの用だよ?」
「まだあの口論恨んでるのかよ。言葉の綾だって」
彼は軽い調子で笑い飛ばす。日向の肩に手を置いて、顔を近づけた。
「日向もその格好してるってことは、ヒーロー潰しの覚醒者を探してるんだろ?」
「……まぁ、そんなところだ」
「だったらさ手分けしようぜ。捕まえたら賞金が出るんだってよ」
その調子の良い言葉に吐き気を催す。
喜一の顔がぐにゃりと歪んで見えた。
あぁ、こいつは何もわかっていない。その頭の中の声に、「だったら排除すれば良いんですよ」と心の中のマスクが答える。
淡々と賞金獲得作戦を語っている喜一。その彼に気づかれないように手に警棒を取り出す。
頭に狙いを定めて、日向はゆっくりと手を振り上げた。
そして──




