86:取り替えられた相手(エリゼ)
エリゼは「人間族の側室の弟」と紹介された少年――ゼアンを観察していた。
何故か、視線が吸い寄せられる。
それは向こうも同じようで、何かを感じ取っているかのようにエリゼの様子を窺っていた。
向こうはどうだかわからないが、エリゼには心当たりがあった。
(あいつかもしれない。俺の、チェンジリングの相手……こんな、偶然見つかるとは思っていなかったが)
いつになく、心が落ち着かない。
人間族だったエリゼと取り替えられたのは、妖精族の王子。
まだ確証はない。だが……。
(まさか、向こうも王子とはな)
自分をよその赤ん坊と取り替えた犯人は、一体何がしたかったのだろう。
仮に目の前の少年が、本当にチェンジリングの相手だとして、自分はこれからどうしたいのだろうとエリゼは考え始める。
最初はただ、会って相手を確かめたかった。
自分がどこから来たのか知りたかった。
本来の立場に戻るべきか迷った。
だが、今、それらしき相手を目の前にして、エリゼは戸惑っている。
心の中に巻き起こったのは安堵よりも拒絶の心だったのだ。
取り替えられる前の環境に戻りたくないと、妖精族の立場を捨てたくないと望む自分がいる。心からそう思ってしまった。
(人間族は嫌いだ。人間族なんかに、なりたくない)
今更、あんな不自由な立場に戻りたくない
そう考える自分に、言い知れぬ罪悪感も覚えていた。
クリストファーはフィオナと話を続けている。
すると、リロがゼアンに話しかけた。
「こんにちは。私はリロ・リオパールです」
「……」
大人たちをよそに、勝手にお喋りを始めようとしている。
(こいつは……警戒心の欠片もないのか)
何故、リロとクリストファーが人間族の側室やその弟と会うことになったのかは知らない。そこまで興味もない。
ただ、リロがいつになく不審な動きをしていたので、自分の目的のついでに付いてきただけだ。断じて心配していたわけではない。ないはずだ。
だが……。
(立場の割に無防備すぎないか?)
頭は悪くないはずなのに、そういう部分が抜け落ちている。
前にも思ったが、やはり危なっかしい。
「僕は、ゼアン。ピア王国の王子の一人で、今は姉と帝国で暮らしているよ」
ゼアンは控え目に自己紹介した。
「リロ、君と会えて嬉しい。人間族で魔法を使えるのは、僕だけだと思っていたから」
「私も、会えて嬉しいです。聞きたいことがたくさんあったから」
「良かったら君の魔法を見せてくれるかな」
リロは頷き、持ってきていた箒を魔法で浮かせた。
「わあ」
ゼアンの顔が嬉しそうに輝く。
「本当だったんだ」
「ゼアンさんの魔法は?」
「僕が使える魔法は多くないよ。何も知らないから、昔から使える魔法だけ」
言うと、ゼアン自身が宙に浮いた。
「わあ。それがゼアンさんの固有の魔法なんですね」
「固有?」
「特に何もしなくても、最初から使えたり、得意だったりする魔法のことです」
「そうなんだ。うん、僕は赤ん坊の頃から空中に浮ける。生まれたときはそうでもなかったみたいだけど、ある日を境に浮くようになったと当時の乳母が話していたらしい……その乳母は僕を恐れてすぐに辞職したみたいだけど」
「私も、村の人から怖がられたことがあります」
「だよね。君の固有魔法は浮くことではないの?」
「私が最初から使えるのは、ものを砕いて破壊する魔法でした。『粉砕』って呼んでます」
「へえ、便利そうだね。どうせなら僕も、そっちがよかったな」
「加減に注意が必要な魔法です。危ないので」
「そうなんだ。ほかの人を砕いちゃったら事件になるものね」
「そうなんです。ゼアンさんの空中に浮く固有魔法は、まるで妖精族みたいですね。彼らは生まれてしばらくしたら、自由に浮くようになって、そのうち空を飛び始めるそうですよ」
「へえ、羨ましいな。僕は浮くのと、ゆっくり空中を移動するのでやっとだから」
「うーん、飛行媒体があれば安定するかも」
「媒体なるものの存在は知ってる。でも、僕一人で魔法島で買い物できないし……立場上、あまり目立つことも出来ないから。自由に飛び回るのはやっぱり難しいかな」
「……ごめんなさい。そうでした……」
人間族の王族がひょいひょい魔法を使う……なんてことが大っぴらになってはまずいのだろう。帝国側はともかく、ピア王国側としては……。
魔法を使える人間族を利用しようといより、魔法を使える人間族の存在なんて認められないから隠そう、いないことにしよう……というような状況みたいだ。
「そちらの彼は?」
ゼアンがチラリとエリゼを見る。
それを受けてリロがエリゼを紹介した。
「彼は妖精族のエリゼ。彼もアヴァレラ魔法学校の生徒です」
フィオナもゼアンもエリゼについて特に何も言わない。
クリストファーと同じく、エリゼもリロの付き添いの一人だと認識しているようだ。
「そう、不思議だね。初めて会うはずなのに、彼とはどこかであったような感じがする」
エリゼはハッと顔を上げた。ゼアンも同じ認識らしい。
「……お前」
チェンジリングの相手は、会えばわかると言われている。お互いに気が付くのだと。
これがそうなのだろうか。でもそこまでの確証が持てない。
考えながら、エリゼは話しかける。
「幼い頃の姿絵はあるか? 魔法を使うようになってすぐの頃がいい」
「何を言っているんだい?」
ゼアンはきょとんとした表情を浮かべている。
無理もない。こんな質問、自分でもどうかしていると思う
リロがクリストファーに呼ばれて、場所を移動した瞬間、エリゼは声をひそめて彼に告げた。
「俺とお前は、赤ん坊の頃に取り替えられた可能性がある。たちの悪い、妖精族のチェンジリングという魔法によってな」
急にこんなことを言い出したら、相手は変に思うだろう。しかし、確認するのは今しかない。
相手は人間族の側室の弟で後宮暮らし。
再会するには手間が掛かりすぎる。
「君はその、チェンジリングの被害者だということ?」
「そうだ。そして、断定は出来ないが、お前を見ていると、なんだか変な感じがする。こんなことは初めてだ」
「その違和感は僕も感じている。上手く説明できないけど……何故か君と会ったことのあるような、他人とは思えないような……変な感じだ」
ゼアンが感じているのは、エリゼの感覚と同じものだ。
「あくまで可能性の話だ」
「うん、わかってる。可能性の一つだよね。チェンジリングだっけ、詳しくないけど基本的な知識はあるよ。一応王子だし各種族の特性についてあっさり学んではいる……自分がそれに該当しているとは、正直なところ考えたこともなかったし、これと断定できるような実感がないけれど」
沈黙が落ちる。
「でも仮に、元に戻れるとして……」
ゼアンが話し出した続きを予測し、エリゼの体に力が入る。
「ごめんね、本来人間族かもしれない君の立場を返すことはできない」
「は……?」
「僕は覚えてもいない妖精族としての自分よりも、今のゼアンの立場に満足している」
てっきり、戻りたいと言われるとばかり思っていた。
人間族でいていいことなんてない。
魔法は使えないし、ほかの種族から軽蔑されているし、仮にも一国の王子なのに、お忍びとはいえ護衛すらつけてもらえていない。
エリゼのように自衛できるならともかく、人間族は全種族の中で一番弱くて魔法に太刀打ちできない。
なのに、この王子は真逆の発言をする。
「何故だ……?」
「僕にはフィオナ姉様がいる。姉様を一人にしたくないんだ、ずっと一緒にいたい」
「本当にそれでいいのか? 人間族だぞ?」
得なことなんて一つもない種族だ。
「そうだよ。ちなみに、戻る方法ってどんなの?」
「チェンジリングの実行犯を捜し出して、魔法を解かせる」
「なるほど。それで……実行犯の目処は、付いていないの?」
「……残念ながら」
「そっか……」
不意にゼアンの手が伸びる。
握手を求められているようだ。
「君と話せて嬉しい。同い年の子と話す機会なんてぜんぜんないからね」
正直、そういうことをする趣味はない。
しかし、事態をこじらせるつもりもない。手を差し出す。
(校長やリロにも、何か目的があるみたいだしな。ここは邪魔しないよう応じるか)
二人の手が触れ合った瞬間、握り合った手からオーロラ色の光がほとばしった。
「……なっ!?」
エリゼやゼアンだけではない。
リロもクリストファーも、ついでにフィオナも目を見張って、こちらを見ている。
同時にエリゼの中で、入れ替えられた相手はゼアンで間違いないという確信が生まれた。
妖精族の中で忘れ去られていた、チェンジリングの相手を確かめる方法。
それは、入れ替えられた相手に直接触れることだったのだ。
フィオナとリロは訳がわからないといった様子だ。
ただ、クリストファーだけが「ふぅん」と、面白そうに口元を緩めた。
気付かれてしまったみたいだ。
「なるほど、なるほど。そうだったんだ……いやあ、妖精族は大変だね。大丈夫、口外しないから。その代わりさぁ、僕らが会っている相手や、これから話すことについても黙っているようにお願いするよ」
「……わかってる。興味ねぇよ」
嘘だ。本当は少し気になる。リロが何かに関わっていることに。
しかし今は、自分とゼアンが入れ替えられていることについて、新たな疑惑が浮上してきた。
だから、そちらに、より気を取られている。
(王族同士が取り替えられるなんてことを、ただの悪戯で済ませるべきなのか?)
これは誰かによる――何かの目的があって使われた魔法ではないだろうか。
(誰が、なんのために?)
動機なんてたくさんありすぎる。
考えても答えは出ない。
(少なくとも今は、何も起こっていない。チェンジリングの影響は最小に抑えられているはずだ)
エリゼが取り替えられた子どもだという事実は伏せられている。
そして、ゼアンが元妖精族だということは、エリゼと……クリストファー以外は誰も知らない。
知っているのは、犯人だけ。
しかし、考えれば考えるほど、答えは迷宮入りしてしまうのだった。





